カリスタは王命を受け入れる
うららかな日差しが心地よい、穏やかな午後の事である。
色鮮やかな薔薇が咲き誇る庭園で、読書をしながら優雅にティータイムを楽しんでいたカリスタは、ぱたんと本を閉じた。
ページを開くだけで広がる世界は、真実の愛とか運命の出会いとか架空であるから面白く、物語の余韻に浸っていた。
現実感のないものは気晴らしになるわね、なんて思ったところで、唐突に現実に引き戻された。
急ぎで現れた執事から「至急、目を通すようにと陛下からでございます」と差し出された封筒へ胡乱な目を向けた。
押されているのは、間違いなく王家の封蝋である。
碌な内容ではないとカリスタにも予想はついたけれど、わざわざ「従兄弟がやらかした」と前振りがあったので、対応が後手に回ればさらに面倒が起きるに違いなく、速やかに封を開ける。
そして事の顛末に、あきれ交じりの長い溜息を吐き出した。
物語であれば面白いが、現実だと状況の修正で周囲が混乱するだけだと断じる程度にはドライな性格だった。
やらかしの内容も、青いわねぇ、というのが正直な感想である。
第三王子は思春期真っただ中の14歳。
反抗期も手伝って、王や近衛には内緒で街に降りては、市井の生活を学ぶという体で庶民体験を満喫していた。
もちろん影はついているし、少数の護衛も連れているが、良いところの坊ちゃんであるのは隠せない。
その際に同年齢に見える、可愛らしい少女と仲良くなったそうだ。
特に約束はしていなくてもお忍びに出るたびに少女と遭遇した。堅苦しい宮廷生活からのささやかな解放感も手伝い、可愛らしい異性に慕われれば、当然ながら好意的な気持ちも育つ。
何度も一緒に街歩きを楽しんでいるうちに、つい「君との出会いは運命かもしれないね」などと言ってしまったらしい。
それは気軽な感想で、口説いているわけでも恋の告白でもなかったが、芽生えかけの恋心をくすぐられた少女は真に受けた。真に受けたからといって、王子と市井の少女では明らかに身分が違う。
王子が気まぐれなお忍びをやめれば、二人が交わることなど二度とないはずだった。
ところが、である。少女は魔女だった。
それも「愛からの言葉」を魔法の源にする、愛の魔女である。
友愛・親愛・敬愛等々と、愛の全てが存在意義である愛の魔女が、運命などと口にした相手が他を求めるのを許せるわけがない。
第三王子の婚約者を選ぶ茶会が開かれると知って激怒した。怒髪天を衝く勢いのまま、その会場に乗り込んだのである。
ガラゴロと響く雷雲を連れた魔女の登場で混乱する会場で、愛の魔女が声高に「どういうことか説明して!」と叫んだ。
魔女の登場に驚きながらも、第三王子が「僕は王族だ。庶民も魔女も、最初から運命ではないよ」と正直に答えたものだから、当然ながら愛の魔女は激高したのである。
限界を突破した怒りで、ピシャーンと派手な雷光が空を横切った。
「最初から乙女の恋心をもてあそぶ気だったのね! 真実の愛からの口づけを受けるまで、解けない呪いで反省すればいいわ! 王家の種馬にふさわしい姿になぁれ!」
えーい! と杖から放たれた呪いが一直線に第三王子に向かい、魔女は高笑いを始めたが、すぐにスンっと表情を消した。
迫る呪いに固く目をつむった第三王子も、しばらくたつと周囲のざわめきのいびつさに、そろそろと目を開ける。
馬がいた。
栗毛の馬が一頭、スライディング状態から身を起こし、よいしょとばかりに第三王子の目の前で立ち上がったところだった。
王宮で飼われている馬とは違う種なのか、どこか垢抜けない感じで、体格の良い朴訥な雰囲気の長毛馬である。
なぜ、馬がこんなところに?
