第10話:無限の奮闘
霧の中に薄っすらと見える太陽が、西側にそびえ立つ峰々へ向けて移動する時間になっても、『無限旅館』の業務に終わりは無かった。
フロントには常に誰かが訪れ、ラウンジでは様々な姿形をしている無数の客がのんびりと寛ぎ、廊下では従業員である女将=仙台千代による、客を丁寧に案内する声が響く。そんな普段通りの時間が流れていた。
しかし、その中でたった1人、職場体験中の男子学生、『関本良太』だけは、少しずつ変化を見せ始めていた。
「い、いらっしゃいませ……!」
ずらりと並ぶ無数の女将に混ざって行う、来訪した宿泊客の挨拶。その声は固いままで、頭を下げる動作も相変わらずぎこちなかった。
しかし、その声色は無数の女将による大合唱の中でもしっかりと聞こえるほどに大きく、そしてしっかりと誠意を込めたものになっていた。
その姿勢も前日のだらしなくやる気のないものとは全く異なり、背筋をしっかりと伸ばし、客に不快感を与えない事を意識したものになっていたのである。
奮闘し続ける彼の様子を、無数の女将は横目で見つめ続けていた。
しかし、彼はそれらの無数の視線に気づかない程、自身の仕事に集中し続けていた。
そんな良太に与えられた仕事は、出迎えの挨拶だけではなかった。
ラウンジで寛ぐ様々な客の注文に応じて様々な物品を運ぶ事もまた、重要な仕事なのだ。
「それでは良太さん、こちらのお品物をあちらの方へお願いしますね」
「分かりました……!」
昨日までの良太なら、その異様な『品物』をみてぎょっとしてしまい、ますますやる気を削がれていただろう。
だが、既にそんな『関本良太』は存在しなかった。どんなに奇抜で無茶苦茶な内容の注文でも、彼は決して嫌な顔を見せず、丁寧にラウンジの客へ持っていく事を意識するようになっていたのだ。
「お、お待たせしました……!こちら……『ウィンスピナー式バッテリー025型バージョン』となります」
「おぉ、助かるよ」
「えーと……名前のほう、合っていましたか……?」
「はは、大丈夫だよ。これは僕たちにとって高級品のバッテリーなんだ。ありがとう」
人間のような姿をしたその客は、自身の正体がアンドロイドである事を示すかのように、良太が運んだバッテリーからコードを伸ばし、腕にあるコネクタへ接続した。
まるで献血をするような格好で満足げな表情を見せる客に、良太はしっかりと『どういたしまして』という挨拶と、客が喜んでくれて嬉しい事を示す笑顔を返す事が出来た。
彼の心には、女将から聞いた言葉が真実であるという確証がしっかりと根付いていた。
誰かを思って行う『おもてなし』は、巡り巡って自分自身を幸せな気分にするものだ、と。
その後も、良太は忙しくラウンジを巡り、そこで寛ぐ客がより幸せな時間を過ごせるよう、精一杯手伝い続けた。
動物の姿をした客、粘土細工のような客、紙人形にしか見えない客――個性豊かな姿形をした『人々』を相手に、彼は自分が出来る限りの事を行った。
動作はドタバタしており、応対も女将に対して未熟である事が丸分かりであった。しかしその瞳は、明らかに真剣なものへと変わっていたのである。
そんな中、着用している作務衣の力で無限に広いラウンジを移動する良太は、廊下への入り口付近で迷っている様子の客を見つけた。
服装から性別や外見を判断するのが難しそうな、不思議な外見の人物であった。
しかし、良太は決して怖気づく事無く、そちらの人物の方へと歩き出し、しっかりと聞こえる音量で声をかけた。
「あの、何かお困りですか……?」
すると、その客は良太の耳元に口を近づけ、どこか恥ずかしそうにある事を尋ねた。
なぜそのような事をするのか、彼はすぐ理解できた。確かにこれは、自分から誰かに聞くのは人によってはばかられてしまうかもしれない。
そして、彼はその人物を目的の場所――各部屋にあるものとは別個に設置されている『公衆用トイレ』へと案内した。
部屋を一旦出てラウンジでのんびりしようとした直後にトイレへ行きたくなってしまい、困っていたのである。
そして、その人物は一礼をした後、急いでトイレへと駆けこんでいった。
大変な事態にならなかった事を確認した良太は、安堵のため息をついた。
そんな彼を眺める千代たちの表情もまた、どこか安心した、嬉しそうなものだった。
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『無限旅館』を次第に夜の帳が包み、夕食の時間が訪れていた。
客には美味しい料理に舌鼓を打てる幸せが待っていた一方、そこで務める従業員――無数の女将と良太には、旅館に欠かせない大仕事が待っていた。
