第三十一話その前に 番外編 ショートショート ケーキがいいです(幼女)
【不動明王、ヨシの角度に悩む】
満濃池の工事が一段落した昼下がり。
現場の片隅で、不動明王が腕を組んでいた。
「……角度が違う。」
新人の不動明王が、ぎこちなく“ヨシ”のポーズを取っている。
肘が高い。腰が甘い。目線が泳いでいる。
ベテラン不動が近づき、低く唸った。
「お前、腰を落とせ。腰を。
ヨシは“確認”じゃない。“覚悟”だ。」
新人は慌てて姿勢を直すが、まだ何か違う。
そこへ、遍照金剛が通りかかった。
護摩の香りをまとい、静かに二人を見つめる。
新人不動は緊張で固まった。
遍照金剛は一言だけ告げた。
「……心を澄ませ。」
その瞬間、新人の姿勢が変わった。
肘が自然に下がり、腰が落ち、視線が定まる。
ベテラン不動がうなる。
「……それだ。」
新人不動は小さく息を吐き、拳を握った。
「ヨシ。」
その声は、先ほどまでの不安を含んだ声ではなかった。
静かで、揺らぎなく、確かな“確認”だった。
遍照金剛は微かに頷き、去っていく。
残された不動明王たちは、しばし沈黙した。
やがてベテランがぽつりと言った。
「……あの方、もうすぐ空へ行くんだな。」
新人は首をかしげる。
「空へ?」
ベテランは笑った。
「空と海のように広く深い道を歩むってことだ。」
新人はその言葉を胸に刻み、もう一度、拳を握った。
「ヨシ。」
なにこの空気。こわっ。
【ヨシッ講習会 in 高野山】
金剛峯寺の朝は静かだった。
霧が山を包み、杉の葉がわずかに揺れる。
その静寂を破ったのは、不動明王の低い声だった。
「……集合。」
境内の一角に、不動明王たちがずらりと並んでいる。
新人から古参まで、圧巻の“明王ライン”。
講師役のベテラン不動が前に立つ。
「本日より、“ヨシッ講習会”を行う。」
新人明王たちがざわつく。
「ヨシッ……あの、空海さまが現場でやっていた……?」
ベテラン不動は頷いた。
「そうだ。あれは確認の型であり、覚悟の型だ。
高野山を守る我らも、習得せねばならぬ。」
そこへ、空海が静かに現れた。
風も音もなく、ただ自然にそこに立っている。
空海は微笑み、言った。
「ヨシッは、形ではない。
心を澄ませ、理を見つめるための“間”だ。」
ベテラン不動が続ける。
「まずは基本姿勢だ。腰を落とし、肘を自然に下げる。
視線は揺らがせるな。」
新人明王がぎこちなくポーズを取る。
「ヨ……ヨシッ……?」
ベテラン不動が首を振る。
「違う。声が軽い。覚悟が足りん。」
空海が一歩近づき、静かに言った。
「心を澄ませ。」
その瞬間、新人の姿勢が変わった。
霧の中で、一本の柱のように揺らぎが消える。
「……ヨシッ。」
その声は、山に吸い込まれるように深かった。
ベテラン不動が満足げに頷く。
「よし。次は応用だ。
“ヨシッ”をしながら周囲の気配を読む。」
明王たちが一斉に構える。
「ヨシッ。」
その声が重なり、金剛峯寺の境内に響いた。
空海は静かに目を閉じ、呟いた。
「……広まっていくな。」
【ヨシッ検定】
高野山に“ヨシッ”が広まってから数日。
山内のあちこちで、僧も明王も参拝客もヨシッを始めた。
朝の掃除でヨシッ。
薪割りでヨシッ。
護摩壇の前でヨシッ。
山道の途中でヨシッ。
不動明王は腕を組んで言った。
「……このままではいかん。」
新人明王が首をかしげる。
「え、何がです?」
不動明王は真剣だった。
「ヨシッには覚悟が必要だ。
だが今の高野山は……軽い。」
新人明王は思わず吹き出しそうになる。
「軽い、ですか?」
「軽い。」
不動明王は断言した。
