第5話:無限に続く仕事
霧の向こうに佇む、常識を超越するほどの巨大旅館『昼辺・瑠斗無限旅館』。
そのチェックインが開始されるのと同時に、良太の職場体験も本格的に始まった。
「「「「「「「「いらっしゃいませ。無限旅館へようこそ」」」」」」」」」
訪れる様々な客を最初に待つのは、夥しい数の女将=仙台千代による出迎え。
彼女たちが整然と並び、まるで1つの生命体のように一糸乱れぬ動作で頭を下げる光景が、幾度となく繰り返されていた。
つい圧倒されそうな音圧と気配が表玄関の空間を満たし尽くしている一方、やって来る客はそんな風景を見慣れたかのように笑顔や挨拶などを返し、様々な手続きを行う旅館のフロントへと歩みを進めた。
そんな礼儀正しさや和やかな雰囲気が包み込む空間の中で、良くも悪くもひときわ目立っていたのが、良太だった。
「い、いらっしゃいませ……」
来客を歓迎するように明るい笑顔を見せる女将の大群とは対照的に、良太の声は小さく、表情も強張り、頭を下げる角度も小さいまま。
緊張や不安、そして面倒臭さと言った感情が、これでもかと溢れているようだった。
そして客足が途切れる一瞬、彼はため息をついた。
こんな女将だらけの空間で、わざわざ自分が挨拶なんかする必要はあるのか、という愚痴を込めながら。
すると、そんな彼のもとに女将がすっと近づき、こう告げた。
「それでは良太さん、次はラウンジでの接客をお願いいたしますわ」
「は、はい……」
面倒くさいから嫌だ、という本音を言えないまま、彼は無限旅館の奥へと導かれていった。
そこに広がっていたのは、まさに高級旅館にある最上級の装飾を施したような、豪華絢爛な空間だった。
加えて、向かって右側には、無限旅館に贈呈されたであろう幾つもの絵画や彫刻と並んで、巨大な水槽が設置されていた。
その中には、数頭の小さくて可愛らしい動物が、忙しく働く女将たちとは対照的にのんびりした時間を過ごしていた。
「あ、あの、女将さん……」
「ああ、こちらの水槽ですか?あの中で『無限旅館』のマスコットであるカワウソが暮らしていますの。後でご飯をあげてみますか?」
「い、いえ、結構です……って、そうじゃなくて……」
ただ、良太が本当に女将に尋ねたかったのはそのカワウソたちではなく、豪華絢爛な『無限旅館』のラウンジの異常さだった。
廊下や表玄関、職員用の大広間や更衣室と同じように、ラウンジは果てしなくどこまでも広がっており、果てが見えない程であった。
その中では、常識外れの光景など全く気にしないかのように、カワウソたちと同じようにのんびりした時間を過ごしている幾人もの客がいた。
だが、ごく普通の人間である良太にとって、彼らは誰一人として『普通の存在』ではなかった。
ソファーに座って新聞を読んでいるのは、体は普通の人間でも顔がアナログ時計のような形をした、奇妙な姿の男性。
その隣の席には、まるで泥人形のような姿をした存在が、どろりという効果音が似合う様な雰囲気で椅子に座り、優雅に何かを飲んでいた。
さらに遠くではしゃぐ子供たちはみんな恐竜やトカゲを思い起こさせる異形の頭を持ち、その様子をにこやかに眺める親のような人物たちもまた、派手なトサカを持つニワトリのような姿をしていた。
そして、良太の近くでは、落書きの棒人間のようにあまりにも単純な構造の肉体をした存在が、近くにやって来た女将――良太の傍にいる女将たちとはまた別の『女将』から、何かが入ったお盆を受け取っていた。
まるで妖怪図鑑が立体化したような、奇妙で異様過ぎる状況に驚いているのは、関本良太ただ1人だけだった。
「この人たち、何者なんですか……?」
「この方々ですか?みんな我が旅館のお客様ですわ」
「そ、それは分かりますけど……。何というか、みんなの姿が……」
「うふふ、この『無限旅館』は無限の可能性を内包した場所」「色々な時代、色々な世界、色々な宇宙に繋がっておりますの」「ですので、お客様も関本良太さんがいる『場所』だけではなく、様々な『場所』からお越しになっているのですわ」
笑顔で語る複数の女将の声が、良太の耳に絶え間なく聞こえた。
幾つもの世界、幾つもの宇宙――現実味がない言葉に唖然としている良太であったが、時間は待ってくれなかった。
女将は良太に盆を渡し、この空間にいる客へ様々なサービスの品を届けるよう仕事を与えたのである。
「「「「着物の力で、遠くのお客様のもとへも短時間で向かう事が出来ますわ。さあ、よろしくお願いします」」」」
「は、はい……」
そして彼は、女将に言われるがまま客の特性や要望に応じた様々なものを配達した。
無限旅館名物の饅頭や抹茶、ショートケーキにオレンジジュースと言った、ごく普通のものから、『成熟発効させた月の雫』『第二空間メディカルバイオ式クロックティー』『エタニティタイプシルクケーキ零式』といった、名前も外見も何が美味しいのか分からない奇妙な飲食物まで、良太はせわしなく運ぶ羽目になった。
(零式、メディカル……一体何だよこれ……)
ますます訳が分からない『無限旅館』内の常識に軽くめまいを感じながらも、良太は盆をひっくり返して食べ物や飲み物を無駄にしないよう何とか気を配り続けた。
