第1話:無限との遭遇
人々が暮らす都市から離れた、深い霧が立ち込める深い森の中。
幻想的な風景を横切るように敷かれている道路の上を、1台の車が進んでいた。
「はぁ……」
助手席に座る1人の青年は、スマートフォンを操作していた手を止め、深いため息をついた。
車の周りを包む森の空気と同じような、自身のどんよりした気持ちを示すように。
そんな彼を、運転席でハンドルを握る1人の女性がたしなめた。
「ちょっと、良太。そんな態度でどうするのよ」
今の態度のままでは、これから向かう『旅館』の人に失礼だ。もっとやる気を出したらどうなんだ。
女性から飛ぶ厳しい指摘に、『良太』と呼ばれたその青年は眉をひそめ、窓の外へ目を逸らしながら返事をした。
「分かってるよ、母さん……」
だが、その口調やその表情には、『やる気』という言葉が一切浮かばないようであった。
なんでわざわざ『職場体験』なんていう学校行事に参加しなければならないんだ。
自分の『未来』なんて流れに身を任せて生きてればそのうち自然に決まるだろうに、なんで自分から選ばなきゃならないのか。
そんな心の中の不満が、これでもかと現れているような態度を、彼は見せ続けていた。
この青年――ごく普通の男子学生である『関本良太』が向かっていた先にあるのは、非常に長い歴史を持つという老舗の温泉旅館。
これから彼はそこで3泊4日という長期間の職場体験をする事になっていたのである。
しかし、そこは良太自身が選んだ場所ではなかった。
自分の未来に対して考える気力がほとんど湧かなかった彼は、職場体験の希望先を提出しないまま期限を迎えてしまい、学校の裁量によってこの老舗旅館での仕事が割り振られたのである。
しかも、どういう訳か良太以外にその旅館を選んだ人はおらず、最終的に見知らぬ旅館に泊まり、たったひとりで様々な仕事を体験する羽目になってしまった、と言う訳だ。
(はぁ……なんで俺だけがこんな場所に……)
旅館と言えば、毎日のように雑棚仕事で忙しくて休む暇がなく、様々な礼儀やしきたりでいっぱいの厳しい所と聞く。
他のクラスメイトは近所のスーパーや本屋、テーマパークなど、それなりに面白そうだったり楽が出来そうな場所に行っているというのに、何故自分だけそんな所に行かなければならないのだろうか。
自分の過去を棚に上げつつ、良太はため息をもう一度つきながら、うんざりした表情で窓の外に広がる景色を眺めた。
彼の心が具現化するように、視界に広がる霧はますます濃くなり、辺りは既に何も見えなくなっていた。
そもそも、こんな異様な空間の中に、老舗の旅館とやらがあるはずないだろう――現実味が余りにも乏しすぎる空間に、良太が疑念を抱き始めた時だった。
「ほら、良太、見えてきたわよ」
車を運転し続けた母の声に促され、彼は前方に視点を移した。そして、次の瞬間――。
「……へ……?」
――目に入った『現実』が理解できない事を示す声をあげながら、彼の口はぽかんと開いた。
霧に包まれた森の中、『それ』は姿を現していた。
質素ながらも堅実な作りのその木造建築は、空に向けてどこまでも伸び続けていた。その高さは文字通り果てしなく、地上からは到底観測できそうにない程だ。
加えて、『左右』に関しても幾つもの建物が何層にも連なっており、それらを結ぶ渡り廊下がまるで網の目のように存在していた。一体どこまで建物や渡り廊下が存在するのか、その端がどこなのかすら一切分からなかった。
それはまるで、超巨大な山、いや、無数の山を連ねる山脈そのものが1つの建物になったような姿だった。
「……な、な……な……」
なんだよこれ、という言葉すら出ないほど、その異様な光景に唖然としている良太を見て母は微笑みながら語った。
ここが、今回自身の息子である良太が泊まり込みで職場体験をする場所になる『老舗旅館』だ、と。
「なあ、母さん……これって、AIが作ったプロジェクション何とかだろ……?」
現実逃避をするような良太の言葉を、母はどこか楽しそうに否定した。
「ううん、これはれっきとした『現実』の光景よ」
いやいや、こんな漫画やアニメみたいな事なんて、あってたまるか。
絶対にヤバい場所だろ、ここは。
それが、関本良太がこの老舗旅館――『昼辺・瑠斗無限旅館』に抱いた、第一印象だった……。




