〜平安の勇者様と昭和の勇者様(3)〜
荒廃した世界に降る雪。見上げる先にある空は黒。自分と同じ色を持つそれに口許を緩めると、彼は視線を移した。この国で唯一同じ漆黒を抱く少女へと──
「……気になるんだ?」
目覚めた【猫】の声に、【鴉】は含みのある笑みを深めた。
「まあな……いちよ俺の嫁だし」
「…………は?」
「ああ、お前には言ってないんだっけ?」
静寂の雪の中に建つ荒廃した建物の屋根に腰掛ける【鴉】は目線だけを背後に立つ【猫】へと向ける。そして、その視線を雪の中を勇者達と駆ける少女へと移す。
「あいつに俺の名を教えた」
「………!」
目を見開いた【猫】は握った拳を震わせる。その様子を感じ取ったのか変わらず“彼女”を見つめる男はやはり笑みを浮かべていた。
そんな彼に【猫】は唇を噛んだ。
「お前……っ、あれだけお前に恋い焦がれているミレリア様を散々適当にあしらっておいて、たかが“破滅の少女”の名を持つ女に惚れるなんて、お前はどれだけミレリア様を傷つければいいんだ!殺すぞ……っ!!」
普段はただ無気力に過ごしている【猫】。そんな彼が激情をほとばしらせる。
【鴉】は人格が変わったかの様に豹変した彼をこれまでに何度も見てきた。その殆どの原因がミレリアだった。そして、今回も彼女が原因。
肩を小刻みに揺らす【鴉】に、【猫】が掴みかかった。
「なにがおかしい!!」
【猫】の怒気に当てられながらもなお、声を上げ笑う【鴉】についに、【猫】は鋭利な刃を向けた。
「だまれ。今度こそ本当に殺してやるぞ」
「──俺を殺すほどの力も無いのに?」
肩を微かに揺らしながら嗤う【鴉】の目に冷たい光が宿る。醸し出される危うさに【猫】の動きが固まった。握る拳は震え、手にしていた剣は鈍い音をたてて落ちた。
その場に立ち上がった【鴉】は【猫】を一瞥することもなく転移の魔法を展開した。
「お前は先にあいつらの元に戻ってろ。そしてお前たちは“任務2”を遂行しろ」
「………お前はどうするの」
「さあな」
はぐらかされ唇を噛み締めるが、そんな【猫】に構わず【鴉】はその場から姿を消した。
「………申し訳ありません。ミレリア様……」
降り積もる雪の中で一人、【猫】の苦しげな呟きが落ちた。
***
「ねえ理香、君の家ってほんとに残ってるの?」
真紅の空が消え、いつもと変わらない黒の夜が訪れた世界を駆ける千夜の問いかけが腕の中の理香に向けられた。
理香は、降り始めた突然の雪に身を震わせながら目線だけを千夜に向け、小さく頷く。
「他の店や家はあの化け物たちに破壊されたけど、何故か私の家だけは傷一つ入れられてなくて……」
よく考えてみれば何故、自分の家だけ破壊されなかったのだろう。理香は、今まで色々と混乱状態に陥っていて、その疑問を考えてこなかった。だが、自分以外の人間と出会い、少しずつだが悲しみと怒りに打ちのめされた心も落ち着きを取り戻しつつある今は違った。
「うーん。もしかしてこういう事?この時代の人達を襲ったのってサレイド君たち竜でしょ?サレイド君たちは理香に敬意を払っていた。なら、敬いの対象である理香の家だけには攻撃できなかったのかもね」
理香は、思わず目を見開いた。
確かにそうかもしれない。
竜たちが日本を襲ったあの日、理香は高校から帰宅した後、一人自宅で過ごしていた。その時は女手一つで理香を育てていた母親が仕事でいなかった。
何時何分に凶暴な牙を剥き出しにした竜たちが人類に襲いかかってきたなんて、覚えていない。
パニックになり、逃げ出すのに必死だったから。
そして、奇跡的に竜たちの目をかいくぐり、理香の元に駆けつけた母親と一緒に無我夢中で逃げた。
けれども───
「………っ!!」
脳裏に映った赤の景色に、理香はだめだと蘇る記憶を拒絶する。
(強くなるんだ強くなるんだ!だから、いちいち思い出しちゃだめだ)
ぎゅっ、と目に力を入れて瞼を閉ざした理香を、千夜は静かな眼差しで見つめる。凪いだ漆黒の目からは朝緋同様、どんな感情も読み取る事ができない。
「………先を急ぎましょう」
並んで駆ける朝緋の淡々とした声に千夜はそうだね、と頷いた。
***
どれくらい駆け続けていたのだろうか。
見上げるほど降り積もった積雪を見つめ、理香は白い息を吐く。両隣に並び立った千夜と朝緋を横目に理香は呟いた。
「ただいま……」
