第12話:無限クラスの大御所
『昼辺・瑠斗無限旅館』、通称『無限旅館』での職場体験も、気付けば3日目になった。
その日の朝、静かに目を開けて横にある時計を見た良太は、自分が目覚ましの鈴が鳴る前に起きた事に気が付いた。
昨日の夜、休憩室で女将と色々な内容を話した後、眠気が一気に襲ってきた事もあり、自室に備え付けのシャワーを軽く浴びて汗を流した後、彼はあっという間に就寝していた。
早寝をし過ぎたからこんな時間に起きたのかもしれない、とぼんやり思いつつ、彼はゆっくりと体を起こした。
このまま二度寝してしまうと、仕事開始の時間に間に合わないかもしれない。それならいっそ早起きするのが最良の選択肢だと判断したからである。
眠気を引きずりながらも、寝巻から男性用の青い作務衣に着替え終えた彼は、『無限旅館』での1日を始める決意を固めた。
引き戸を開けると、そこには彼よりも早く起きて廊下を埋め尽くす、緑色の着物が似合う和装美女である大量の女将=仙台千代の姿があった。
「「「「おはようございます、良太さん」」」」
「お、おはようございます……」
常識外れな光景へ未だに慣れきっていない良太は、夥しい数の女将の笑顔を見た瞬間、一気に目が覚めてしまった。
「「「「うふふ、今日はとても早く起きましたのね」」」」
「ま、まあお陰様で……」
そして、折角起きた訳だし、何か手伝える事は無いか、と彼は女将に進言した。
初日とは大違い、仕事熱心な様子を見せる様子に、女将たちは笑顔を見せながら、その要望に応じて大事な内容を託した。
その言葉に従い、彼は職員部屋が広がる『√-1階』を後に、『☆階』に存在する食堂へと向かった。
そこには、他の様々な部屋と同じように、壁が見えないほど果てしなく続く巨大な空間が広がっていた。
良太は、ここで宿泊客向けの朝食バイキングの準備を行うのだ。
「「「詳細はその都度ご案内します」」」「「「無理なさらない範囲で手伝ってくれたら嬉しいですわ」」」
「分かりました」
和服に似合う白いエプロンやマスクを身に着けた良太は、早速バイキングの準備を担当する女将たちと共に配膳を行った。
白米やパンと言った主食の数々、無数に盛られた焼き魚、どこまでも並ぶ暖かな味噌汁が入った桶、大量のジューシーなソーセージ、花畑のように色とりどりの副菜――隣に寄り添う女将の指示に従いながら、良太は丁寧にこれらの料理を配置していった。
中には電池や泥など、人間にとっては美味しそうに見えない食材も混ざっていたが、良太はそれらも丁寧に皿へと盛っていった。
これらを食べに訪れる者たちが美味しそうに感じ、それを見守る自分自身も楽しい気分になるよう、衛生面だけではなく見栄えにも気を配りながら。
やがて、準備が終わると大食堂の入り口が開かれ、お腹を空かせた客たちがぞろぞろと入ってきた。
良太と同じような人間のような姿をした存在から、体は人間でも顔は動物、貯金箱、時計など様々な顔をした者、姿形もそのまま動物な者、影がそのまま実体化したような者まで、無限の世界に繋がる入り口からやって来た客たちが、静かに、穏やかに食事を受け取り、席へと向かっていった。
その様子を、良太は沢山の女将と共に見守っていた。何か困ったことがある客がいれば、すぐ駆け付けられるように待機していたのだ。
「「「「おはようございます♪」」」」
「おはようございます!」
「おはようさん」「おはよー」「ふわぁ……」
そして、やってくる沢山の客へにこやかに挨拶をする事も忘れなかった。
そんな中、良太の顔を見つけ、近づいてくる客がいた。彼もまた、その客に見覚えがあった――色々な意味で。
「あら、貴方は確か昨日の……」
「あっ……あの……」
それは、『51292887110509184109848745287938277号室』にいた、チーターや票に似た姿をした『獣人』の女性客。
昨日、ミスを犯した良太に着替え中の現場を見られてしまったあの客だった。
