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僕と楓のあいだに

作者: A(C)

 僕はとても自然なふうに、楓に『恋』をした。




 僕が『恋』というものを体感したのは楓が初めてだけど、僕には解った。これが『恋』なんだと。ヒトが無意識のうちに息を吸うように、ほおつたう涙に理由などないように、それはとても当たり前のこととして僕に受け入れられた。

 これがただの自惚うぬぼれでないことは楓が教えてくれた。



 高校2年生の春のこと。クラス替え当日、僕は楓に恋をした。これを一般に『一目惚ひとめぼれ』というらしい。僕はこの初めての感情に驚くこともなく、ただ、その事実を受け入れた。

 『どうやら恋に落ちたようだ』と。



 クラス替えの日、不安げな表情を浮かべた生徒たちが一人ずつ、新しい教室に入ってきた。僕をそれをクラスメイトとして見ることができずにただ傍観者として眺めていた。

 教室の前に貼られた座席表を見るなり、歓喜の奇声を上げたり、嘆きの溜息を漏らしたりして指定の座席についていく。

 僕は何も思わず、その様子を眺めていた。

 そこで楓を見つけるまでは。




 座席表に群がる人だかりを掻き分け、そして奇声も溜息もなく、楓は静かに席に着いた。

 今までに会ったことのない雰囲気だった。

 僕は『奥貫おくぬき』の名札を付けた彼女を、目で追いかけた。僕は、他とは違う異質なオーラを放つ彼女に興味を抱いた。

『もっと知りたい』

 僕にとっての『恋』は、これが始まりだった。


 僕が彼女を見ていると、前の席の浜野はまのが話し掛けてきた。

「おい、伏見ふしみ!どこ見てんだよ。さっきから俺が話し掛けてやってるってのにさ。」

 浜野は「2年連続で席が前後とかおめでとう♪ってか同じクラスおめでとう♪」とニヤニヤしながらこちらに話し掛けている。

 僕は浜野の声で元の世界に戻ってこれた。どうやら見とれていたらしい。



「伏見お前、奥貫さんにヒトメボレか?くぎ付けだったぜ。奥貫さん、いろんな人が狙ってるっていうからさ、お前もその一人か?けどまだ誰とも付き合ってないって噂。奥貫さんは、俺らみたいな凡人には興味ないんじゃねえの?特にお前なんてさ、普通の男子高校生の思考回路してないんだからやめとけよ」

 1年の時から同じクラスの浜野とは特別仲のいい友達ではない。今も、席が前後だから話をしているだけだ。

 二人とも全く正反対の性格だったからこうして話ができているのかもしれない。話といっても浜野が一方的に喋り続けるだけなのだが。

 ・・・しかし浜野はよく喋る奴だ。


「僕が誰かに恋をした、と言えばそれはお前にとって何の得になるんだ」

 何の得にもならないよ、だけど、と浜野は笑って答えた。

「面白いだろ」

 僕は終始無表情で突き通した。

「解らない」

「お前も、気難しい顔してないで少しは笑えよ。俺みたいにさ」

「余計なお世話だ」



 その日の帰り道、僕の隣には楓がいた。別に近づいて彼氏候補になりたかったわけじゃない。いや、近づきたかったのは確かだが、僕は楓に妙な引っ掛かりを感じていて、それを詳しく知りたかっただけだ。

 僕の右手には、楓の新しい教科書が詰め込まれた鞄、そして左側には楓がいた。

「ごめんね!重たいもの持たせちゃって!」

「いいよ、僕も高橋たかはし駅で降りるから」

「そうなんだ!でも、どうして私が高橋駅で降りるって・・・」

 彼女が言いかけている最中に、僕は右手の荷物を持ち上げて、吊り下げられているカードケースに注目させた。

「定期」

「・・・なるほど!ありがとね、伏見君」

 彼女は『気難しい』と言われている僕の言動に全て笑顔で返してきた。それが、今朝見た彼女の姿とは別人に見えて、少し寂しくなった。

 学校から高橋駅までの15分間、僕らはこれ以外何も喋らなかった。僕と20センチくらい身長差のある彼女の、胸まである栗色の髪が電車がゴトン、と動くたびにサラリと揺らぎ、少しシャンプーの匂いがした。