そんな疑問がここかしこで湧き上がる中で、当の馬も違和感に気付く。
ブルンと鼻を鳴らした馬が、コテンと首を傾げて「おやぁ?」と人間の声で言葉を発したことで、すべての人が理解した。
その馬は、第三王子の代わりに呪いを受けた騎士であった。
思いもよらぬとばっちりであったが、馬になった騎士は王子が無事でよかったなぁなどとのんきに思い、当の魔女は「嘘でしょ~」と頭を抱えながら、逃げ出したのであった。
一連の顛末は、聞くだけなら喜劇だが、当事者には悲劇である。
愛の魔女は逃げたが、呪いの解き方はわかっている。
しかし、である。真実の愛、というのが厄介だった。
馬になった騎士に婚約者はいなかった。
お付き合いしている女性もいないし、もっと言えば、お付き合いしたことのない歴が年齢と一致していた。
呪いを解くためには真実の愛で結ばれる異性が必要だが、まごうことなき馬と恋愛をしたいという猛者もいなかった。
それなら、王命を出してしまえ、となるのも当然といえば当然のことである。
そんな喜悲劇の流れ矢がカリスタに刺さったのも、高貴な血筋のせいだった。
カリスタのフルネームは、カリスタ・フレアロワイヤル・フレイムローズ。
王弟であるフレイムローズ公爵の長女で、王位継承権も持っている。現在の王家は国王も王子三人も健在だが、世が世なら女王陛下と呼ばれる身の上でもあった。
半年ほど前までは、帝王学と同時に公爵家の後継として当主教育も受けていたが、昨年、弟が生まれたのでその座を譲ったばかりである。
高位貴族の令嬢には珍しく、生まれてこの方婚約者はいない。
カリスタよりも賢く堅実で補佐を得意とする者を探したが、国を背負う重責に耐え、野心は薄くとも国を発展させる気概を持ち、非常時には王配となる才覚を持つ者という条件が厳しすぎて、釣り合う若者が見つからなかったのである。
十代の初め頃でさえ「この人はどう?」と打診を受けるのは、40代が若手で、平均年齢は還暦だった。
国を動かすともなると、その程度の年齢差は目をつむるべきかもしれないが、婚姻を結んでもあっという間に天に召される可能性もあり、すべての話が流れた。
今年、カリスタは21歳になるので、令嬢として他家や他国と縁を結ぶには遅すぎるが、いつまでも独り身というわけにはいかない。
悩ましい問題に、王家からこれ幸いといわんばかりに届いたのが、馬となった騎士との婚姻である。
原因が第三王子の惨事なので帳尻合わせのように、王族としての責任を果たせと、ご丁寧に王命を出したのだ。
王族の血筋に、カリスタの他に年ごろの娘がいないので、とんだとばっちりであった。
『勇気ある騎士の献身に報い、真実の愛で呪いから解放せよ』
王命の言葉こそ真っ当だが、馬になった見ず知らずの男と真実の愛を育むなど、無茶ぶりが過ぎる。
もとは人間でも、馬は馬である。しかも、しゃべる馬となると、奇々怪々すぎるではないか。
王命を出されてもねぇ……と眉根を寄せたものの、ふむ、とカリスタはすぐに思い直す。
国益のために、他国のハーレムや後宮に送り込まれることを思えば、それほど悪い話ではない。
かしましい女ばかりの園で、側妃・寵姫・愛妾とのキャットファイトや、国家間の駆け引きや陰謀に四六時中向き合うなど、面倒なばかりである。
それに比べたら、王命で馬と結婚することで雑多な責任を振り捨て、美容にも健康にも良さそうだ。
あわよくば王領の中で豊かな土地を、爵位と同時に領地として譲り受け、長閑な土地でスローライフを送るのは、ある意味理想的でもある。
「悪くないわね」
ふふ、とこぼれた微笑みとともに、カリスタは立ち上がった。悪くない話なら、善は急げである。
「セバスチャン、馬車の用意を! わたくしの婚約者に会いに行くわよ」
豪奢な黄金の巻き毛を後ろに払い、カリスタは軽やかに歩き出す。
恋にうつつを抜かせるほどふわふわした性格ではなかったが、大手を振って自由を満喫できるなら、馬と結婚するぐらい大したことはないのだ。
うまくいったら呪いが解けて、人間と真っ当な結婚生活が送れるかもしれないのだから、これは幸福の兆しかもしれない。
それから数刻後。
夕闇が迫る馬小屋で、カリスタと対面した馬騎士は、大きな馬体を縮こまらせてブルブルと震えていた。
「美人すぎて目がつぶれる」
ギュゥっと固く目をつむり、何かに耐えているような有様に、カリスタは手にした扇をパチリと鳴らす。