その事を思い出し、ぎくりとした顔になってしまった彼の一方、その女性は魅力的な笑顔を見せながら語った。
「温泉に食事に幻想的な景色、とても素晴らしかったわ。ここは素晴らしい旅館ね」
「あ、ありがとうございます……!」
昨日の事を水に流すかのように、素直にこの『無限旅館』を褒めてくれた客へ、彼は自然に感謝の言葉を述べていた。
「ふふ、私の美しさに誘われる『人間』もいるみたいだけど♪」
「も、申し訳ないです……」
そして、からかうような言葉を付け加えた女性に、良太は顔を真っ赤にしてしまったのだった。
そんなやり取りもあったものの、朝食の時間はトラブルもミスもなく平穏に過ぎた。
頃合いを見計らったような女将の言葉に促され、良太はその場を離れ、『√-1階』にある職員用の食堂へと向かった。
そこに待っていたのは、女将が腕によりをかけて作ってくれた朝食であった。
白米に味噌汁、焼き酒、出汁を使った巻き卵といったシンプルな中身であったが、口に入れれば入れるほど、不思議と力が湧いてくるような気がした。
「美味しい……美味しいです、女将さん……!」
「「「「「ふふ、それは良かったですわ♪」」」」」
やがて、食事を終えて小休憩や歯磨きの時間を経た彼は、女将から次の仕事を与えられた。
旅館で楽しい時間を過ごした客を見送ったり、荷物持ちを手伝ったりする、チェックアウト業務だ。
早速旅館の玄関先にやって来た彼は、既に玄関先にずらりと並んで待機していた無数の女将の中に混ざった。
その心持ちは、仕事への嫌気を露わにしていた昨日とは全く異なるものだった。
女将に促されなくても自分の方から積極的に動けるほど、『おもてなし』に対して熱心に向かい合えるようになっていたのだ。
「あ、そちらの荷物、お持ちします」
「おお本当かい、ありがたいねえ」
自ら声をかけ、客の荷物を手に取る――その度に客から向けられる感謝の笑顔に、良太も嬉しさを感じた。
ただ、時には『ごく普通の人間』である彼には重くて持ち上がらず、女将の手を借りなければならない事態も起きてしまった。
しかし、彼の心は折れなかった。自分で出来る範囲の内容を頑張る大切さを、しっかりと肝に銘じていたからである。
そんな感じで、彼があくせくと動き続けていた時だった。旅館のフロントやリビングの雰囲気が、明らかに変わり始めたのは。
やがて、厳かな雰囲気と共に玄関口に現れた人物を見て、良太ははっとした。
(……あの人は……!)
黒い帽子から覗く白髪、いぶし銀といった顔つき、品のある仕立てのスーツ。
服装こそ昨日の着物姿ではなかったが、間違いなくそこにいたのはあの『老紳士』――昨日、仕事にやる気が無かった良太を一喝し目を覚ますきっかけを作った存在だったのだ。
その姿に、ラウンジで寛いでいた客は驚き、緊張した面持ちで背筋を伸ばした。
「お、おい……あの御方は……!」
「まさか僕たちと同じ日にお泊まりになっていたとは……」
「凄いわ……お姿を見られるなんて……」
あちこちで聞こえる、畏れや称賛の声を耳に入れながらも、良太は覚悟を決め、その対象である『老紳士』の前にそっと立ち、深く頭を下げた。
「……お客様、昨日は失礼な言動をとってしまい、本当に申し訳ありませんでした」
突然の事態に周りがざわつく中、老紳士はしばらく無言で良太の方をじっと見つめた。
そして、ふっと口元を緩めながら語り始めた。
「……君、昨日とはがらりと変わったね」
「え……?」
「私は見ていたよ。君が『旅館』の様々な仕事に対して、本気で挑むようになった様子を」
「ほ、本当ですか……!」
「ああ。背筋も表情も良くなった。声も張りがある。うむ、それでこそ、君にふさわしい姿だ」
「ありがとうございます……!」
あの厳しそうな老紳士が、心を入れ替え、憂いを退け、仕事に励むようになった自分を認めてくれた。
その事実の嬉しさを噛みしめながら、良太は礼を述べた。
