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最終話:またいつか、無限旅館で

 『昼辺・瑠斗無限旅館』は、昼下がりの時間を迎えていた。

 ラウンジの柔らかい椅子に腰かけながら、良太は女将がこしらえてくれた特製弁当を頬張っていた。

 特別豪華と言う訳ではなかったが、優しい味付け、丁寧な盛り付けなど各所に女将の心遣いがにじんでいるようで、とてもおいしく感じた。

 これからしばらく、この味わいを堪能する事が出来なくなる、と言う事実も噛みしめつつ、彼はゆっくりと食べ続けた。


「……ごちそうさまでした」

「ふふ、お粗末様でした」


 柔らかな口調で挨拶への返事を丁寧に述べながら、女将が弁当の箱を回収してくれた一方、良太は食後の運動がてら、ラウンジに設置されている巨大な水槽へと向かった。

 そこには、『無限旅館』のマスコットでもある、人間世界では絶滅した事になっている動物、ニホンカワウソたちがそれぞれの時間を過ごしていた。

 緑色の着物が似合う『女将』から貰った大きな魚にかじりつくのに夢中になっているカワウソもいれば、良太と同様に食後の運動をするかのように水の中をゆるやかに泳ぐカワウソもいた。

 そして、時折こちらを見ては、小さな前足で頬を掻いたり水草をつついたり、可愛げな仕草を見せていた。


(……このマイペースぶり、癒されるな……。でも、このカワウソが……)


 この『無限旅館』を司っているあの美人女将の正体が、まさか彼らニホンカワウソが化けた妖怪だなんて、この様子だけ見ていると中々信じられないかもしれない――そう良太が感じていると、近くでその女将本人の声がした。