微かな月光に照らされる我が家へと───
吹き行く風に着物の裾を揺らす千夜と朝緋が彼女の視線の先を辿る。
「ここが、理香の家なんだね。俺の時代にはない形の家だよ」
「………」
少し驚いた様子の千夜、変わらず静かな瞳の朝緋、二者それぞれの反応に笑うと、理香は再度自身の家を見上げた。
傷一つない家は二階建て。和か洋、どちらかと言えば洋風だ。全体的な色は白。屋根は黒。窓は全部で六つ。
いたって普通の家。
けれども、倒壊した家々の中で綺麗なまま建つ、不自然な家だ。
「『山の麓』と『雨宿り』で思い出したんだ。そういえば、私の家の近所に『山の麓』って名前の足湯があったなぁ、って。学校から下校する時に雨が降ったりしたらよく、親友と雨宿りするついでに足湯に浸かっていってた」
『山の麓』と『雨宿り』で、さっきまでいた山の近くに、その足湯が出来る場所があるのを思い出し、そして、その近くに自分の家があることを思い出した。
竜たちが人類を襲い始めたのはほんの数日前。その間で、逃げに逃げた理香が進める距離には限度がある。謎の空間に呼び出され、千夜と出会い、彼と共に舞い戻ったのは理香が住んでいた───つまり、今いる土地から数キロほど離れた廃れた街。そこで竜たちと交戦し、朝緋と出会った。そして、意識を手放していた理香が目を覚ますと、三人はとある山にいた。朝緋が竜たちと遭遇したあの街からある程度の距離がある山だと言っていたから、理香の家がある方に戻ってきていた可能性もあった。
そして、理香は無事に戻ってこれた。
母親との思い出がたくさん詰まっている我が家に。
もう、大好きな母親はいない家。
もう、友達は遊びに来ない家。
当たり前の日々を失った家。
きっと中は冷え切っているだろう。電気も使えない今、暖房機器は作動しない。
けれども、蝋燭の火くらいは付けられる。
(そう、だよね?お母さん……)
***
思い扉を押し、中に入る。
幸い、鍵は掛かってなかった。きっと、竜の急襲から逃げるのに必死で掛けるどころではなかったのだろう。
「まっくら、だね」
理香に続いて家の中へと入った千夜の小さな呟きが落ちる。
見渡しても暗闇しかない。月光が弱い夜だからだろうか。
外と同じ冷気に当てられ、両腕で自身の体を抱きしめると靴を脱いだ。
「マッチと蝋燭はたし……っ!?」
突然、後ろから腕を引かれた。すかさず千夜に抱き留められ、目を見開いたまま彼に、急に何をするんだと叫びそうになったが、口元に横に並んだ朝緋の白い手が被せられた。
「……何かいます」
「──この気配は、人?」
一階に何かがいると言う二人に理香は息を呑んだ。気配を殺した二人に連れられ家に上がると、朝緋がリビングがある方に目を向ける。
「……あちらからですね」
「一気に乗り込もう。多分、この気配からして相手は───子供だと思うから」
子供……?と驚きを隠せずにいると、千夜と朝緋は躊躇うことなくリビングへと足を踏み入れた。
「ねえ、君は誰?」
腰にかけている剣を引き抜こうともせず、警戒さえもしていない千夜の問いかけが暗闇の中に落ちた。
すると────
「お兄さんたち、だれ……?」
蝋燭を乗せた燭台を片手に持つ小さな男の子が暗闇中に現れた。
***
「ぼくは、お母さんにここでまっていなさいって言われたんだ。だから、ここにいる……」
男の子が持っていた蝋燭の火を頼りに理香は、三人をリビングにある正方形の炬燵まで導き、中に入ってと言うと冷蔵庫へと向かう。
初めは炬燵を興味津々に見つめていた千夜とやはり特に感慨を受けた様子はない朝緋だったが、彼女の言葉に従うと、千夜と向き合う形に座った男の子が小さく話し始めた。
「ふうん……この時代に理香以外に人間ってちゃんといるんだ。で?君のお母さんはどこに行ったの?」
「わからない。それだけしか言わなかったから……」
「へぇ……」
よく分からないお母さんだね、と千夜が言う。
とりあえず、男の子に害意はなく、何よりまだ九歳ほどの子供だったから家から追い出しはしなかったが、同じこの時代の日本人にしては男の子は、異様な姿をしていた。
今もなお降り続ける雪に負けないほどの白く肩下までの髪に、大きな金の目。その容姿は整っていると言っていいだろう。