「じゃ、僕はここから自転車だから」

高橋駅に着いた。

「うん、ありがとね、伏見君」

 僕は右手の重い荷物を楓に渡した。楓に渡った瞬間に、その重さに驚いた顔をした。

「大丈夫か?そんな一度に持って帰らなくてもよかっただろ」

「……ここから自転車だから、乗せたら大丈夫!……馬鹿でごめん」

 楓は自虐にはにかんでみせた。

……まただ。

……どうしてそんな悲しい笑顔を見せる?

また、悲しそうな笑顔を見せた。今朝とは別人の、ただ可愛いだけの顔。

「持っていくよ」

 見かねた僕は、僕の自転車が停めてある所とは別の所の自転車置き場まで鞄を運んでいった。彼女に『ありがとね、伏見君』と言われたい気持ちはさらさらなかった。

 純粋に、ふらふらと歩く彼女が――

 誰にも助けを求めようとしなかった彼女の、強さみたいなものが見えて――

 その姿がとても――美しかったからだ。

 僕は楓と別れた後、自転車で家に戻った。



 部屋で今日初めて会った女の子の姿を思い返していた。確かに容姿は可愛らしい。それでも、外観からは想像できない強さのようなものが僕には、見えた……はずだった。何で無茶をするんだ。どうして悲しい笑顔を見せるんだ。

 彼女が隠そうとしているのは一体何なんだ。僕が今朝、目で追いかけた姿はどこへ消えたんだ。



 次の日、僕は廊下で楓に話し掛けられた。荷物を持ったことも、一緒に帰ったことも、謝罪も感謝も、あの日一日だけの関係だと思っていた僕は、いきなりのことに準備もできていなくて素直に驚いた顔をした。

「昨日はほんとありがとね!」

 楓は「お礼がしたいんだけど!」と続けた。

「お礼?」

「そう、お礼」

「いいよ。お礼の言葉なら何度も聞いたし、それにあの時、僕の荷物が重かったり僕自身急いでいたりしたら……そして何より、君が他の生徒に助けを求めていたら、僕は君を助けなかっただろうから」

 自分より20センチも身長の低い彼女を見下げながら淡々と語る僕は自分でも、何てひねくれた奴なんだ、と思った。ただ僕は「お礼なんていらない」って言いたいだけなのに、遠回りした言葉を遣ってしまう。僕は、偽善者になんかなりたくなかった。


「じゃあ受け取ってもらえなくていい。でも、今日も一緒に帰ってほしいの」

 そう言いながら、楓は自分のポケットの中に入っていた飴玉を一つ取り出して、僕のポケットの中にすとん、と落とした。そのあまりにも慣れた手つきに僕は拒むことができず、飴玉一つくらいなら、と受け取ってしまった。


「また荷物?」

 楓を見下げて、続けて言う僕は、周りから見ても感じの悪い奴だろうと思うし、実際僕もあまり面白くなかった。自分の思うように言葉が出てこなくて、僕は言葉を発することに初めてもどかしさを感じていた。

「……ううん、違う……ごめん」


「はいはい、ストップストップ。そろそろ授業始まっちゃうよ?2人とも、教室入ろっか。…ね?」

 廊下で立ち話をしていた僕らのことは、やはり僕がああいう態度なものだから危ない雰囲気でもあったのだろう。いつの間にか周りに人が増えていた。見かねた浜野が僕がを教室へ入るように諭したのだ。