「これからも、私は君を応援しているよ」
「……はい!」
そして、良太は老紳士が手に持っていた少し重そうな鞄を受け取り、玄関の外へと案内した。
そこには、真っ黒な塗装が施された、古風でありながら高級感が漂う車が待っていた。
老紳士を乗せ、静かに発進した車が霧の中に消えていく様子を、良太は無数の女将たちと共にどこまでも見送り続けた。
やがて、『無限旅館』の中に漂っていた張り詰めた空気が落ち着くと同時に、良太も緊張の糸が少しほどけたような感触を覚えた。
その勢いのまま、彼は近くにいた女将にある事を聞いてみた。
あの老紳士は、一体どういう人なのか。他の客まで緊張してしまうとは、かなりのVIPなのだろうか、と。
すると、その問いに返ってきたのは――。
「「良太さん、あの御方は『人』ではありませんわ」」
「……人じゃない……?え、でも、どう見ても人間じゃ……」
「「ふふ、そう見えますか……。でも、あなたも聞いた事があるでしょう?あの御方は妖怪の大御所、『ぬらりひょん』様ですわ」」
「なるほど、ぬらりひょんさん……って、ええ!?!?ぬらりひょん!?!?」
――良太にとって、あまりにも驚くべき回答だった。
確かに、妖怪にある程度興味があった彼は、『ぬらりひょん』という存在を図鑑やネットなどで何度も見た事があった。
いつの間にか家の中に現れる、本当はナマズや海坊主のような存在、など様々な話が伝えられており、近年は『総大将』と言う説が人間社会に定着している謎多き妖怪。
オカルトや怪異に少しでも興味があるのなら避けて通れないメジャー格である『ぬらりひょん』は、確かにVIPと呼ばれるにふさわしい存在だ。
まさか本物に会って、しかも褒められるとは、と驚く彼であったが、同時に大きな疑問が生まれた。
確か、妖怪図鑑に掲載されていた『ぬらりひょん』の姿は、まるで蛸のように巨大な頭を持ち、和風の衣装を着た老人。
あのような現代的なスタイル、俗にいう『イケおじ』な姿とはまるで違う姿だ。
それなのに、女将ははっきりとあの老紳士を『ぬらりひょん』だと述べ、それを納得しようとしてしまっている自分自身もいる。
一体どういうことなのか、と良太は女将に尋ねた。
「「それは当然ですわね。人間たちの中に伝わる『怪異』、妖怪や幽霊、妖精と言った存在の類の姿は、あくまでそれを見た人々だけが感じた形に過ぎませんもの」」
「そ、そうなんですか……?」
「「良太さんが見る『赤色』と、わたくしを始めとした他の方が見る『赤色』は感じ方が違うという話を目にした事がありますか?」」
「はい、前に動画で見た記憶が……」
「「それと同じ事。人間の言い伝えと実際の姿や性質が異なるのは、よくある事ですのよ」」
「な、なるほど……」
良太に語り掛ける声は、普段と同じ穏やかさを残しつつも、不思議と神秘的な雰囲気、そして大きな説得力を宿していた。
「「特に『ぬらりひょん』様は妖怪の大御所。万華鏡の如く、『無限』の姿形を持つお方なのです」」「「人間たちの伝承に伝わる頭が大きなご老人の姿は、あくまでその1つに過ぎないのですわ」」
「じゃ、じゃあ今回のあの姿も……」
「きっと、『イケおじな老紳士』になって無限旅館に宿泊したい、と考えたお姿かもしれませんわね」
「なるほど……。そんな凄い妖怪さんまで泊まるなんて、改めて考えるとこの旅館、凄いですね……」
「「ふふ、『無限旅館』はあらゆる『時間』や『世界』に繋がっている場所ですもの」」
改めて、良太は自分がとんでもない場所で職場体験をしている、という事実を思い知らされた。
ただ、それは今までのようなネガティブなものではなく、そういった『とんでもない場所』で働ける嬉しさや楽しさといった、ポジティブな考えによって導き出された思いだった……。
「……と言うか、女将さん、なんでそんな凄い妖怪さんと知り合いなんですか……?」
「「「……ふふ、それはまだ秘密ですわ♪」」」