男の子の髪色と目の色が普通じゃないことを指摘するなら、千夜と朝緋にも言えることなのだが、二人は“勇者”らしく時代を超えてしまっているらしいのでもうファンタジーだと、無理矢理言い聞かせることができるが、この男の子は二人とは状況が違う。
「外国人だとしても、あの色は見たことない……」
キッチンに立ち、蝋燭の淡い光に照らされる男の子を遠目で見つめる理香は眉根を寄せた。
「もしかして、異世界人とか……?」
尋常ではない姿と力を持った敵に遭遇した際に朝緋が敵の言葉から、ある推測を口にしていた。
この世界は今、ある世界と繋がっているのではないかと。
「ほんと……意味がわからないよ」
まるで漫画だ。
“勇者”や“異世界”なんて。
でも、今実際に目の前には異色を放つ三者がいる。
「はあ……」
よく分からないよ。
そう呟きながら、冷蔵庫を開ける。当たり前だが、中は真っ暗。冷気もあまりない。中に入っているチーズや牛乳、肉などはもう腐っているだろう。
だが、水は別だ。
「焜炉もちゃんとあるから……うん、大丈夫!」
蝋燭の小さな光を頼りに作業を始めた理香を不思議そうに見つめていた千夜だったが、男の子に視線を戻した。
「ねえ、君、なんて名前なの?」
「なまえ……?そんなもの、ないよ」
「え、ほんと?」
うん、と頷く男の子を見る千夜の目に一瞬、危うい光が過ぎった。朝緋も、澄んだアクアマリンの瞳をわずかに細める。
無垢な子供故か、二人の様子の変化に男の子が気づくことはなかった。
(名前が無い……ね)
元いた時代での経験上、千夜は男の子の発言に警戒を抱いてしまった。
こういう何の害もなさそうな見かけをした者ほど、怪しんでしまうものがある。
生まれて間もない赤子ならまだしも、九歳ほどなら、名前は付けられているはずだ。
(記憶喪失か、それとも……)
そう、目を細めた時だった。
「でーきた!はい、召し上がれ」
三人の前に、三つのマグカップが置かれた。白い湯気を立てるのは、インスタントのココア。
初めて目にする物に目を瞬かせた千夜と、淡々とした目にわずかな驚きを浮かべた朝緋に笑顔を零した理香は炬燵に入った。
「ちょっと甘めだけど、許してね。寒い日にはいいよ、これ。しっかり飲んであったまって」
電気のない今、炬燵も通常の働きをしないから代わりにこれで暖を取って。
そう言う理香に、千夜と朝緋は礼を言うと、マグカップを持ち上げる。
(着物姿の美形がマグカップでココア飲んでるのって……なんか面白いなぁ)
おいしい、と呟きを零した二人に口元が緩むのを感じると、さきほどから男の子がココアを全然飲んでいないことに気づいた。
「飲まないの?遠慮とかしなくていいんだよ。あ、もしかしてココア苦手?」
もしかして子供相応のジュースとかの方がよかったかも、と思うが、腐ってないか心配だ。
確かめてみるか、と立ち上がった理香だったが、男の子の小さな腕が理香の手首を握った。
その行動に、美味しそうにココアを飲んでいた千夜が口元からマグカップを離し、目を細めた。
「どうしたの?」
男の子の前にしゃがみ込み、優しく尋ねると、男の子は大きく横に首を振った。
「ぼく、ちゃんとのめるよ!」
大きな声で言い切った男の子は、両手でマグカップを握ると、ゴクゴクと一気にココアを飲み干した。
ぷはっ、と息をついた男の子に目を丸くする。
(ほんとは苦手だけど、男子としての意地があったのかな?)
苦笑を浮かべた理香は男の子の口元についたココアを、ポケットから出したハンカチで拭き取った。そんな彼女に今度は男の子が目を丸くする。
「ねえ、君はずっとここにいたの?」
「え……?」
ハンカチをたたみながら尋ねると、ポカンとした表情が返ってくる。
そんな男の子にかわいいなぁと思いながら問いかけを重ねた。
「おなか、すいた?」
「え……、うん……」
「そっか」
間違いない。
この男の子はずっとこの家にいたのだ。
お腹が空いているという状態の上、この小さな体はとても冷たい。今、触れてわかった。
「じゃあ、ご飯食べようか!」
その場に立ち上がり、両手をたたき合わせた理香は二階に続く階段へと向かった。
「あ、その前にお着替え、だね」
男の子のあの小さな体は血が通っていないのではと懸念してしまうくらい冷たかった。だから、暖かい服を着させてあげたい。
(でも、子供用の服なんてあったかなあ)
まあ、なんかしらあるだろうと階段を上る理香を、千夜が冷たい目で見つめていた────