 時計をふっと見、焦ったようにして楓は自分の席へと帰っていった。僕は浜野からの鋭く、冷たい視線に気付き「何だ」と聞いた。

「『何だ』とは何だ!『あの』奥貫楓ちゃんだぞ!話せるだけでもありがたいというのにお前という奴は……」

 ヒソヒソ声にしては声が大きい。浜野のマシンガントークは始まってしまったみたいだ。こうなってしまってはもう、止められない。

 ただ、こちらには最終兵器がある。

「ま、つまりお前は僕と奥貫さんが話していることについて不服なわけだ。嫉妬なわけだ。君は、奥貫さんが好きなわけだ」

 僕も、きっと悪い笑みを浮かべていたに違いない。

「伏見……どうしてそれを……」

「さあ。僕は浜野という人物について全く興味がない。その一方で、浜野という人は僕の生き方に文句があるらしい。君の好きな人について言い触らしてみたところで誰の得にもならない。だからね、僕は思うんだ。あと5秒後にチャイムが鳴る。君は、それまでに席へと戻れるかな?次は千葉先生なんだが……」

 僕は浜野に言葉の暴力を浴びせながら、ゆっくり席へ近づいた。腕時計の秒針が12を刺したのと同時に、僕は席に着いた。千葉先生がやってきた。浜野は僕の目の前の席に居なかった。

「浜野!お前という奴は4月早々……!」

 僕は心の中で呟いた。「馬鹿め」その時、不意に楓の方を見てしまった。




 その日、僕は楓を避けて帰ろうとした。しかし学校から一番近い駅で、僕は楓に見つかってしまった。走ってきたせいか楓の頬はほんのり赤かった。

「ごめん、話があるの」

「……何?」

 また、僕らは電車の中で黙ったままだった。『話がある』と言った彼女も何も言わない。ただ、僕はこの時間は嫌いではなかった。彼女がどう思っているか知らないが、彼女が作っている孤独な時間が僕は嫌いではなかった。

 黙りこくったまま、高橋駅に着いた。荷物を運んだあの時とは違って、これで用事が終わったことにはならない。彼女は何を、どこで、話すつもりだ。



「こっち」

 楓は僕の腕を引っ張った。楓は電車に乗り込んだ瞬間から一つも笑顔を見せていない。笑顔の裏に何かあると信じている僕には、違和感を覚えない分心地よかった。

「何で僕なんだ?話なら、君の友達にでもすればいいんじゃないか。あいにく僕は話が苦手でね。君の納得いくような返しなんてできやしないよ……」

 何も言わず、制服を話す気配もないまま楓と僕は歩き続けた。



大きな川の横。そこで楓は立ち止まり、引っ張っていた手を離した。楓は沈黙していた。その場でたたずんでいる楓は、風も止まって長い髪も揺れず、時が止まったように見えた。

「座ろっか」

 立ちっぱなしもなんだと思って僕はバッグを草の上に放り出した。

「……ううん……やっぱり、……いい」

 一言ずつ、ゆっくりと、噛み締めるように楓は言った。うつむいたまま、僕と目を合わせようとしなかった。

「そっか」

 楓は帰っていった。単なる女子の気まぐれか、僕が気に障るようなことを言ったか。

 ……後者だろうな。わからないけど。心当たりはある。どれかも分からないほどに。むしろ、わざとなんだ。近付いたらいけない気がするんだ。何故か。

 楓が帰ってしまった後、僕は河川敷に取り残された。



 よくもまあ、こんなところで僕を独りにしてくれたものだ。何の意味もなく寝転がってみる。連日晴天で今日も雲一つない空。

 彼女を遠ざけたいと思って傷つけるようなことをしてしまうなんて――小学生かよ、僕。

 ――小学生だ。謝ろう、明日。

 ――僕は小学生じゃない。




 翌朝、教室で楓に会えた。本を読んでいたが、僕に気付いてか栞を挟み笑顔で応えてくれた。

「ごめん。昨日は」

「……私何もされてないよ!謝られるようなことって……昨日は私の気が変わっただけ。私の方こそごめんね!」

 きっと浜野くらいの低能な人間なら照れ笑いでもして改めて惚れ直すところか。僕は確信した。これは『恋』じゃない。『恋』という『恋』はしてきたことないが、僕にでもわかる。

