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再熱の予感

 


 ――――――私はほかのどんなところより、ここが好き。少し寂れた雰囲気とか、綺麗なのにどこか暗い、というか。




 秋の冷たい風は、どんどんと体温を奪ってゆく。

 髪の毛は乱れて顔に張り付き、払えども覆いかぶさってきたが、私は手元の便箋から視線を逸らさなかった。

 カサカサと音を立てて皺をつくっていく便箋。そこに記された丁寧な文字の羅列。

 見上げたその先には小さな林が広がっていて、ざわざわと風に靡いている。

 枯葉がひらひらと降ってきて、私の足元を染めた。綺麗な紅葉だった。

 けれど不思議なことに、安堵感はない。

 足元から何か黒いものが這い上がってくるような、ぞわぞわした感覚が身体を駆け巡るのだ。



 ――――――私は、あなたを



 いつもよりその感覚が強いのは、私はこの先に何が待ち受けているのかを知っているから。

 喉を鳴らす、深呼吸をする。会えるのだ。


 私が迎えに来たら、彼女は喜んでくれるだろうか。私の腕の中で、彼女は微笑んでくれるだろうか。

 冷たくなり始めた両手を合わせて指を絡めると、心に熱が宿る気配がした。今日はこの暗闇と、同化できそうな気がする。





 ***




 少し、私の話をしようと思う。

 小野亜純。年は二十七、俗に言うアラサーだ。

 義務教育を卒業してからというもの、私は圧倒的に〝恋愛〟と名の付く感覚に振り回されて生きてきた。バイセクシャルなのだと思う。惹かれるままに男女問わずに付き合ってきたが、自分のセクシャルを言葉として決定づけてしまうのはなんだかつまらないから『思う』だ。実際付き合った割合でいくと八割は女性だし、レズビアンと言われるかもしれないけれど。要するに枠に捕らわれたくないという無駄に高いプライドが根底にあるのだ。のらりくらりとやり過ごしながら社会になじむふりをして、自分でも嫌悪するこの性根を宥めすかせる。そんな私が恋愛に依存するのは必然だった。


 恋愛の形はいつも一緒。本当は対等に愛し愛される関係になりたいのに、どうしても行き着く先は不幸な結末に終わってしまう。

 相手への依存心がどんどん芽生えて増幅し、自分自身を追い詰める。

 私を肯定してくれるのはこの人だけだと思い込む。そうして最後には縋るように愛を強請り、愛想をつかされてお別れ。

 わかっている。

 私は人に必要とされることだけに存在意義を感じる、からっぽな人間なのだ。

 だから誰にも必要とされない私は、生きる価値を見出せなくなる。

 わかっているのだ、こんなことを繰り返したところでなんの意味もないことを。変わることなどできないことを。





 ふと顔を上げると、目の前にはグラスを持った上司が居た。


「なんだ小野さん、全然飲んでないじゃないか」


 飲んでいますよとプラスチックのカップを掲げて乾杯し、わずかに残ったビールを飲み干す。上司は舐めるような視線を足先から顔まで寄こして「がはは」と笑い、私の頭をぽんぽんと叩いた。愛想笑いを浮かべながら食べ物を取りに行くふりをして数歩離れると、上司はすぐに周りを見渡して近くの女性グループのところへ絡みに行く。自分の表情が抜け落ちるのを感じながらその様子を一瞥し、嫌味を込めてセクハラ上司、と呟いた。

 私が嫌いな男の典型だ。あぁ、背筋が寒い。

 空を見上げれば雲一つない快晴で、私たち会社の人間を取り囲むように大きな桜の木々が花をつけて美しく揺れているというのに。


 今日は年に一度、社外で開かれる花見兼、親睦会だ。

 毎年開催されていたが、参加したのは今回が初めて。同僚で仲良くしている女性陣に誘われて付いて行くことにしたのだ。あまり乗り気ではなかったものの、寂しさを紛らわすのには丁度いいかと思った。入社してからこの時期に独り身なのも初めてだった。


