〜鎌倉の勇者様(9)〜
「……お見事です」
降り注ぐ化け物の青黒い血に顔を顰めさせることもなく、無表情ながらも朝緋は千夜を称賛した。千夜はその声に口角を微かに上げると、双剣を構えたまま高く跳躍した。そして、呆気なく彼に殺された“ 仲間 ”の死骸を凝視していた他の化け物たちの不意を突きーー
「ふふ、よそ見してる場合?殺されちゃうよ?」
赤毛を纏った獅子のような獣の首を一つの銀線が斬り落とした。途端、先刻と同様に青黒い血が勢いよく噴き上がった。
ーー二匹目。
「あはははっ、君達ぼーっとし過ぎだよ!もっと俺を愉しませてよ」
そして、軽く全長十五メートルはあるだろう漆黒の大蛇を慈悲なく殺した。再び、青黒い血が上がる。
ーー三匹目。
ようやく我を取り戻し、次々と化け物達を無惨に殺していく千夜に、化け物達は力強い咆哮を上げながら飛び掛かるもーー
「遅いんだよ」
ゾッとするような低い声と共に、双剣を自身の前にクロスさせた。そしてーー
「さようなら」
地面を抉る激しい二重の斬撃が繰り出された。目で追うことも叶わない速さで斬撃がまだ跋扈していた化け物達に容赦なく襲いかかり、化け物達は一斉に一刀両断された。攻撃の反動が山中に響き渡り、樹木ごと山が削れた。
爆音にも等しい衝撃音に、理香は耳を押さえるよりも瞠目するしかなかった。
短剣を数本構えていた朝緋はそれらを懐へ直すと、千夜に静かな目線を向けた。
「……全て、殲滅してしまったのですか?」
「いや、そんな馬鹿なことはしないよ。見て、ほら。あいつだけちゃんと生かしてあげてる」
含みのある言葉が交わされると、いつの間に回収したのか血濡れた長剣を納刀し、千夜は長い前髪を搔きあげながら遠方を軽く指差した。
示されたその先にはーー
『グルルルル……っ』
仲間たちを屠った千夜に怯えと憤怒を露わにした双頭の大型犬がいた。だが、大型犬と言ってもそれは名ばかりでーー背には左右対称の羽が二つ生えており、不気味な黒い瘴気を放っている。
そんな様子の化け物の方へ千夜が足を進めようとするーーだが。
「……ここは、私にお任せを」
朝緋の腕が千夜の歩みを止め、そう呟いた。
「え?…別にいいけど」
朝緋の行動に怪訝そうにした千夜だったが、次には愉悦を孕んだ笑みを浮かべていた。
「大人しそうに見えて、意外と残虐なんだね」
まあ、戦いの構えを見ていれば分かるけどね、と愉しそうに前に歩み出た朝緋の背にかれは意味深な目を向けた。そして、呆気に取られたままの理香の腕を掴み、彼女を朝緋が向かった先へと誘導する。
「千夜、何…するの?」
「うーん?見てれば分かるよ。でも、ちょっと理香には刺激が強いかもしれないから……おいで?」
戸惑いを浮かべた理香だったが、小首を傾げた男の腕の中へと引っ張られた。着物越しでも分かる千夜の硬い胸板に顔が当たると、理香は瞬時に頬を赤めた。
「ちょ…っ!?」
一体何をするんだ、と大した身長差の無い千夜を睨み上げると、何かを企む様な危険な笑みが返ってきた。
「大人しくしていてね?返り血を浴びないように俺が守ってあげるから」
「はぁ?」
彼の言葉の意味が分からず、声を上げてしまったが、しーっ、と唇に人差し指を立てられた。
「強くなるんでしょ?なら、これから行われる事にも慣れておかないとね」
嫌な雫が額を伝ったーー。
***
『ーーっ、グワアアアアアアッ!!!』
青黒い血が、サッ、と三日月を描く様に宙を走った。腐敗した様な臭いが辺りに充満し、その場をより残酷に彩る。
変わらず口許に弧を描き続ける千夜の腕の中に収まっていた理香は堪らず、口を両手で覆った。震える瞳が捉えるのは、目を反らしたくても反らせない、無慈悲な光景ーー。
「……まだ、死んではいけませんよ。お訊きしたいことはたくさんありますから」
刹那、無理矢理地面に頭を押さえつけられた化け物から悲鳴が上げられると同時に、再度、青黒い大量の血が勢いよく辺りに飛び散った。その光景に、理香は顔を恐怖に歪めてしまった。
(や、やめて……)
声一つさえ上げることが叶わない。
怖い。
怖い。
怖い。
怖い。
この、冷酷無慈悲な光景が。
化け物の四肢に刺さっている無数の剣が。
化け物の頭を地面に押さえつける、朝緋がーー。
「……次の質問です。あなた方は一体“ 何 ”ですか?」
