〜平安の勇者様と昭和の勇者様(2)〜
──ポツ、と大きな水滴が頬に落ちてきた。
「え……雨?」
驚き、赤い空を仰ぐ。あの不気味な色をした空からもいつもと同じ透明の雨が降るのか。
「赤い空の雨……ね」
二人の勇者の駆けるスピードについて行けなくなった理香を仕方なく横抱きにしていた千夜は、腕の中の理香の視線の先を辿ると、なぜか口許に弧を描いた。
「まるで、血のようだね」
その声は悦びを孕んでいた。間近にある彼の端正な顔に浮かぶ確かな愉悦に、理香は口許を引きつらせてしまった。
(やっぱり歪んでる……)
これが所謂、狂戦士というやつなのか。
自分の血や他人の血に興奮するという。
先刻の対魔物戦ですでに、その異常さと冷酷さを見せつけられたはずだが、それでもやはり全身を震わせずにはいられない。
そう、天に広がる赤空を何の感情も伺うことのできない目で見上げる朝緋に対しても。
息を呑んでいると、全身を打つ雨が激しさを増した。
「うわ……ひどくなってきたね。どこかで雨宿りしたいな」
立ち止まった千夜は濡れた長い前髪を掻き上げると、横に並んだ朝緋に漆黒の双眸を向けた。
「朝緋君、さっきの化け物とか竜がいる気配はもうないからどこかで雨宿りしようよ。体が丈夫な俺たちはともかく理香はまだ弱い女の子だからね。風邪でも引かれたら大変だよ」
「……そうですね。ですが、見たところ、この辺りに雨宿りできるような場所はありません。もう少しで山の麓に出ますから、そこに休める所があるかもしれません。取り敢えず、今は先を急ぎましょう」
……理香さん、すみませんがもう少しの辛抱を。そう言われ、相変わらずの無心の目を向けられた理香だったが、意外にも気遣いのある言葉に目を瞬かせていると、千夜は全身を滴る雨に顔を一度顰めると、そうだね、と頷くと二人の勇者は再び駆け出した。
暗さと薄気味悪さを増した山と急な温度の変化に震える理香だったが、『雨宿り』と『山の麓』の言葉に目を見開いた。
「ああ──っ!!」
突然の叫び声に目を丸くした千夜が、腕の中の理香に視線を移した。横で駆けていた朝緋も彼女に静かな目線を向ける。
「理香?どうしたの」
「……?」
土砂降りの雨の中、自分に向けられる二つの視線の主たちに理香は飛び付いた。
「家!!」
「「は?」」
「この近くにあるの!家……私の家が!!」
***
痛いほどに降り注ぐ雨の中、二人の勇者は背後に現れた男に意識を奪われていた。そして、彼らと対峙していた少年───【猫】も先ほどまでの悠然とした気配を消し、凍てつくような殺気を纏っている。
驚きや関心、警戒を浮かべる彼らに構わず彼───狐面をはめた黒のフードの男は宙に浮かぶと、低い声を落とした。
「『地神砕岩』」
狐面の男が自身の右人差し指をパキリと鳴らすと、地面が揺れ始め、崩れると幾つもの大きな岩石が浮遊した。
「『風神昇残』」
「───複神魔法の使い手……?」
目を見開いた【猫】は、身辺に集められた岩石をすぐさま破壊しようと術を唱えようとした───が。
「『覇神鋭斬』」
何処からともなく出現した長剣を右手で掴み取った狐面の男に勢いよく斬撃を飛ばされ、高く佇んでいた【猫】は術を展開する暇も驚く暇もなく、無慈悲に斬り刻まれた。
「か……はっ!!」
大量の血を吐き出した【猫】の身体が力を無くし、地に落ちた。───否、落ちなかった。
「『風神選岩」
淡々とした声が激しい雨音さえ遮ると、崩れ落ちようとしていた【猫】に、宙に舞っていた幾つもの岩石が襲いかかった。
薄れ行く意識の中で抵抗しようと片手を上げた【猫】だったが────遅かった。
【猫】の小さな身体は岩石に覆われ、宙には巨大な岩玉ができていた。
そして───
「『死神烈鎌』」
無情な声が辺りを圧すると、長剣と同様に現れた大鎌を手にした狐面の男はすかさずそれで空気を斬った。巨大な銀の弧が、【猫】が閉じ込められた岩玉を目掛けて斬りかかる────だが。
「まだまだ弱いね、【猫】。そんなんじゃ大好きな“ ミレリア様 ”に一生振り向いて貰えないぜ?」
飄々とした声と共に、岩玉の前に巨大な漆黒の結界が現れた。複雑な文様が描かれたそれは襲いかかってきた銀の攻撃を消失させた。