幾ら面倒くさくても、そのような事をすれば女将からかんかんに怒られるかもしれない、という感情が、彼の中に残っていたからである。
そんな苦労の中、『ヘドロジュース』なる強烈な臭いがする代物を良太から受け取った、泥人形のような姿の客が、彼を見つめ優しい声で語り掛けた。
「ありがとうねぇ、坊や。助かったわぁ」
「ど、どういたしまして……」
この旅館の職場体験の中で、誰かから礼を言われるのはこれが初めてだった。
しかし、良太の心には満足感以上に戸惑いの思いの方が大きかった。
(……ヘドロジュースなんて、本当に美味いのか……?無茶苦茶すぎるだろ、この場所……)
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「お疲れ様でした。それでは関本良太さん、次はお客様からのご注文の品を客室へ運ぶお仕事をお願いしますわ」
「は、はい……」
そう言って、女将は次の仕事を与えた。
彼女が良太に手渡したのは、氷、金属の塊、羽無し扇風機、風鈴など様々なものが歪に合体したような、現代に生きるごく一般的な青年には理解不能な代物だった。
「こちらは、アナログタイプの『多次元風鈴型冷却器』となります。674889号室までお願いできますか?」
「は、はあ……というか、なんですか、これ?」
「ふふ、お客様ならきっと分かってくださいますわ。さあ、いってらっしゃい」
その言葉に背中を押されるかのように、良太は心の中のモヤモヤした感触を残しながらも、伝えられた客室へ向かっていった。
『無限旅館』の不思議な着物の効果からか、僅か数十歩進んだだけで、彼は目的の部屋の扉へ到着した。
事前に女将から連絡された通り、彼は部屋をノックし、失礼しますという挨拶をした。
おう、というぶっきらぼうな返事を聞いた彼がゆっくりと扉を開くと、そこには全身を金属で包み込み、節々にはネジのようなものが見え隠れする、まるでレトロな玩具のロボットといった風貌の客が、座椅子に腰かけてくつろいでいた。
「あ、あの、ご注文の品、持ってきました……」
「そうか、持ってきたか」
『多次元風鈴型冷却器』というよくわからない代物を、そのロボットのような客は機械的な音を出しながら受け取った。
そして、そのまま良太が部屋を去ろうとした時だった。
「おいお前、少し前に玄関で並んで、一緒に挨拶していただろ」
「は、はい、そうですが……」
「千代さんじゃない存在のようだが、もしかして新入りの『ホモ・サピエンス』か?」
「……さ、サピエンス……?」
「お前は『人間』か、って尋ねているんだよ、俺は」
「な、なるほど……。一応そんな感じです……」
「だったら言わせてもらうぞ。お前、声が小さすぎる。礼をする時の角度もいまいちだ。そもそも『ホモ・サピエンス』のくせにやる気も根性も全然見えない。もっとしゃきっとしろ」
レトロな玩具のロボットのような客が発した言葉は、内容も声色も冷たいものだった。
それを聞いた良太は、つい反抗的な感情が浮かんだ。
そんな事を言われても好きでやってるわけじゃないし、そもそもこれは学校の先生から押し付けられた仕事。
そのようなクレーマーのような事を言われても困る――その思いが、口に出そうになった、その直前だった。
「お客様、大変申し訳ありません。こちらの注意不足でした」
何の前触れもなく突然良太の傍に現れた女将こと仙台千代が、ロボットのような客へ向けて深く頭を下げたのである。
今後はしっかり指導をつけ、失礼のないようにする、というお詫びを述べながら。
「千代さんが頭を下げるとは、俺の方が困ってしまうな。分かった、許そう」
とは言え、この無限旅館を司る女将さんに頭を下げさせるのはとても失礼な事だ。
もしこのような態度を続けていると、いつか大きな失態を晒してしまうだろう。
俺の忠告を『ホモ・サピエンス』らしい心にしっかり刻み込むんだな――部屋を後にする直前、ロボットの客は良太へ釘を刺すように告げた。
そして、女将はそっと客室の扉を閉めた。その音は、良太の耳の中でやけに重たく響いた。
「……ったく、なんだよ、偉そうに……」
その場で力が抜けた彼は、自分の口からつい本音を漏らしてしまった。
その事実に気づき、慌てて口を塞いだ良太に、女将は言葉をかけた。
「関本良太さん、『おもてなし』の心を、いつでもお忘れなく」
それは怒りでも呆れでもなく、優しさと慈しみに溢れたような声だった。
「え……?」
その言葉を聞いた彼の『ホモ・サピエンス』=『人間』らしい心に、どこか奇妙で不思議な感情が沸いた。
だが、それに浸る暇は与えられず、以降も女将は次々と良太に様々な仕事を与えた。
エレベーターで何万、何億階もの高さを一瞬で移動し、摩訶不思議で理解不能な物品を届け、常識では考えられない風貌の客へ挨拶をし、部屋の隅にたまったほこりを拭き、外の石畳に挟まった砂を掃いて取り除き――。
(……なんでこんな事やってるんだろうな、俺……)
――身も心も疲労に包まれた彼は、大きなため息をついた。
(これなら自分の意思でもっと楽な場所を選べばよかったよ……)
今更沸いた後悔の感情は、無限に広がる空間へと吸い込まれていった……。