最初の問いかけーーどこから化け物達はやって来たのか。その質問の時と同様に、全身から血を流す化け物は何も答えようとしない。そんな化け物に。
「……そうですか」
血肉を貫く音が聞こえた。同時に、視界に青黒い血が噴き上がる。
再びあがる絶叫。だが、それも段々小さくなって行きーー化け物は僅かな動作も取れなくなっていた。
再度襲う酷い光景に理香の顔色は血が抜けたかの様に白くなる。
ーー目の前の、藍色の着物を纏った男の背がこの世の何よりも恐ろしく見えた。
『……ぐああ…あ…あ』
「……答えないのなら、今度は首にこれを刺しますよ」
そう言って軽く掲げられたのは、もう何本目になるか分からない短剣。
自身の体にわざと急所を外して無数の短剣を刺してくる銀色の男の淡々とした声と表情に、強く恐怖したのか化け物は血を吐きながら答えた。
『……わ、我々は…この世界と異なる世界か…ら来た“ 勇者 ” 殲滅…部隊だ……っぐ』
信じられない事に、この化け物は人語を行使することが出来るらしい。この事実は、千夜に殺された化け物達にもあてはまったのだろうか。
「……異世界というわけですか。そして、あなた方は我々を殺すための存在だと」
『……そうだ。…っ、だが我々は、任務に失敗…した。お前達を…殺せ…なかった。だが、この部隊は……お前達“ 勇者 ”への警告にすぎ……ない。覚えておけ……これより数刻後』
朝緋と理香を抱く千夜の目が細められるーー。
化け物は、最後の力を振り絞るかの様に叫んだ。
『我々の力を凌駕する力を持つ……暗殺部隊がこの世界に現れ…る!!一人でも…僅かな時間で一国を沈めることが出来る……最強の部隊だ。勝てる、と…思うな、逃げられると思うな……奴らは、必ずお前達“ 勇者 ”を殺しにくる。泣き叫ぶがいい、勇者共!!彼らと邂逅したときが、最後だ!!ははははははっ……ぐふっ!!』
化け物の頭を一本の短剣が貫き、化け物はその場で完全に息絶えた。
ーーしばしの沈黙が訪れる。
「あーあ。殺しちゃった。もう少し、情報吐かせればよかったのに」
惜しむ様な声がその場に落ちたが、朝緋は普段と変わらない感情の無い顔で答えた。
「……情報はたくさん吐いてくれましたよ。これで充分でしょう」
そう言うと、彼は頬に付着していた血を優雅な動きで拭い、藍色の衣を翻した。
「……この世界は別世界と思われる所とどこかで繋がってしまっており、人知を超えた敵が存在すること……そして、これから数刻後に私達を狙う異世界の暗殺部隊がやって来るそうです」
「まあ、そういう解釈になるよね。ふふ、異世界からの暗殺部隊だって。愉しみだなぁ」
瞳を互いに交わし合い、意味深な言葉を発する二人の様子は目に入らず、理香はただ、この一時で起こった事に体を麻痺させていた。
目の前で異形の化け物が現れ、人の物とは思えない力で千夜に屠られた。そして、生き残ったーー否、生き残された化け物を拷問にかけーー、強制的に情報を吐かせた。
只者ではないとは分かっていた。
強者であることも分かっていた。
ーーだが。
狂人だということは知らなかった。
***
ーー理香達が滞在している山より南東。
そこに、彼らはいた。
「ふぅ……、私と同じ類の人間がいると聞いて、とても楽しみにしていたのですけれど、一体どこにいらっしゃるのでしょうか。ねえ?“ 昭和の勇者 ”さん」
荒廃した世界に相応しくない豪奢な十二単であるはずなのに、血で汚れたそれは本来の輝きを失っていた。そんな服を纏うのはーー平安の勇者。
「………………」
「あら、随分と静かな人なのね」
明るく話す彼女とは反対に、彼女と距離を置いて無気力に佇む少年はずっとだんまり状態だ。平安の勇者が少女とは思えない艶やかな笑みを浮かべると、懐から小さな石を取り出した。
「【声主】は、この石が私達を導くと仰っていたけど、本当にそうなのかしらね?」
取り出したのは、黒く輝くオニキス。
「どう使うかまでは教えて下さらなかったけど……この石が、今後を決める大切な道標となることは確かね」
そう言った瞬間だった。
「ーーっ!?」
突如、オニキスの石から黒い一筋の線が放たれた。それが示すのはーー遥か遠く、北西。
少女の口許が笑みの形に変わった。
「ふふ、見つけたわ。私の同士さん達。そしてーー【相沢 理香】!!」
運命の邂逅が訪れようとしていた。