誰のものかわからない息を呑む気配がすると、その結界の前に漆黒の男が降りてきた。左耳の金の十字架を揺らしながら、辺りを楽しそうに見つめる彼は下で変わらず静かに佇む狐面の男を見据えると、ズボンのポケットに両手を入れたまま呟く。
「双属魔法───『地伝雷』『影圧』」
笑みを刻んだまま言葉が落とされると、狐面の男の足元に黄金の巨大な円陣が、頭上にはすべてを包み込むような大きな影が生まれた。刹那、黄金の陣から無数の雷撃が放たれ、逃れようとした狐面の男を頭上の影が逃がさないとばかりに逃げ道を覆い尽くす。
───だが。
「『五神結界』」
焦りを微塵も感じさせない声と共に、狐面の男を五角形の結界が守ると、彼は瞬時にその場から姿を消した。
見えない結界を張っているの少しも濡れていない漆黒の男───零月は、消えた男に小さな口笛を吹くと流し目を後ろに送った。
「……複神魔法の使い手なんて実際には初めて見たぜ。こりゃ貴重な出会いだな。だが、生憎俺にはお前の相手をする時間はねぇんだよ。───はやく嫁さんのところに行きたいからね」
「嫁……?」
愉しそうに言葉を発した零月に、狐面の男が反応した。彼の顔は仮面に隠されているため、どんな表情を浮かべているのか分からないが一瞬、その手が力んだのを零月は見逃さなかった。彼の魔性とも言える端正な顔が意地の悪い表情を浮かべる。
「反応したな。誰か思い当たる女でも浮かんだのか?だとしたら───“ 正解 ”だぜ」
「───っ!!」
初めて狐面の男が息を呑み、切羽詰まった様子で零月に手にしていた長剣で斬りかかった。しかし、その鋭い攻撃を難なく片手で受け止めた零月は、狐面の男の得物を奪い取ると、すかさず彼の腹に蹴りを入れた。勢いよく飛ばされた彼に構わず、零月は後ろの岩玉を振り返ると、奪い取った剣でそれを斬った。
鈍い音が鳴ると同時に、閉じ込められていた【猫】の小さな身体を片腕で抱き留め、完全に意識がなく息も絶え絶えという瀕死の状態の彼を俵担ぎにすると、次にはすでに目の前に佇んでいた狐面の男を見据えた。
「十分“ 今 ”の俺でもお前を殺せると思うが……さっき言った通り、俺には時間がねぇ。だから、今はお前を殺しはしない。………だが」
血を連想させる双眸が細められる。
────危うい光を宿して。
「お前がこれから先、俺の邪魔をするというのなら………今、ここでお前を消す」
すべてを平伏させるような威圧と殺気。それを間近で受けた狐面の男は恐怖する───のではなく、あろうことか、笑った。
「ふふ……あの愚男と違って息子のお前は面白い。お前とは気が合いそうだ。……この身に流れる血に刻まれた因縁と彼女のことさえなければ、な」
「へぇ〜、俺の親父のこと知ってんのか。やっぱお前は“ もう一人の敵 ”か。だが、同感だぜ。俺もお前とは気が合いそうだ。複神魔法の使い手……一度全力で殺りあってみたいぜ」
「ふっ、残念だが今は俺も時間が惜しい。優先すべきことがあるからな。今度会った時にでも殺し合おう。存分に」
「そうだな。───次会う時を楽しみにしとくぜ。んじゃ、退散〜………の、まえに」
互いに愉悦を孕んだ言葉を交わし、立ち去ろうとした零月だったが、思い出したかのように下方に視線を投げる。────しかし。
「あらま。いな〜い」
俺が来た時には下にいたはずなんだけどな〜、と呑気に呟いた零月の視線の先には、先刻まで確かに、平安の勇者と昭和の勇者───二人の勇者がいた。両者とも激しい魔法戦に手を出せず、ただ立ち尽くし続けていたのだが────
「なあ、狐。あいつらどこに行ったんだ?俺、あいつらに言いたいことがあったんだけど」
零月が狐面の男へと目線を流す。
てっきり彼が二人の勇者を激しい戦闘の余波から守る為に姿を隠す結界でも張ったのかと思っていたのだが、どうやら違うらしい。狐面の男が追跡の魔法を放った。
「力は戻っていなくても逃げ足は早いらしい。助けてやったというのに」
「ま、さすがは選ばれた勇者様たちってことかね〜。あのスピードに元の力が加わったら……恐ろしいね」
「どうだか。俺には“ 今 ”のままでもお前の方が奴らよりも強いと思うが」
大袈裟に身震いする零月に、狐面の男は淡々とした声でそう言うと、零月に背を向けた。
