〜鎌倉の勇者様(8)〜
そこは、一縷の光さえ受け入れない。何もかもを吸い込む。
そこは、一音も響かせない。何もかもを飲み込む。
そこは、漆黒の道。
「……ふっ、三人目のお出ましだな。ついでに四人目も召喚してしまったようだが。まあ、いい。一気に来てくれた方が召喚する手間が減る」
何も映さず、何も聞こえさせない。そんな虚無の空間に男の声が落ちた。それは、どこか愉しそうだったが、隠せない威厳を感じさせた。
「ようこそ、【黒】の道へ。ーー平安の勇者」
ふわり、と同じ闇色でも、朧な輝きを放つ闇色が揺れた。それは地に付くほど長く。彼女の存在感を際立たせていた。
漆黒の中で、鮮やかな赤紫の輝きが細められる。
「……何の用かしら?こんな所にわざわざ呼び出してくれて」
澄んだ声だった。何にも汚れていない、無垢な声。
だが、その印象は彼女が纏う色に一瞬にして消し去られてしまった。
「ふふ、戦闘狂はいいものだ。血がよく似合う。先に召喚したあいつらも同じだな」
面白おかしそうに笑う声がすると、彼女はーーまだ、十代ほどにしか見えない少女は訝しげに歪めていた口許を笑みの形に変えた。
「あら、怪しすぎて殺すべき者かと思ったけど、あなたもこちら側の人間みたいね。嬉しいわ、あなたが初めてよ。私を理解してくれるなんてね」
そう言うと、少女は白磁の様に白く細長い指に付着していた真っ赤なモノーー血を、吸血鬼の様に妖艶に舐めた。
少女が纏う美しいはずの十二単も、所々を血で汚していた。
可憐で無垢な少女はどこにもいなかった。
「ああ、俺はお前達の性質はよく理解できる。同種だからな」
「ふふふ、ほんとに嬉しい。ぜひ、姿を拝見してみたいわ。そして……一緒に殺し合いましょう?」
心から喜ぶ声だった。
ーーだが、長い睫毛に縁取られた赤紫の瞳には確かな狂気が浮かんでいる。
「俺もそうしたいのは山々なんだがなぁ、生憎、時間が無いんでね。無理だ。ーーまあ、あっちに行ったら、お前と同じ狂戦士がいるから、そいつらと殺りあうんだな」
「あら、そうなの?残念だわ。でも、その【あいつら】が気になるわ。ぜひ、お会いしたいものね。もしかして、こんな所に私を連れてきたあなたが私を運んでくれるのかしら?【あっち】へ」
残念そうに眉を下げた少女だったが、同士がいるという事にすぐさま破顔した。
「悪いな、さっきも言ったが俺には時間が無いんだよ。その代わりと言ってはなんだが、お前にはこれをくれてやるよ」
「……?何かしら」
男の声に首を傾げた少女だったが、突如、足元に落ちて来た物体を不思議そうに見つめた。形の良い長い指がそれを掬い、感触を確かめるかの様に幾度も撫でた。
「これは……?」
「オニキス、と言う石だ。大事に扱えよ。使い方は今から教えてやる。……と、その前に」
瞬間、少女の頭上から、ガコンッ、と鈍い音がしたと思ったら何かが落ちてきた。
それは、白い布地を闇を切り裂くかの様に靡かせながら片膝と片手を付いて黒の道に着地した。
「四人目も、到着だな。四人目が通る【白】の道をこの空間に繋げて正解だったようだ。二人まとめて説明できる」
落ちて来たものが、ゆらりとその場に立ち上がった。軽く目を見張る少女の前で、殺気も露わに目を鋭利にする“ 少年 ”は着服している白衣の内側から短剣を取り出していた。
「……ボクになんか用?用が無いなら早く元いた場所に戻してよ。ボクは忙しい。戦争中で医者が足りない状態なんだ。戻さないならーー殺すけど?」
くぐもった声を発する少年の前髪は片目を隠し、隠されていない方の血色の目は危うい光を放っていた。
彼の剣は間近にいる少女ではなく、男の声がした方へと迷うことなく向けられている。
「悪いけど、戻せないな。お前ーーいや、昭和の勇者と後ろのお前、平安の勇者はこれからはあちら側で生きてもらう」
少年の脅しに怖気付くことなくーーむしろ、愉しそうにする【声】の言葉に、少年は殺気を増幅させた。それを感じた少女は、再び口許に弧を描く。
「ふふ……あなたもこちら側ね」
その小さな声は聞こえなかったようで、少年は構えていた一本の短剣を宙に放った。
それは、すべてを切り裂いてしまう鋭さを持っていたが、瞬時に闇に飲み込まれてしまった。
「まあ、そう苛立つな。あちら側も結構ーーいや、かなり愉しいぞ?それこそ、お前達がいた時代なんかより、な」
笑う様な声と共に、少年の前に何かが落とされた。
それぞれ違う色一色に染められた道を辿る者に与えられる物はお決まりでーー。
「……なにこれ」
「お前には、ムーンストーンだな。ありがたく頂戴しとけ」
少女に続いて少年の足元に軽い音を立てて落ちてきた物は、白い石だった。
「じゃあ、二人揃ったところで説明しようか。ーー各時代から選ばれる勇者と【平成】と言う、お前達の時代の先にある時代、そしてーー【相沢 理香】について」
少女と少年ーーそれぞれの目が細められた。
***
時も分からない山奥ーーそこに、理香達はいた。だが、彼女達は異様な気配を放つ存在達に囲まれており、派手に動けない状態に陥っていた。
予想外の展開に体を硬直させていた理香を庇うかの様に彼女の前に歩みでた千夜は口許に弧を刻んでいた。その手にはーー尖鋭な長剣。
「理香は後ろに下がってて。剣術を得ていないなら邪魔にしかならない。こいつらは俺達が相手をする」
厳しい言葉と共に頼もしい言葉を発した千夜は、理香を挟んで彼と反対の位置に立って剣を構える朝緋を横目で見遣った。
(へぇ……隙が無い)
元居た時代で見て来たどの戦士達よりも強いことが分かる構えだった。数本の短剣を両指先に挟み、その切っ先を地に向けているだけなのだがーー確かに、感じる。
ーー強者の匂いを。
(ふふ、これは面白くなりそうだ)
目の前に群がる化け物達も見たことの無い姿をしているから、尚更だ。
どんな風に戦うのだろうか。
どんな風に悲鳴をあげるのか。
どんな風に死んでいくのか。
どんな風に、地を血で染めていくのか。
(さあ、どう殺そうかなぁ……)
背筋が凍る様な冷たさと愉悦を孕んだ漆黒の目が細まると同時に、目の前の化け物達は雄叫びを発した。
それは天を割るように大きく、破壊的で。地面を激しく隆起させた。
「うるさいよ……」
冷たく、そして愉しそうな色を宿していた目は次第に苛立ちに変わっていった。長剣を握る角ばった手に、一筋の血管が浮き出る。
ーーそれは、一瞬の出来事だった。
青黒い液体が、獅子の様な体躯に黒の翼を持った獣から噴き出した。発源点である切り落とされた首元にはーー鋭い、長剣。
飛び散った液体が、切った者ーー千夜に降りかかり、彼の灰色の髪を青色に変えた。
雄叫びをあげるのを止めた他の化け物達の目が見開かれる。
唇にかかった液体を荒っぽく親指で拭き取った千夜の顔に浮かぶのはーー強烈なまでの妖艶な笑み。
今度は懐から取り出した双剣を構え、残された化け物達を怪しい光を宿した目で見据えた。
「さあ、君達もーー大人しく殺されようか?」