 ただの『仲間意識』だ。

 確かに独りの楓の周りには近寄り難いほどのオーラがある。僕はオーラなんて非現実的なものは信じないが、楓の周りには感じる。

 人を退ける力。

 僕は今まで会ったことのない人間に興味を抱いただけだ。バカバカしい。

 人気者の女子に仲間意識を持つなんて、自惚うぬぼれにも程がある。

 正反対じゃないか。

 表面は。




 あの謝罪の日から、僕は更に楓と距離を置くようになった。所詮独り。『人間嫌いの伏見君』と似た人が現れたから興味を持ってしまっただけ。二日間限定で仲良くしてもらっただけ。



 数日経って、僕は一人で電車に乗り、一人で河川敷に行った。また意味もなく寝転んで目をつぶってみる

 ここは、僕が唯一恐れを感じる場所。記憶は定かではないが、確か久しぶりの家族3人でのお出かけだった。




 僕がまだ小さくて、無邪気に笑えていた頃のこと。声変わりなんてまだまだ先で、高い声でキャッキャと笑っていたと思う。僕たちは、おばあちゃんち近くの河川敷に遊びに行って、久しぶりに家族っぽく会話をしたりボール遊びをしたりした。

 その日の晩御飯は僕の誕生日と同じくらい……いや、それ以上豪華だった。

『今日何の日だっけ?』

 幼い僕は母に尋ねた。

「記念日よ。パパとママの」

「その話は後にしよう。ケーキも買ってあるんだ。話はそれを食べてからだ」

 何か、変だった。

 いつも会社の愚痴をこぼすか黙ったままの父が、テレビに夢中の母が、今日だけは仲良く話をしている。僕の過去のことばかり。


 ケーキも食べ終わり、一緒に出されたストレートティーが3分の1くらいに減ったところで、母が笑顔で僕に尋ねた。

「パパとママ、どっちが好き?」

 幼い頃から僕は勘が鋭かった。どこにも例はなかったが、幼い無知の僕にも『家族3人で暮らすことはもうないだろうな』と思った。

 どこか外へ遊びに出掛けなくても、リビングにみんなで居て、豪華でなくてもご飯を一緒に食べて、何も話さなくても揃っている。僕にとっての理想は真逆の現実になると気付いた。

 母からの問いは究極の難問だ。これは、結果だ。僕に案を求めているのではない。『パパ』を選んでも『ママ』を選んでも、ましてや『両方』を選んでも全て不正解だ。

 僕は沈黙を選んだ。どこにも正解はない。


「健太?どっちを選んだって、パパも、ママも、健太を責めたりしない」

 僕には今日の行く末が分かっているから、どっちを選ぶこともできない。

「健太、よく聞けよ。パパとママはもう一緒に入られない。離婚するんだ。健太は賢いから分かるよな。どちらか、選べるかな?……ママの所に行くか?健太。パパは仕事で健太のご飯を作ってあげることができないからな」

「ちょっと、やめてよ。健太に強要するなんて。でも、私だって生きるためには仕事に出なくちゃいけないんだから、健太とずっと一緒に居てあげるわけにはいかないわよ」

 仲……悪いね。邪魔者のように僕を押し付け合う。

「ママにする。ママの付いていく」

 僕にはただ一つの言葉しか頭になかった。

『良いことの後には悪いことが訪れる』たった一日の良い出来事だったのに、悪い事はこれから先も長く続いた。




 母に付いていくことに決めた僕は、とりあえずの住まいとして祖父母の家に居候することになった。祖母は温厚な性格で、転校してまだ学校に馴染んでいない僕を気遣ってくれた。

 一方祖父は厳格な人で、実家に帰ってきた母に対して冷たく当たり、そして母の居ない時には僕と祖父に向かって愚痴を吐いていた。

 毎日、朝と晩は祖父母と僕でご飯を食べる。理想としていた『一緒のご飯』なのに、何かが違った。笑顔だってあった。ほとんど祖母のだけど。でも、独りで食べる方がマシだと思っていた。



