原点と慈しみ
「私のことを想ってくれるなら、何でもいいから報告して。落ち着くまでは。」
帰りがけに抱きしめられた温もりは本物だった。さとみは私がどうにかなってしまうのではと心配してくれている。
私も不安だよ、正直なところ。
それでもさとみに会えたから、落ち着きを取り戻すことが出来た。
私はさとみの気持ちには応えられない。そんな私が出来ることは、ありのままの自分を、悠理と向き合う自分の姿を包み隠さず見てもらうこと。さとみもそれを望んだ。私たちの歪になった関係は、いずれ元に戻っていくのだと思う。様々な葛藤を抱えながらも、私たちはそうなることを望んだのだから。
たとえ何があっても、悠理が結果を出すまでは傍に居ると決めたから、もうだらだらと考えている暇はない。
「ありがとう、また連絡する。だから、全部見ていてほしい。」
こんなにも自分の弱さを、自分の足元を見たのはいつぶりだろう。
それでも決めたから。後悔する暇が無いくらい私は走る。
***
田舎道を北へ北へと走り続けると、山々の赤黄色がちらほらと目立つようになってきた。それでもまだ紅葉の見ごろとは言えない中途半端な季節ではあるが、私は窓から流れ込んでくるからっとした秋の空気を心地よく感じていた。空は夏より薄い水色になり、雲も風に流れるように細く散り散りになって広がっている。綺麗な秋晴れだ。
「気持ち良い~。ずっとこんな天気が続けばいいのに。」
「あと一ヶ月もすれば一気に寒くなるもんね。本当、ずっと続けば良い。」
助手席でコーヒーを飲みながら悠理が答える。久しぶりに巻かれた髪は肩から胸下へと伸びていて、端整な横顔が更に際立つ。私は運転しながらもちらりちらりと悠理に視線をやっては見惚れていた。いつになく今日の悠理は綺麗に見えたから。
私の誕生日の前日、今日は二人の地元へ帰る日だ。
目的地への中間地点となるパーキングエリアで一度休憩するために車を止めて、道の駅となっている建物内のフードーコートで少し季節はずれのソフトクリームを注文した。
「んーっ、おいしい。なんでただのソフトクリームがこんなに美味しく感じるのか。」
「旅行の良い所だよね。といっても行き先は地元なわけですが」
「田舎者は帰省するだけでも旅行になるのよ、最高じゃない?」
確かに、と笑う悠理に、私もしてやったりと満足気に顔を綻ばせてしまう。それを見てなお面白そうに悠理は笑った。
いつもと変わりない他愛の無いやり取りの、一つ一つが愛しく感じる。館内のお土産コーナーを手を繋いで見て回る。あれがいい、なにこれ、などと一つ一つの会話を繋いで楽しむ。全てが特別な心地がする。
「今日はね、亜純と行きたいところが二つあるの。だからここからは私が運転するね。」
悠理の言葉に気持ちが引き締まる。表情はいつものように穏やかだが、その声色からは強い意志を感じさせた。私は素直に頷いて助手席に座ることにした。なんとなく覚悟し、期待していた。何かしらの想いをこの帰省中に打ち明けてくれるのではないかと。
「もちろんいいよ。どんなところだろう。」
「一つは私のお気に入りの場所かな」
悠理は優しく微笑んで、車を出発させた。
目的の地元市内に入ると、その車はまっすぐ高台のほうへと向かっていく。その途中にある花屋に車は止まった。綺麗に彩られた花々を眺めては、これが好き、あれも綺麗だから今度部屋に飾ろうかな、などと見ていたが、悠理が一角で立ち止まり、花を吟味し始める。
後ろから近づいて覗き込むと、仏花の一角だった。はっとした。私が望まずとも、彼女は私を連れて家族の眠っている墓へ行くつもりだったのだ。
「どれにするの?」
問いかけると、考えるように目を細めて「そうだな、いつもはあまり派手ではないものを選んでたよ」と言った。派手ではないもの、きっと一般的な仏花しか購入していなかったのだろう。悠理の隣にしゃがみこんで私は一緒に吟味したが、仏花はどれも同じように思えた。あまりこれといって惹かれる束が無く、目線を横に逸らすと青紫のリンドウの花があった。まるで悠理みたいに、凛としていてまじりっけのない花。一目見てこれにしようと決めた。
「これ、綺麗。リンドウと菊の花をメインにしようよ。私に買わせてほしい。」
「…うん、ありがとう。」
悠理はリンドウを一本手にして眺め、微笑んだ。
私も高台にある墓地を知っている。
私の曽祖父もこの墓地で眠っているのだ。街を見下ろせる綺麗な丘があって、隣接するように屋根がついた休息所のようなものがある。老朽化はしているが、開放的なその場所が私は好きだ。父方の祖父母が生きていたころは墓参りの後持ち寄った弁当をそこで食べていたことを思い出す。豊かな自然と共存しているこの場所は、来る度穏やかな気持ちになれた。
まさかここに、悠理と一緒に訪れることになろうとは。
警備員に駐車場へと誘導されたが、案内は不要なほど人が少なく閑散としていた。お盆の時期の過ぎた今は、殆どの人が墓参りを済ませた後なのだろう。煩わしさのない環境に安堵を覚え、車を降りた。