 残念な上司に気分を害されたものの、春の日差しを浴びて昼間から酒を飲むというのは中々に気持ちが良い。水色と桜色のコントラストが綺麗で、鬱屈した気持ちはすぐに揮散していく。

 遠くの手洗い場に同僚たちが消えた後、暫く私は満開の桜をぼうっと眺めながら贅沢な空間を満喫していた。


 もう一杯ビールを飲みたくなって、食事スペースの先にあるビールサーバーが置いてあるテーブルへ向かう。参加者はビール入って仕上がっているのか、どこからも大きく楽し気な声が聞こえてくる。人の間をぬってテーブルへたどり着くと、ビールサーバーの前に居た一人の女性がこちらに気づき、やりますよと声をかけてくれた。「実行委員」と書かれた腕章を着けていたので、ありがたくカップを手渡すと、女性は慣れた手つきでレバーを引いて黄金色を注いでいく。ところが丁度ビール樽が空になってしまい、注ぎ口から勢いよく泡が飛び出してきて、その人の手を盛大に泡だらけにし、私にも小さな飛沫が飛んできた。


「うわっ、大丈夫ですか?」


「あはは、ごめんね、大丈夫」


 からっと透き通った笑い声に惹かれ、濡れた手元から視線を上げて、そこではじめて彼女の顔を真面に見た。私は思わず息を呑む。

 美人だった。二重で切れ長の瞳に通った鼻筋。シャープなあごのラインは彼女の端正なパーツを引き立てている。栗色のロングの髪はゆるく巻かれていて柔らかく風に揺れていた。

 そして屈託なく笑う姿はとても綺麗で、凛とした女性に見える。思わず見つめてしまっていたがすぐに我に返り、慌てて傍にあったおしぼりを差し出す。彼女はお礼を言って受け取ると手を拭いた。その仕草さえ綺麗で品よく見えてしまうのは、きっと外見が私の好みのタイプと合致してしまったからだと思う。


「初めてお話しますね。吉井です」

「あ、オペ部の小野亜純です、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします。あと、小野さんのことは知ってましたよ、私」


 話しかけてくれた彼女は業務推進部所属で、いわゆる社内業務や社員の勤怠等の管理を行う部署だ。そのため社員の名前をある程度は把握しているらしい。その中で私は彼女と年齢も近く、話してみたいと思っていたと言われた。


「嬉しいです、私も吉井さんと仲良くなりたいです」


 降って湧いたような展開に、自分の声がわかりやすく上擦ってしまう。

 もちろん相手に恋愛感情など無いことはわかっているが、気にかけてくれたことが嬉しかった。


「悠理って呼んで欲しいな、年も近いんだし」


 酒の助けもあってすぐに打ち解けると、名前で呼びあおうと言われて更に嬉しさがこみ上げる。

 吉井悠理。私の二つ年上で、隣の地区に住んでいて一人暮らし。


「え、私も地元一緒ですよ!」

「うそ、亜純ちゃんも?場所どのへん?」


 それに地元まで一緒ときた。しかも住んでいたところは車で十分程の距離。どこかで会っていたかもしれない。まずい、酔いの回った私の脳内では勝手に「運命の出会い」だと祝してクラッカーを鳴らしている。

 会話にストレスを感じない。互いが気持ちよく話せているような、パズルのピースがぴたりと嵌っていくような不思議な感覚。


「ねぇ、今度飲みにでも行こうよ。連絡先教えてほしいな」

「ぜひ!うれしい、絶対行きましょうね」


 レズビアンが集うバーに行ってもこんなにすんなり連絡先を交換したことはない。

 もはや気味が悪い程スムーズに仲良くなれたことに少しだけ首を傾げたが、もうどうでもよかった。久しぶりにときめく楽しい時間だったから。しばらく会話を楽しんだところで、一緒に来た友人たちの元へ戻ることを告げる。


「また今度ね」


 そういって彼女は微笑んで私を見つめた。

 その少し細められた目を見て、私は一抹の期待を抱いて、この違和感に納得をした。

 彼女の瞳は、明らかに友人に向けるものではなかったから。

 少なからず彼女は、性的な視線を私に向けていた。






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