 母は、父と別れて早々に仕事を見つけられたようで、なかなか家にいることがなかった。そして、遂に帰ってこなくなった。

「健太、この家でお爺ちゃんとお婆ちゃんの言うことをちゃんと聞くんだよ?」

「ママ、どこ行くの?いつ帰ってくるの?どうして僕は付いて行っちゃだめなの?」

「お父さん、お母さん、健太をよろしくお願いします」

 終始母と目が合わなかった。祖父の顔なんてもう、形容できないくらいに怒りが沸いている。

「二度と帰ってくるな!……母さん、塩撒いておけ、塩!」

 祖父はそれだけを祖母に伝えると、見送りもせず書斎に戻ってしまった。

「健太、昨日隣のおばさんにもらったお菓子、食べる?」

「ううん、いらない」

 あの当時は大人の事情なんて理解できなかったけれど、後々祖父から聞けば、父と母と僕、家族3人で暮らしていた頃から母には彼氏がいた。結婚前に働いていた会社の上司だった。

 父にも彼女がいた。高校時代に付き合っていた人で、同窓会で再会したらしい。

 ――つまり僕は、正真正銘邪魔者だったってわけだ。

 父も母も、偽善者だ。裏切り者だ。演じるなら演じるで貫いて欲しかった。途中で気が変わるくらいなら、僕を生まないで欲しかった。

 父も母も、この世界で一番キライだ。




「あれ?伏見君?久しぶり」

 聞き覚えのある声を探そうと僕は目を開けて辺りを見回した。

 ……いた。

 楓だ。会うのは何日ぶりだろう。隣には私立工業高校の制服を着た男子がいる。彼氏、いたんだ。

「何してるの?」

「……うん、前に奥貫さんとここに来たとき、思い出したんだよね。昔の楽しかった思い出。そいつに浸ってた」

「思い出?……意外だな。過去何て、気にしないような人だと思ってた」

「決めつけんなよ」

 楓の言うことは八割方あっている。過去なんて気にしないというか、気にしたくない。思い出したくもない。楓と前にここに来たとき、一種のフラッシュバックのように思い出されたのだ。今日ここへ来たのも、きっとそう。自ら来た、というより来なければ、という気持ちだった。


「それで?奥貫さんは何してるの?」

「私?私はね、買い物の帰りにタクに会っちゃって、一緒に帰るところ。ね、手伝ってくれない?弟と2人でお好み焼きでもしようかと思ってたんだけど、作り方とか焼き方とか記憶が曖昧あいまいで……。材料はあるの!あっ、ダメか。もう伏見君のお母さん、ご飯作って帰り待ってるよね」

 河川敷の向こうの方で、賑やかなちびっ子たちの野球をする声が今までよりいっそう大きくなった。もう夏が来る。

「いいよ。行ってもいいんなら。何回か作ったことあるから。僕の家のことは気にしないで」

「そう?ありがとう!助かる!」


「なあ楓、話してるところ悪いんだけど、この人……誰?」

「あ、あぁ、紹介するね。クラスメイトの伏見健太君。ほら、この前重たい荷物運んでくれたっていう……」

「あの人ね」

「それで、この人はみね拓也たくや。幼馴染なの」

「……伏見です。よろしく」

 一見チャラそうにも、賢そうにも見える顔立ち。日も落ちているせいか顔はハッキリとはまだ見えていないけど、クラスの3,4人の女の子はこの峰って奴を狙っているはずだ。

「早く帰ろーぜ。光河こうがが待ってる」

「ほんとだ。早く帰らなきゃ。伏見君、行こう!」

 楓の家は河川敷のすぐそばにあった。まだ新しい家。僕が幼い頃河川敷に遊びに来た時にはまだ建ってなかったんだろうな。


「ただいまー」

 楓から順番に峰、僕と上がっていく。155センチくらいの楓と、175センチ以上の僕ら2人。まるで兄弟のようだ。玄関から上がると、お腹を空かせた光河が峰に抱き付いた。