「良太さん、わたくしの『本当の姿』は可愛らしいですか?」

「は、はい……可愛いです」

「ふふ、ありがとうございます」


 普段と同じ、温和な表情に品のある着物姿を見せている彼女であったが、その瞳にどこか複雑な気持ちが宿っているように良太は感じた。

 彼がこの場を去っていくと、『無限旅館』の従業員は、無数に増え続ける女将=仙台千代だけになる。

 彼女は『たった1人』で、この広大な旅館を維持していく事になるのだ。


「……女将さんは、これからも色々な姿、様々な数で、この『無限旅館』を守っていくんですね……」

「それが、わたくしの決めた生き方ですから。ただ、本音を申しますと、良太さんが去っていく事への寂しい思いはありますわね」

「女将さん……」


 すると、水槽の奥で、1頭のカワウソが水の中でくるりと周り、頷くように泡を立てた。

 確かにそのような気持ちが無い訳ではない。でも、自分たちは大丈夫。例え『無限』の時間が過ぎても、再び訪れるのを待っている――そんなメッセージを伝えるかのように。

 それを見た良太は、安心した気持ちを表すかのように微笑んだ。


「俺、またいつか来ますよ。俺らしい生き方をしっかり見つけた時に、ね」

「頼もしいですわ。でも、そんなに気を張らずともよろしいのですよ」

「それもそうですね……」


 平穏なやり取りの中に、ほんの少しの名残惜しさと、穏やかな余韻が漂っていた。

 丁度その時、旅館の入り口が静かに開き、広大な空間に足音が響き始めた。

 普段ならずらりと女将が並んで出迎えるのが恒例であったが、今回はそのようなおもてなしは行われなかった。

 何故なら、『無限旅館』にやって来たのは――。


「良太、迎えに来たわよ」


 ――『職場体験』の終わりを告げるかのように、良太を迎えに訪れた、彼の母だったからである。


 だが、その姿を見た瞬間、良太は心臓が飛び出そうになるほど驚き、急いで母の周りを確認した。

 当然だろう、前日はこの母が文字通り無限に増えて笑顔で押し寄せ、てんてこ舞いさせられる羽目になったのだから。

 ただ、幸いにもそこにいる『母』の数は1人だけで、服装も大胆過ぎる『あの格好』ではなかった。


「あら、どうしたの、良太?挙動不審になっちゃって」

「い、いや、なんでもないよ、母さん……!」


 慌てて誤魔化そうとする良太の一方、母は彼の傍にいた女将の方に近づいた。その姿を見た女将は、優雅に頭を下げた。


「千代さん、うちの息子が3泊4日、お世話になりました」

「こちらこそ、楽しい時間を一緒に過ごせましたわ。ありがとうございます」


 顔馴染みだと言うふたりが互いに礼を言い合い、笑顔を向ける中、良太は大きく息を吐いた。

 とうとう、その時(・・・)が訪れてしまった事を感じながら。

 着替えやアメニティグッズ、女将が自分の代わりに仕上げてくれたレポートなど、忘れ物が無いかもう一度確認した彼は、玄関にある自動扉の前に母と並んで立ち、深く頭を下げた。


「女将さん……いえ、仙台千代さん……!4日間、本当にありがとうございました!」

「こちらこそ、ありがとうございました、関本良太さん」


 超巨大な旅館から少し離れた場所にある駐車場へ向かう良太と母へ、千代はどこまでも笑顔で手を振り続けていた。

 そして、良太もまた、その美しく可憐な姿を目に焼き付けつつ、何度も振り返りながらいつまでも手を振った。


 やがて、駐車場にポツンと停めてある母の車が見えてきた。

 助手席に乗り込み、シートベルトを締めた彼に、母が声をかけた。


「なんだか良太、一回り成長したんじゃない?」

「成長……?」

「ふふ、心が大きくなったって思ったのよ」

「そうかもしれないね……。色々と経験したからさ」


 そして、車はゆっくりと発進した。良太を『非日常』の世界から『日常』へと戻すかのように。

 相変わらずどこまでも続く霧の中で、母は良太に、今回の『無限旅館』の職場体験の感想を聞いた。

 それに対して、彼は短く答えた。とても良かった、と。


「ふうん……」

「それと母さん、俺、帰ったら色々と手伝うよ。洗濯とか料理とか、色々とさ」

「あら、どういう風の吹き回しかしら?」

「いや……何というか、旅館で過ごしていたら、俺も『おもてなし』をしたくなってみてさ」


 その言葉に、母は一瞬驚いた顔を見せ、それから嬉しそうに笑った。

 アイドル時代と変わらない、見る人を魅了するような表情で。


「……ふふ、楽しみにしておくわ」


 やがて、車窓から霧が少しずつ晴れていき、緑が生い茂る森の柔らかな景色が広がり始めた。

 それと同時に、後方にそびえ立っていたあの無限台に巨大な木造建築は、まるで霧の彼方に溶け込むように消えていた。

 それはまるで、今までの事が夢か幻だったかのような、不思議な光景だった。

 でも、そのような事は決してないという確信を、良太は心の中に抱いていた。


 あの場所で過ごした、3泊4日の職場体験。

 色々な出来事があり、色々な人々と出会い、そして女将さんの色々な姿と交流する事が出来た。そのお陰で、自分はひとまわり大きくなれた。

 あまりにも非現実過ぎてレポートには到底『真実』を書き残す事は出来ないけれど、『昼辺・瑠斗無限旅館』は間違いなくこの世界のどこかに存在する。

 例え資料に残せなくても、心にしっかりとあの日々が刻まれたのだから、間違いない話だ。


 そして、あの場所は無限の世界に繋がっている。行きたいと思えば、無限の可能性のもとで、いつでも遊びに行ける。

 だから――。


(千代さん……またいつか、会いましょう)


 ――良太は、そっと心の中で呟いた。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


(……というか、あの無限の母さん、結局何者だったんだ……?千代さんは言葉を濁していたけれど、やっぱり気になる……)


 そう良太が思った時だった。


「それにしても……良太が頑張る姿……」


「「「「「「「「素敵だったわ♪」」」」」」」」」」


 一瞬だけ、彼の耳に、夥しい数の母――関本美門の声が、重なり合って聞こえたのは。


「えっ……!?!?」

「あら、どうしたの良太?」

「い、いや……何でもない……」


 助手席で驚きを隠せない良太を乗せたまま、車は一路、日常へと戻る道を進んでいった……。


「……ふふふ♪」 

 

<おわり>

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