多くの宿泊客が夕食を味わう間に、各部屋に布団を敷かなければならないのだ。
女将から指定された階へ向かっていた時、良太は同じ階を担当する別の女将にある事を進言した。
もう一度、この旅館流の『布団の敷き方』を教えて欲しい、と。
昨日聞いた際は、面倒臭さや反抗心が溢れてしまった結果、丁寧に教えてもらった方法を完全に忘れて礼儀作法も守らない酷いやり方を行ってしまい、あの老紳士を不快な気分にさせてしまった。
絶対にそのような事が無いよう、改めて伝授して欲しい。今度は絶対に心の中に留めておくから――その瞳には、真摯な思いが込められていた。
「「「……ええ、もちろんですわ」」」
多数の女将の回答には、まるでその良太の言葉を待っていたかのような嬉しさが込められていた。
そして、客室に入った彼は、女将の言葉を一字一句絶対に逃さないよう、真剣な面持ちで耳を傾けた。
「まずは、床との位置を確認して、布団が沈みすぎないように。シーツはしわが寄らないよう丁寧に広げます。そして……」
続いて、女将に促され、良太は実際に布団を敷き始めた。
ほんの僅かなミスでも丁寧に指摘する女将の言葉にめげる事無く、彼はしっかりと布団の襟を正し、丁寧にシーツを伸ばした。
布団の向きや枕の位置、毛布の重なり。どうでもよい、眠れれば良いだろ、と今までなら思っていたかもしれない。
だが、今の彼にそのような『負の意識』は完全になかった。
「一番大切な事は、自分がもしお客様の立場だったらどうなのか、と考える事。貴方が『無限旅館』のお客様だった時、快適に眠る事が出来るかどうか、見た時に安心感が得られるかどうか、想像してみくださいませ。それが、『おもてなし』に欠かせない心構えの1つですわ」
「……はい!」
女将の頼もしい言葉を背に、良太は黙々と仕事を続けた。
一部屋終われば、また一部屋。果てしなく続く部屋を回る仕事は決して楽ではなかったが、その中で感じる疲れは明らかに昨日のものとは異なり、不思議と心地良さが残るものだった。
そして、そろそろ客が夕食を食べ終えそうな時間を見計らい、長く続いた布団敷きの時間は終わりを迎えた。
「「「「「お疲れ様でした、良太さん」」」」
「お疲れ様でした……!」
そう言葉を返す彼の顔には、僅かばかりの笑顔も見えていた。
そして、自分たちもそろそろ『√-1階』にある職員用の食堂へ行き、美味しい夕ご飯を食べよう、と進言した女将に返ってきたのは、意外な言葉だった。
「あ、あの……もし良かったら、俺、女将さんの配膳を手伝いましょうか?」
「「「「まあ……でも大変ですわ。私の数はそれこそ『無限』にいますし……大丈夫ですか?」」」」
「……それでも、やってみたいんです……」
その言葉を受け、女将たちは納得したような笑顔を見せた。
やがて、彼らは目的地である『√-1階』へ到着した。食堂の扉を開くと、そこには今日も夥しい数の女将=仙台千代の大群が、笑顔で待っていた。
ただ昨日と異なるのは、まだ彼女たちの目の前にある机に料理が用意されていなかった事であった。
「「「「「それでは良太さん、お願いします」」」」」
「「「「「勿論、今日の配膳係であるわたくしたちも手伝いますわ」」」」」」」
「はい……ありがとうございます!」
そして、良太はこれまた夥しい数の配膳係の女将と協力して、『無数』の女将の目の前へ配膳を開始した。
ご飯、味噌汁、煮物、今日のまかない飯の目玉となる猪肉の照り焼き。
多数の食事を絶え間なく大量の女将のもとへ運ばなければならない作業は、文字通り無限に続きそうなほど大変なものだった。
しかし、それでも良太は沢山の女将と連携しながら、食堂を全力で動き回った。あちこちから無数に響く良太を応援する声を背に受けながら。
「「「ありがとうございます、良太さん♪」」」「「「頑張ってください♪」」」「「「「「「応援していますわ♪」」」
何とか配膳を終えた頃には、既に良太の足は棒のようになり、空腹も限界まで達していた。
しかし、ヘトヘトになりながらも彼の顔は笑顔に包まれていた。
「良かった……無事全員の女将さんのもとに料理が……」
「「「「ええ、大丈夫ですわ。良太さんのお陰です♪」」」」
そう言って、女将は一斉に良太へウインクを見せた。
無数の美貌から放たれる色っぽい仕草に、彼は全身が真っ赤になった。
昨日にはなかった『気恥ずかしさ』を感じる心の余裕が、彼のもとに戻ってきたのである。
そして、彼が席に着いたのを見計らい――。
「それでは、手を合わせて……」
「「「「「「「「「「いただきます♪」」」」」」」」」」
「いただきます……!」
――『無限旅館』の従業員たちによる夕食の時間が幕を開けた……。