「お姉ちゃん、この人誰?」

「お姉ちゃんと同じクラスの伏見健太くんよ」

 ふーん、と光河は僕をジロジロと見る。何を考えているんだろう。子どものことはよく分からない。この子、4歳くらいかな……。

「えらく離れてるでしょ?歳」

 僕はう、うんと頷いて見せた。楓が笑顔を見せたとき、光河は僕に抱き付いた。やめてくれ、子どもは苦手なんだ。扱い方だって分からないし。……それに、幼い頃の僕に似てる。幼い頃の僕とダブって見える。

「ごめんね、その子、抱き付き癖があるの。まあ、足もとに抱き付いて動けなくさせるくらいだから。我慢できなかったら払いのけてもいいから」




「伏見君、ほんとに1人で暮らしてるの?私に気を遣ってるなら、今すぐ電話しないと……」

「ううん、ほんとに1人暮らしだから」

「楓のクラスメイト……ってことはお前高2なんだろ?1人暮らしするには早くないか?あれか?家出とかか?」

 どこか、この峰って奴は浜野に似ている。人のプライバシーの領域に土足でズケズケと入り込んでくる。まあいい、いい機会だ。

「そんなんじゃないよ。幼い頃両親が離婚して、母親の実家で暮らしてたんだけど、母が仕事で単身赴任してて、祖父も死んじゃって、祖母は予約が空いたからって老人ホームで暮らしてる」

「お前も大変だな」

 一言で片付けられたくないよ、と思いながら鉄板の上にあったお好み焼きをすぐ頬張った。しまった、熱い……




「タク兄ちゃん、健太兄ちゃん、また来てね!」

 光河の小さな手が振られている。こんな純粋な人に初めて会った。無知って楽そうでいいな。僕にも、こんな時期があったんだろうか。光河と楓に見送られ、僕と峰は二人で外に出た。

「いつから好きなの?」

 僕は峰に尋ねた。楓の家に行く前、それらしいことを聞いた気がする。まあ、僕の楓への気持ちは『興味』とか『憧れ』であったわけで、『恋』じゃないって分かったから関係のない事なんだけど、僕はこの峰という男にも興味を持った。

「わっかんねえ」

「そっか」

「漠然としている、って感じかな」

「……どういうこと?」

 思った通りだ。浜野はこんな回りくどい言い方をしない。そもそも浜野は『漠然』って単語を知らないんじゃないか。

「あいつ、兄貴がいたんだよ。でも、楓が7歳くらいの時にそこの河川敷で増水した川で溺れちゃってさ、助けようとした兄貴と父親がその時死んで、俺に言ってきたんだよな。『私のせいだ』って。俺にはどうすることもできないし、ただ『それは違う』って言ってあげるだけだったんだけど、俺がこいつの兄貴になる、って決めたんだよ。『悲しませたくない。笑顔でいて欲しい』って想いが、わっかんないけど恋心に変わっちゃっててね。ま、今ではただの幼馴染で、兄貴らしくもできなくなっちゃったんだけど。ほら、あいつの方が頭いいから。頼られる人にはなれなくてさ」

 やっぱ、浜野とは違うな。考えていることが。いや、待てよ。何で僕、峰と浜野を比べるばかりしてるんだろう。

「暗い話、ごめんな。あ、俺の家こっちだから。じゃあな!」

「いいよ、僕が聞いたんだし。おやすみ」

 『兄貴になる』この気持ちが『恋』に繋がっていくなんてな。僕のは、『恋』から『興味』へ変わったけど。……峰、いい奴だったな。




「私ね、伏見君を光河に会わせて、光河が懐いたら伏見君に言いたいことがあったの」

「それってこの前の河川敷で言いかけた話?」

「それとはちょっと違うかな」

 僕は楓と久しぶりに学校で話した。昨日会って一緒にご飯まで食べたというのに、久しぶりな気持ち。変な感じ。妙に緊張感があった。河川敷で峰と居た楓と会った時は何週間も話していなかったけど普通に話せていたのに。




