〜鎌倉の勇者様(4)〜
「……っ」
誰かに頬を軽く叩かれた気がした。そして、自分を呼ぶ誰かの声も聞こえた。
力無く瞼を持ち上げると、視界に見知った顔が映った。
「せ……んや…」
「やっと起きた。寝すぎだよ、理香」
不機嫌な声。それは、苛立ちさえ孕んでいて。
理香は現状を探るべく、上半身を起こした。
「ねえ、一体私たちはどうしたの?さっきまでは……」
そばに腰を下ろしていた千夜を見据えた時だった。
理香は気づいた。
千夜を通り越した先に、見知らぬ青年がいる事に。
「俺たちはあの竜ーーああ、確かサレイド君だっけ。彼に攻撃を与えられそうだったから、呆然していた君を抱えて逃げたんだ。で、その時にたまたま現れたのが、あの彼さ」
千夜の投げた視線の先には、大木に寄りかかり、腕を組んで瞼を下ろしている銀髪の青年がいる。
「誰……?あの人」
「朝緋…だって。俺と同じように【声主】にこの時代に導かれた男。ああ、鎌倉時代の勇者として選ばれたらしいよ」
鎌倉の勇者。
その言葉を呑み込むには長い時間を要した。
また、勇者。それも、今度は鎌倉の。
本当に、自分はファンタジーの主人公みたいな目に遭っているらしい。
その、【声主】という謎の人物の手により。
「ーーねえ、君。あぁ、朝緋?寝てないのなら理香に挨拶も兼ねて色々説明してあげて?俺に話した事と同じ事をね。俺から話すの面倒だから」
「……分かりました」
てっきり立ちながら寝ていると思ったら違ったみたいだ。
青年ーー朝緋はゆっくりと瞼を持ち上げ、地面に座り込む理香の元まで歩み寄ってきた。
「……私は朝緋と言います。あなたの事は彼から聞きました。彼が言った通り、私は【声主】に選ばれた鎌倉の勇者です」
淡々としていた。
声も表情も。すべてが。
その冷たい美貌と相まっており、彼の無感情な雰囲気を際立たせている。
「ーーほんとに、何がどうなっているの」
気づけば目の前に見知らぬ男。そして、人類の仇敵であるはずの竜達に跪かれ、ーー襲われた。
「……そうだ、千夜、あの竜達は!?」
何故、こんな暗闇に包まれた山奥のような所に自分達がいるのかも分からない。
意気込んで千夜に問いかけると、彼は溜息を吐き、前髪を掻き上げながら億劫そうに答えた。
「知らない。俺たちはあいつらに見つからないようにあの廃れた街を後にしたからね。でも、まだあの街ら辺にいるんじゃない?あそこ、竜巻があるし、なんか燃えてるからね」
千夜が顎で示した先に、その光景はあった。
光を掻き消す暗黒色の空が、それを鮮明に見せていた。
オレンジ。
黄色。
赤。
そんな色彩ではなかった。
黒。
暗色の炎が全てを焼き尽くすべく広く廃れた街を包み込んでいた。
ーーなんて、醜く悍ましい炎なのだろう。
憤怒。憎悪。あれは、それら負の感情が体現したような炎だ。
さらには、世界を貫くように天まで伸びた巨大な竜巻が無数と言っていいほど、この山から見える。
轟音が世界を襲い、邪悪な炎が世界を支配している。
地獄絵図そのものだった。
「なに……これ」
自分が寝ている間に一体何が。
咄嗟に千夜と朝緋を振り返る。
視線で訴える理香に、千夜が気怠そうにしながらも、多分、あの竜達のせいだと思うよ、と答えた。
「竜……」
そう言葉にした瞬間、全身の血が逆流した気がした。自分の四肢を引きちぎりたい衝動に駆られ、何もかもが憎たらしく見える。
なぜ。
なぜ、あの竜達が生き、自分の大切な人たちはみんな逝ってしまったのだろう。なぜ、殺されたのだろう。弱かったから?ーーだったら、なぜ自分は生きている?
「理香?ねえ、どうしたの?」
訝しむような声が、底無しの思考の沼から理香を引きずり出した。
やっと気づく。
いつの間にか、千夜と朝緋が目の前にいる事に。
「ううん、何もない……。それより、ここはどこ?どこかの山みたいなんだけど」
その問いかけに答えたのは、意外にも、名前を明かした時からずっと沈黙を守っていた朝緋だった。
「……私も知らない山です。ただ、あの街からある程度距離があったから来たのです」
無表情で淡々とそう告げ、朝緋は残酷な景色を見つめた。
千夜も怠そうにーーこの悲惨な景色に対して哀れみさえも抱いた様子も無く、朝緋と同じ方向を見据える。
「俺たちがーーああ、正しくは俺な。サレイド君に攻撃されかけた時、どこからともなく現れた朝緋が俺たちをここまで誘導したんだ。大変だったな、いつの間にか気絶していた理香を抱えて、あの街から結構
距離のあるここまで来るのは」
何だか、癪に障る言い方だった。
今まで、状況を把握する事が精一杯だったから、彼の言動をいちいち気にかけていなかったが、ここまで明確に出されては、さすがにいてもたってもいられなかった。
ーー理香に対する確かな苛立ちを。
「ねえ、千夜」
「何?」
「何か私に文句でもあるの?」
この男は理香が竜を前にして狂いかけた時、彼女の髪を掴み上げ、硬い地面に押し付け、軽蔑、そして失望した様な言葉を発した。
あの時は理香は錯乱状態であったから、彼の態度の急変に疑問や怒りを感じれなかった。
「……文句?そんなの無いね」
「嘘」
騙されない。
なぜなら、無邪気に笑っているこの男からは不快な感情が伝わってくるから。
(嘘は嫌いだって言ったくせに)
矛盾している。
「嘘じゃ無いよ?これは本当」
じゃあ、なぜ千夜の目は笑っていない?
「ちゃんと答えて。理由もなく苛立たれるの嫌だから」
「ーー殺したいだけだよ」
その言葉は不思議とすんなり胸の中に落ちてきた。
別に何の疑問もなく。違和感もなく。
ただ、当然のように。
「あれ?驚かないの?」
「うん。だって、どうせそんな感じなんだろうなぁってなんとなく分かってたから」
これは本当だ。
なぜならば、自分は彼の言葉を聞いても別に悲しくなんか無いのだから。
そうだ。
自分は別に怖くなんか無い。悲しくなんか無い。
だから、この手の震えもきっと気のせいなのだ。
朝緋の理香を見つめる目が微かに細められた。