カランと音を立てて柄杓を水桶の中に入れ、そこへたっぷりと水を注ぐ。悠理が水桶を持つ代わりに、花と悠理の持ってきた供物の入った鞄を私が持ち、一緒に目的の墓前へ向かう。私も悠理に足並みを合わせてついて行く。
すでに蜻蛉が縦横無尽に駆け回っているが、夏に出遅れた蝉の声も入り混じって聞こえてくる。夏と秋の中間地点なのだろう。しばらく歩くと立派な墓が左手に見えてきた。一般的なグレーの墓石が並ぶ中に、他よりも少し広く括られた敷地内に、どっしりと構える黒い墓石だ。それを何気なく見ていると、目の前を歩く悠理の足が止まった。
「ここなの、私の家族のお墓。」
長閑な場所に佇むこの墓が、悠理の、悠理を生んだ両親と兄が眠っている墓。
正面から真っ直ぐ構えて見れば本当に立派なもので、その厳かな雰囲気に息を呑む。そこには少しくたびれているが、枯れていない仏花が花立に刺さっていた。
「来る頻度も季節もばらばらなのに、いつも枯れずに花があるの。想ってくれる人が未だに来ているみたい。」
墓周りを掃除して、買ってきた花を生けなおし、線香に火をつけて立てる。やわらかい香の匂いを感じながら、二人で手を合わせる。虫の音がいっそう大きくなった気がした。私は両手をしっかりと合わせて、目を瞑った。悠理の家族へ伝えたい、悠理と巡り合わせてくれてありがとう。
「今でも三人は一緒にいるんじゃないか、って気がしてる。私だけ置いていったことは未だに胸が痛いけど、あの時はそうすることしか出来なかった。みんな弱かったから、仕方ないよね。」
独り言のように呟いて、墓石に指をのばしてそっと撫でる。その仕草が愛おしさからきているのか、悲痛な想いを伝えようとしているのかはわからない。
「次はいつ会えるか解らないけど、またね。」
撫でる手を止めて、語りかけるように悠理は言った。
少し遅めの昼食をファームレストランで終えたあと、様々な場所をドライブすることにした。悠理は帰省しても毎回同じような道をしか通らないため、レストランへ行く道でさえ知らない建物や閉店した店を見つけては驚いていた。
「今は一人じゃないから、色々見て懐かしみたいな。」
可愛い我侭をぎゅっと手を握られて言われては、二つ返事で了承するしか選択肢は無い。そもそもハンドルを握っているのは悠理である。
たぶん、個人経営であったのだろう飲食店が潰れ全く違う店になっていたり、空き地だったと記憶していた場所には大手チェーンの餃子屋が建っていたり、注視すればするほど町並みは変化していた。相反して昔から変わらず営まれている店もあり「いつになったら潰れるのかしら」などと悪態をつきたくなるような古く朽ちているリサイクル店もある。こんなふうに町並みを意識したのはいつぶりだろう。
「あのお店って昔駄菓子屋じゃなかった?」
「あぁ、覚えてる!おばちゃんがいつも店番してて…夫婦でやってたとこでしょ?」
「そう!百円にぎりしめて行って、どれだけ沢山買えるか考えながら買ったの覚えてる。」
「私は欲しい物を欲しい分だけ買ってもらってたかな」
「うそでしょ?あーなるほどね、お嬢の悠理さまはお金なんて気にしなかったと」
「ふふ、小さい頃は天真爛漫という名のわがまま娘だったからね」
悠理から幼少時の話が自然とでたことが、とても嬉しかった。駄菓子屋は私の実家から少し離れてはいたものの、夏は自転車で十分も掛からず行けたのでよく行ったことを思い出した。悠理もここに来たことが何度もあるなら、本当に私たちは小さい頃に出会っていたのかもしれない。
「亜純の家はどこ?見てみたい」
「いいよ、あの歩道橋を右に曲がって小道に入って」
実家は少し古い一軒家で特に代わり映えのしない小さな家だ。正月に一度帰省してから帰っておらず、次はまた正月に帰ることになるだろう。親不孝で申し訳ないが、帰省するより今は少しでも悠理と居たいのだ。
実家には小さな庭があり、トマトや茄子が例年と変わらず実っていた。今年も父は張り切って菜園に取り組んでいるようで、その様子を思い浮かべて笑ってしまう。悠理は車で徐行しながら実家を見つめて「いいお家だね」と言った。ありがとう、と告げると、ゆっくりと車は家の前を通過していった。
「じゃあ次は私の家ね。今はどうなっているのかな」
「いいの?」
「うん」
車はそのまま進み、団地沿いを抜けて坂を下っていく。この近くに公園があることは知っていて、小さい頃は冒険のようにこの公園へ自転車で遊びに行ったものだ。その公園沿いの道へ出ると遊具が見えてくる。大人数でかくれんぼや鬼ごっこが出来ていた木製の船のような遊具は、金属で出来た車型に変わっていた。ただ鉄棒やブランコの配置は変わっておらず、懐かしい気持ちになる。
「この公園、たまに冒険がてら来て遊んでた」
「そうなの?私もよく遊んでたよ。家も近いし」
鼓動が速まっていくのを感じる。私は緊張し始めていた。悠理の育った家に、辛かったであろう過去を思い起こさせる家に、これから私たちは向かうのだ。