02
目的の場所に辿りつく。
一般的な二階建ての一戸建て。純白に色塗られ、出窓には複数の花瓶やぬいぐるみが見える。
玄関のインターホンの前に、焔は佇んでいた。
ゴクリと、焔が唾を飲み込んだ。意を決したように、指をインターホンまで伸ばす。
ピンポーン。と、インターホンを鳴らす音が鳴る。
高鳴る鼓動を抑える様に、焔は自身の胸に手を当てた。
インターホンに備え付けてあるスピーカーから、透き通るような奇麗な声が漏れ出した。
「あ、焔君?ちょっと待ってね、今行くから」
大きく、息を吸い込み、ゆっくりと息を吐く。
顔の温度を確認するように、両の手のひらで頬を触る。
再度、目を瞑り、深呼吸をした。
ドアが開く音が聞こえ、焔はゆっくりと目を開く。
「お待たせ」
日の光に照らされながら現れた少女は、とても奇麗だった。
風に仄かに靡く黒い髪は高級なヴェールのように腰まで伸び、その黒い瞳は全てを包み込み、取り込んでしまうような魔力を秘めている。
ピンクの刺繍が入った純白のンピースを着込んで薄いグレーのカーディガンを羽織り、腕を後ろで組んで揺ら揺らと体を揺らす。
揺れる様に合わせ、黒い髪も静かに揺れる。日の光りを、その髪に反射させながら。
「ん。どうしたの?」
少しだけ、怪訝な顔を浮かべながら、少女は口を開いた。
完全に見蕩れていた焔の意識を、その一言が呼び戻す。
「あ、ごめん。いや、あ……その。その服似合ってるな。って」
照れくさそうに視線を外して言った焔の言葉に、少女は優しい笑みを浮かべて応える。
「ありがと。焔君も似合ってるよ。その服は……お姉さんのコーディネート?」
図星を突かれた焔の体が一瞬だけビクつく。
「ハハハ。もしかしてバレバレ?凪葉の服は自分で選んでるんだよね?」
焔の乾いた笑い声が空気を伝う。
あどけるように髪を掻こうと腕を上げる。髪に手が触れる寸前で、その動きが止まった。
姉にセットしてもらった髪が崩れる事を思ってか、行き場の無くなった手の指を遊ばせ、そのまま静かに下ろした。
「ふふっ。バレバレだね。その髪もお姉さんにセットしてもらったんでしょ?ちょっとお姉さんに頼りすぎじゃないかな」
凪葉は小さく笑った後、意地悪そうな笑みを浮かべる。
返す言葉も無く、焔は照れを隠すように頬を掻いて、吹っ切るように言葉を放った。
「じゃ、行こっか」
「うん」
電車に乗り、約一時間移動した後、目的の場所へと到着する。
どこを見回しても人・人・人。地面を覆い隠す程の人込みの中に、焔と凪葉は居た。
あまりの人の多さに、眉を顰めながら億劫そうに凪葉が口を開く。
「人。多いんだね」
その言葉を聞き、慌てるように焔が取り繕う。
「こ……今年は過去最高の来場者になるみたいなんだってさ」
「その謳い文句って毎年言ってるよね?」
瞼を半分落とし、じっとりとした視線を凪葉が焔に向ける。
「でもさ、今日は5万人限定って事らしいから!明日とかに来るよりはマシだと思うよ」
「ふーん」
凪葉が興味なさそうに空返事を返し、首を振り、目を細め、進む先を見据えた。
「あのでっかいのが目的地なんだよね?」
凪葉の視線の先には、巨大なドーム状の建物がその存在感を惜しみなく曝け出していた。左右見渡す限り、建物の端が見えないくらいに巨大な建造物が焔と凪葉の目前に広がっている。
会場内に到着すると、ひんやりとした空気が焔と凪葉の体を包み込んだ。
数多の人の話し声や、各ブースから流れる音楽が合わさり、ガヤガヤと壮絶な音を奏でる。
「やっと中に着いたね。焔君、まずはどこから行くの?」
焔は携帯電話を取り出し、現在の時間を確認する。
「イベントまで、まだまだ時間あるし、適当に目に付いたとこ行こっか」
多人数同時参加型オンラインRPG、通称MMORPGと呼ばれているゲーム。
MMORPG自体は昔から存在したが、仮想世界を流用して、あたかもゲームの内で生活するようにプレイできるMMORPGが始めて登場したのは数年前。その新作の発表が、今年の目玉イベントとなっている。
「じゃあ、あそこの可愛いキャラクターが動いてるとこから行きたいな」
凪葉が焔の手を引き、楽しそうに駆け出す。
焔は顔が綻び、ニヤけようとするのを我慢しながら。一緒に駆け出した。
とても楽しい時間。
――その楽しい時間は、長くは続かなかった。
「そろそろ、例のイベントの時間だよね?」
遊び疲れた凪葉がベンチに腰を落とし、フルーツジュースの容器に刺さったストローを咥えながら言葉を紡ぐ。
焔が時間確認のため、携帯電話を取り出そうとした所で、会場全体に響き渡るように大きなベルの音が鳴り響いた。
透き通るようで、とても重い鐘の音。体を震わせ、胸に響くように鳴り続ける。
「皆様、大変お待たせ致しました。ただ今より、今年最大となる、新作VRMMORPGの発表会を実施致します」
男性の冷静で厳かな声が会場に響く。
会場を照らす証明が消え、会場の全ての扉が金属音を発しながら閉まる。
演出であろうか、壁と床の接点部分より、白い煙があふれ出し、会場全体を侵食するように床全体を包み込む。
焔は凪葉の隣に腰を降ろし、その手を握る。握ったその手が、応じるように握り返してきた。
「本日、皆様に発表致します新作のタイトルは《監獄》」
アナウンスの紹介と共に、巨大スクリーンにタイトルが映し出される。
「監獄って。えらく物騒なタイトルだな」
「だね」
焔の率直な意見に、同意するように凪葉が短く応えた。
凪葉がその目を擦る。瞬きを数回繰り返し、欠伸を隠すように口元に手を当てる。
「ん。凪葉?眠いの?」
「あ、うん。ごめん。なんでもない」
凪葉は首を左右に振り、申し訳なさそうに少しはにかんで笑った。
辺りを見回すと、同様に眠そうにしている人の姿が多く見える。
どうしたんだろう。
焔が思いを巡らせている時、突如、焔の瞼が落ちそうになった。
ハッとしたように。顔を上げて首を振る。
「あれ……どうしたんだろう」
言い訳じみた説明を凪葉に言おう、凪葉に視線を移す。
そこには、完全に眠りに落ちた凪葉の姿が在った。
「あれ?凪葉?」
数度、肩を揺するも反応は返ってこない。
周囲から人の倒れる重低音が響く。数回、数十回。立て続けに発生した音は、絶え間なく、波のように会場に響き渡る。
「あれ?皆……どう……した……ん……」
――焔の意識が薄れる。
「では、皆様、よい夢を」
最後に耳にした男性のアナウンスは、とても冷静で、とても冷たい声だった。