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第6話:無限旅館のまかない

 ごく普通の人間、関本良太による『無限旅館』での職場体験1日目は、太陽が西の空に沈んでもまだまだ終わらなかった。

 多くの宿泊客が夕食を味わうため一旦客室を離れる間を見計らい、それらの部屋に訪れて丁寧に布団を敷いて回る、という夜の仕事が、彼を待っていたのである。


「「「「お部屋で食事を召し上がるお客様についてはは、もう少し後の時間にお邪魔する形となります」」」」

「「「「今回は、食堂に向かわれた方のお部屋への布団敷きをお願いしますわ、関本良太さん」」」」

「は、はい……」


 そして、無数の女将たちに促されるかのように、良太は指定された部屋へと向けて歩き出した。

 彼に渡されたメモ書きには、見慣れたようでやっぱり慣れないままの、途轍もなく長大な部屋番号――『51292887110509184109848745287938279号室』が記されていた。

 無限に連なる数をかき分け、たった1つの部屋へ向かう中で、良太は疲れや諦め交じりの深いため息をついた。


 その部屋は、何度も彼が入った他の部屋と同じように、どこか懐かしい和の趣を感じさせる内装だった。

 畳のほのかな香りが内部を優しく包み込み、障子からは既に柔らかな月の光が差し込んでいた。

 しかし、ここは常識では考えられない異常な場所。この空間が、『3944834872819階』という無茶苦茶な場所に存在している事を、良太は思い出してしまった。


「全部滅茶苦茶すぎる……もう俺、疲れたよ……帰りたい……」


 そして、重い体を引きずるようにして、彼はだらだらと布団を敷き始めた。とりあえずシーツを掛け、何となく布団を被せた。

 事前に女将たちから教えてもらった、『無限旅館』における布団の正しい敷き方は、完全に忘却の彼方だった。

 その結果、布団の上にはいくつものしわが寄っており、良太自身もその事には気づいていた。だが、今の彼には手直しする気力が残されていなかった

 どうせ眠ってしまえばしわなんて必ず付くものだし、そもそも布団なんていちいち気遣わなくても大丈夫じゃないか。寝る事さえ出来れば良いだろうに――そう心の中に言い聞かせた良太は、適当に敷かれた布団もそのままに、部屋を後にした。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「「「「「「「関本良太さん、今日一日、お疲れ様でした♪」」」」」」」


 1日目の仕事を終え、『√-1(ルートマイナス1)階』――無限旅館で働く職員、つまり無数の女将と1人の良太専用という『虚数階』にある食堂へ向かうと、そこには笑顔の女将が果てしなくずらりと並び、良太を待っていた。

 そして、その手前には、数えきれないほどの料理が無限に続く長い机の上にどこまでも美しく並べられていた。

 大皿に盛られた素朴な姿形をした煮物、駕籠に入った焼き魚、銀の器に盛られた炊き立ての器、そして温かさが香りからも感じられそうな味噌汁。

 いわゆる『まかない』が、疲れ果てた良太を待っていたのである。


「「「「「「さあ、一緒に食べましょう♪」」」」」」

 

 そう促されるまま、良太は無数の女将に覆い尽くされた食堂の片隅に腰を下ろした。

 そして、『いただきます』の大合唱を響かせたのち、彼は無数の女将と連動するかのように箸を取り、白米を口に入れた。その瞬間――。


「……!」


 ――言葉を失った。

 彼の舌に、これまで感じた事のない程良い甘みが染み渡ったのである。

 そればかりではない。味噌汁の一口は、まるで肩に伸し掛かっていた重い意志を流し去るような心地を与え、煮物の出汁もまた、張り詰めた神経を優しく癒していった。

 無限旅館の『まかない飯』には、良太の胃に留まらず、心まで満たされるような味が込められていたのである。


「……美味しい……」


 ぽつりとこぼれた言葉に、周りを取り囲む無数の女将が笑顔を見せた。

 そして、彼女たちは一斉に良太へ向けて語り出した。その美味しさの理由は、きっと良太自身が頑張ったからだろう、と。


「頑張った……?」


「「「「ふふ、関本良太さん、あなたは今日1日、慣れない仕事を懸命に頑張りました」」」」

「「「「失敗はありましたが、それでも仕事を投げ出したりせず、最後まで取り組みました」」」」

「「「「だから、きっとご飯が美味しく感じられるのですわ。今まで以上に」」」」


 彼女たちの声は優しくも、確信に満ちたものだった。良太自身もそれは何となく分かっていた。

 しかし、彼はそれらの言葉を素直に受け止める事は出来なかった。


(頑張ったって褒められても、俺はただ言われたとおりにやり続けただけだし……。そもそも、俺じゃなくてもできる事だろ……?)


 ねぎらいの言葉のように聞こえも、どうせお世辞だろう。結局面倒臭い事は面倒臭いじゃないか――そんな事を考えながらも、彼は目の前にある食事を口に入れ、その味を感じていた。

 一方、そんな彼の傍では、夥しい数の女将が箸を進めながら互いに語り合っていた。

 前後左右、あらゆる方向に居る、緑色の着物に身を包んだ黒髪の美女たちは、全員揃って同じ姿、同じ声、そして同じ笑顔だった。

 彼女たちが話す内容は業務連絡に加え、彼女の友人に関する話題、どこかの階の植物の育ち具合、そして巨大な水槽の中で飼育されているマスコットのカワウソについてなど多種多様であった。


「「ふふ、今日もたっぷりご飯を食べましたわね♪」」

「「そうですわね。やっぱり食べる事は健康に良いですわ♪」」

「「栄養バランスに注意しながら、ですけれどね♪」」


 カワウソたちが今日も美味しそうに食事をとっていた、と言う話題で盛り上がる、良太の近くにいる女将たちの同じ声の大合唱は、彼にとって異様極まりないものだった。

 ただ、不思議と彼はそんな非現実的な光景に対して居心地の悪さを感じる事は無かった。

 はっきりとした理由は分からない。ただ、彼はこの現実離れした空間に、少しずつ『慣れ』のような感情を抱き始めていたのは確かだった。


(……俺、どうなるんだろう……)


 そんな自分に一抹の不安を覚えながらも、気付いた時には彼の目の前の食器が全て空っぽになっていた。


「「「「「「「「ごちそうさまでした♪」」」」」」」」」

「ごちそうさまでした……」


 こうして、1日目の業務はすべて終了。その後は自由時間となった。

 しかし、食事で気力をある程度回復してもなお心身の疲れが完全には拭えなかった良太に、望んでいたはずの『自由』を楽しむ余裕は残されていなかった。

 自分の部屋へ戻る途中、彼はふと立ち止まって廊下を見た。そこには客室がある他の階と同様、『虚数階』の果てまで続く、静かで、どこまでも伸びていく空間が広がっていた。


(……明日、俺の身体、持つかな……)


 そんな不安や緊張を抱きながら、良太はゆっくりと自分の部屋へ足を向けていった……。

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