「好きです。付き合ってください」

「あ、うん」




放課後、僕は楓から告白された。即答には理由がある。

『もっと知りたい』

 それに、もしかしたら興味から恋心に変わるのかもしれないし。楓には悪いが、このとき僕は楓への恋心なんて1ミリもなかった。

噂は間もなく広まった。どこから漏れたのかは知らないけど、隠す必要もないし元々クラス替え当日から一緒に帰っていたくらいから『もしかして』という噂はあったから、みんなの話題になってしまったのかもしれない。

僕らは周りから何を言われても気にしないことにした。

楓は学校で5本の指に入るほどの美少女だと浜野が言っていた。僕も、学力では人に劣ったことがない。噂は急激に、たまに嘘も混ざりながら広まった。

特にうるさかったのが浜野だ。入学当時、違うクラスなのに毎日楓を見に行っていたほどの熱烈なファンだ。

「伏見!何でなんだよ!俺が奥貫さんのことを好きだって気持ちを知って……」

「楓から告って来たんだぜ」

「奥貫さんのことをか……楓だなんて!」

「楓がそう呼べっていうから……」

「泣かせるような真似したら許さないからな」

 やっぱり、浜野と峰は似ている。この前帰宅していると、ほとんど同じことを峰からも言われた。

 『楓をよろしくな』峰は笑って言った。今度は本当に楓の兄貴にでもなるんだろうか。



 放課後、僕ら2人は河川敷にいた。

「でね、まあタクから聞いたと思うんだけど、父と兄が死んじゃって、お母さんと2人っきりになっちゃったの」

「光河君は?」

「やだな、歳考えてよ。その後、お母さんは再婚して光河が生まれたの。光河が大きくなったら血が繋がってないって言うつもりだけど、今はまだ言ってない。理解できるかどうかも分かんないし」

「幼稚園児だもんね」

「そうそう。あ、私のことばっかり喋ってる。ね、健太のことも聞かせてよ」

「両親の離婚のことはこの前お好み焼き食べながらしゃべったじゃん」

「そっちじゃなくて、健太が一人で河川敷に座って、楽しいこと思い出してたって言ってたでしょ?あれ」

「あー、あれか。全然楽しくないよ。それでも……聞く?」

「うん、聞きたい」



 僕は河川敷での楽しかった思い出をはじめ、両親の僕の押し付け合い、厳格な祖父の虐待じみたことまで話した。人間嫌いの僕がここまで信頼できるようになったのかと、自分でも驚いた。

「結局さ、悪い事の後には良い事があるって言うけど、良い事の後には大きい悪い事があるんだよ。それで、ずっと抜けられない」

「そうかな」

「そうだよ」

「私はそうは思わないけど」

「そうかな」


「私はさ、父も兄も亡くして、あの時私が死んで2人が生きてたらって考えちゃうこともあるんだけど、タクに支えてもらって、新しいお父さんもできて、光河も生まれて、そして健太がいる。健太だって、厳格なお爺ちゃんのスパルタ教育のおかげでそんなに頭がいいんじゃん?」

「そんなに良い方向に考えられる楓は凄いよ」

「私も辛かったんだもん。でも、悲しんでいるより笑っていた方が、人生得でしょ?タクの受け売りだけど。ねえ、今でもお父さんやお母さんのこと、嫌い?」

「嫌いってわけじゃないけど、どうして僕を生んだのかは聞きたいかな。結局邪魔者のようにしてたわけだし、あ、でもやっぱいいや。今更会ったって……」

 街ですれ違っても、絶対に気付くことはない。顔を覚えていないのだから。

「あ、そうだ。うちのお母さんからの伝言。健太が一人暮らししてることを言ったら、いつでも呼びな、って。ご飯は大勢で食べたほうがいいって。それと、早速今日鍋にするから連れてきなさい、だって」

「ありがとう、行くよ」

 他人の家。でも、この前久しぶりに大勢で食べたお好み焼きは、特別材料が良かったわけじゃないのにいつもの数倍旨かった。まさに、僕の理想だ。でも、今日は両親もいるのか。何か持って行った方がいいのかな。峰は来るのかな。

「そうと決まったら早速行こう!」

 楓は僕の手を引っ張って、家へと急いだ。何も準備していないというのに……



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