「ヨシッは“確認”であり“祈り”であり“覚悟”だ。
誰でも勝手にやってよいものではない。」
新人明王
「では……どうすれば?」
不動明王
「……資格だ。」
「資格?」
「そうだ。“ヨシッ検定”を作る。」
新人明王は目を丸くした。
「検定……?」
「当然だ。腰の落とし方、肘の角度、声の深さ。
そして何より――心の澄み具合。」
新人明王
「……令和みたいな発想ですね。」
不動明王
「余は令和脳だ。」
そこへ空海が現れた。
「何の話だ?」
不動明王は姿勢を正す。
「ヨシッが広まりすぎました。
ゆえに、資格制度を導入しようかと。」
空海はしばし考え、微笑んだ。
「……よいだろう。
ただし、民も対象にせよ。」
こうして誕生した。
**ヨシッ検定。**
境内のあちこちで巻物を手に練習する者たち。
「ヨシッ。」
「ヨシッ。」
「ヨシッ。」
山に響くその声は、以前よりも深く澄んでいた。
【ヨシッ禁止令】
ヨシッは止まらなかった。
京都の町でヨシッ。
子どもがヨシッ。
犬までヨシッ。
そしてついに御所の簾の向こうからも――
「……ヨシッ。」
その瞬間、比叡山の最澄が震えた。
「これは……まずい。」
最澄は京都へ向かい、ついに金剛峯寺へ乗り込んだ。
「やめよッ!」
不動明王たちが振り向く。
空海が静かに現れた。
「……最澄。」
最澄
「空海よ。これは危険だ。
理解できぬ者ほど恐れ、恐れる者ほど広める。
都が“ヨシッ”に飲まれる。」
空海
「……確かに広まりすぎたな。」
最澄は巻物を掲げた。
「比叡山は“ヨシッ禁止令”を発布する!」
不動明王たち
「禁……止……?」
空海は笑った。
「最澄、お前は相変わらずだな。」
最澄
「空海。これは恐怖のミームだ。」
空海は頷いた。
「よかろう。都では控えさせよう。
だが――」
最澄
「だが?」
空海
「お前も、一度くらいはやってみろ。」
最澄
「は?」
空海
「心を澄ませ。」
最澄は渋々姿勢を整えた。
「……ヨシッ。」
不動明王たち
「上手い。」
「初級合格だな。」
「いや、中級かもしれん。」
最澄
「やめろッ! 比叡山では禁止だッ!」
空海
「禁止しても広まるものは広まる。
それが“ミーム”というものだ。」
その日の夕刻。
御所の簾の向こうから小さく声がした。
「……ヨシッ。」
最澄は比叡山でくしゃみをした。
「……終わった。」
【ヨシッの起源をめぐる論争】
禁止令が出た途端、
京都の豪族たちが騒ぎ出した。
豪族A
「ヨシッは我が家の伝統だ!」
豪族B
「いや、うちの祖先が最初だ!」
豪族C
「家紋は“ヨシッの肘”を表しておる!」
全員、完全に後付けである。
空海が現れた。
「……何をしている?」
豪族たちは一斉に叫ぶ。
「ヨシッの起源は我らだ!」
空海
「そなたら、ヨシッの意味を知っているのか?」
豪族たち
「もちろんだ! 腰を落とし、肘を下げ、心を澄ませ……
……あれ? 心?」
空海
「ヨシッは“確認”であり“祈り”であり“覚悟”だ。
起源を争うものではない。」
そこへ不動明王が言った。
「……ちなみに、起源は空海さまではない。」
豪族たち
「な、なんだと……?」
不動明王
「……現場だ。」
豪族たちは固まった。
空海
「そうだ。ヨシッは現場から生まれた。
民の手から、汗から、祈りから。」
豪族たちは深く頭を下げた。
その日の夕刻。
京都の片隅で誰かが呟いた。
「……ヨシッ。」
禁止されても、争っても、
ヨシッは静かに広がり続けていた。
ショートのくせに本編より長いとか。
次回 第三十一話
またカンチョー
またまたカンチョー
そしてせまりくる過去の遺跡