「行くのか?」
「ほんとは今、お前を殺したいとこだがな」
「そ。じゃあ、またな〜」
「【鴉】」
笑顔で手を振った零月を振り返らずに呼び掛けた彼に、零月は目を丸くする。だが、狐面の男が一瞬で暗い気配を纏ったことに気付くと、その真紅の双眸を細めた。
「俺は、お前が誰を伴侶にしたのか知っている。これは、俺への宣戦布告として受け取らせてもらう。それ相応の覚悟はできているだろうからな」
「……ああ。俺も“ 一目惚れ ”とはいえ、いい加減な気持ちではないしな」
「そうか……。じゃあ、次会う時は」
「はいはい。分かってる」
仮面越しに狐面の男と零月の視線が交差した。
「「───お前を、殺す」」
***
激しい雨が降り続く中、山奥に、ひたすら走る二つの影があった。
濡れた赤の衣が翻され、その衣の主が端麗な顔に今は雨と冷や汗を伝せながら振り向く。
「昭和の勇者さん!もう、随分奥まで来ましたわ。これ以上進んでは迷い込んでしまいます。雨もひどくなってきたことですし、ここで一度休みましょう」
激しい戦いから逃れて来た平安の勇者は、後ろに続いていた昭和の勇者にそう呼び掛けたが、返ってきたのはやはり、沈黙だった。もはやこの反応もお決まりとなってきたので、昭和の勇者の意など確かめずとも大人しくついてくると分かっており、彼女はただひたすらに雨宿りする場所を求めた。すると、遠くに洞穴らしき所があるのが見えた。
平安の勇者は安堵を浮かべ、言った。
「とりあえず、あそこで休みましょう」
***
「昭和の勇者さん、濡れた着物はこちらへ。乾かして差し上げます」
薄暗い洞穴の中で灯した焚き火の前に立った平安の勇者は火の前で体育座りで座り込む昭和の勇者にそう言うと、彼はぐっしょりと濡れた白衣を彼女に手渡した。
洞穴の中に転がり落ちていた長い木の棒を岩の歪みに掛け、その上に白衣と自身の十二単のうちの血に染まった一枚を干すと、平安の勇者は昭和の勇者と距離を置いて腰を下ろした。
「ごめんなさいね。私、殿方が苦手ですから」
かすかに眉を下げる平安の勇者だったが、対する昭和の勇者はやはり無言。
苦笑いを浮かべた平安の勇者は、白く細い両手を火にかざし暖め始める。すると、ぽつりと話し始めた。
「先ほどの、不思議な術を行使した戦いから私たちでは何も出来ないと悔しくも逃げてきましたが……どうして逃げようとしなかったのですか?もしかして、何か情報を得ようと?でも、あの激しい雨の中では何も聞き取ることはできないでしょうし……ましてあの激戦の中。他のお方より少々威力が強い斬撃を放つことくらいしかできない私たちでは、あの尋常ではない戦いの余波を受け、命を落としていたかもしれません。何かお考えがあったのですか?」
そう問いかける平安の勇者だったが、昭和の勇者の反応はなし。その様子にふぅとため息をつくしかなかった。
それ以来しばらく口を開かなかったが、ふいに何かを思い出したかのように自身の懐に触れる。そして、取り出したものは。
───【声主】から渡されたオニキス。
「【声主】から、これを忠誠を誓うべき主を見つけた時に渡せと言われましたが………そんな人見つかるわけがありませんのに」
口許に浮かぶのが自嘲のものへと変わると、それまで彼女に一切の興味を見せなかった昭和の勇者がわずかに意識を傾けたことに、平安の勇者は気づいているのだろうか。
オニキスを握りしめる右手に力がこもると、彼女は小さな声で呟きを落とした。
「“ 主 ”というのは所詮、しもべを飼い慣らす者にすぎない。しもべは“ 主 ”の道具。“ 主 ”と同じ“ 人 ”として認識されない。………そしてまた、“ 姫 ”もそれと一緒。親の地位を上げ、権利を得るためだけの道具。いえ……そんなことはどうでもいいですわ。私がほんとうに理解できないのは……願っていることは……」
段々、呟く声が小さくなっていく。重たい瞼が赤紫の瞳を覆うと、穏やかな寝息が聞こえた。
パチパチと爆ぜる焚き火を映す赤の双眸が静かに、正座をしながら眠る彼女へと向けられる。だが、彼女を映すその瞳からはどんな感情も伺えない。
「………馬鹿な女」
憐憫でも同情でもない。
ただ、無関心な声が暗い洞穴に落ちた。