「目を開きなさい、エドラン・ハースロウ。王命で貴方は、一生涯の伴侶として、わたくしと人生を共にするのだから、この美貌に慣れるのは当然の急務ですわよ!」
傲慢ともいえる無体な欲求に、馬騎士はひぃっとさらに身体をこわばらせるのだった。
馬騎士の名は、エドラン・ハースロウ。
長閑で自然豊かな領地を持つハースロウ子爵家の第三子である。
貴族家の第三子となれば、引き継ぐ領地も爵位もなく、自身の才覚で生きることを望まれる。
その期待を裏切らず、エドランは騎士となった。
それも王都に拠点を置く王国騎士団に籍を置き、王城を拠点にしている部隊に配属されているから、腕も立ち頭も悪くない。
けれど、その程度の騎士爵持ちは珍しくもなんともないのも事実であった。なんなら、王城勤めの騎士すべてが似通った境遇である。
そして、他の地方出身の王城勤めの騎士と同じく、鍛錬に明け暮れ、女っ気がないまま時が過ぎ、気が付くと24歳になっていた不器用者でもある。
結婚という二文字に憧れて、そろそろ相手が欲しいなぁなんて、同僚と話していたのは確かだった。
騎士という職業はもてるが、真面目であれば女性との接点が消えていく、理不尽な側面もあった。
お見合いのセッティングを上司に頼もうか、なんて話も出ていたが、だからといって王位継承権を持つ公爵令嬢なんて持ち出されても困るのだ。
おまけにカリスタは美人だった。
絶世の美人といって過言ではないし、女神と並んでもそん色ない美貌の持ち主。
黄金の巻き毛をクルクルと縦に巻き、サファイアよりも深い青の瞳は勝気に輝き、艶めいた薔薇色の唇は小ぶりで、触れたら折れそうな細い腰と対比する豊かな胸に、どこに視線を向ければ良いかすらわからない。
ぶしつけに見つめただけで、そこから汚れてしまいそうなほど神々しい美女の出現に、馬の逃走力を活かして逃げ出さなかったことを褒めてほしいぐらいだ。
突如、目もくらむような美貌の持ち主が現れただけでも落ち着かないのに、婚約者だと名乗った上に「婚姻式の日程を詰めますわよ」なんて語りだしたので、情報量が多すぎて混乱していた。
直視をはばかられるほどの美貌は、世界最大の罪だとすらエドランは思う。
「無理です。俺は馬でいいです。わきまえています。お姫様は遠くにありて想うものって、古典の文豪も言ってました」
「別の文豪は、美人は三日で慣れると言いましてよ。さぁ、慣れるために、わたくしの姿をその目に焼き付けるのです」
無茶ぶりが過ぎる、とエドランがもごもごしているうちに、カリスタは不満そうに馬小屋を見回した。
確かに馬の姿だが、呪いを引き受けた恩人に対して、この所業は許されないと不満を抱く。
「お人よしが過ぎるのではなくて? 失態を犯した従兄弟の部屋を乗っ取っても良くてよ?」
「いやいやいやいや、人間の住居は全体的に小さすぎるから、ここがいいです」
王宮の応接室に押し込められたが、ちょっと身動きしただけで高級そうな壺だの調度品だのを壊してしまいそうで、早々に自分から馬小屋に逃げてきたのだ。
適当な返事をすれば、王子の部屋を本当に強奪しそうだったので、きっぱりはっきりと断った。
馬の身体は大きすぎて……などと説明を始めたエドランに、カリスタは「そう」とひとつうなずいた。
「では、わたくしの館にまいりましょう」
公爵家の別邸はカリスタが受け継いでいるが、先々代が大虎を飼っていたので館の作りそのものが大きいのである。
動物用の寝台も浴場もそろっているので、これは天の采配かもしれない、などと運命論を持ち出してみた。
「たとえ、生きている間に呪いが解けなくとも、貴方の人としての尊厳は守るわ」
いたれりつくせりの人生ならぬ、良い馬生を確約されても困った様子のエドランに、フフフ、とカリスタは微笑んだ。
ほいほいとノリ良く飛びついている輩よりも、試行錯誤を重ねる慎重さは好ましい。
馬の姿は、どこからどう見ても馬だが、なんとなく人間の表情も思い浮かべやすく、なんだか可愛らしくて見た目も気に入った。
「案外、王命って良いものね」
高位貴族らしい感覚に、エドランは早々に白旗を上げた。
気持ちも思考も追いつかないが、王族の意向にノーを言わないのも王国騎士のたしなみである。
「王命、怖い」
ポツンとつぶやくぐらいは許してほしかったが、挑戦的な声音が返された。
「怖くとも、立ち向かうのが騎士の本懐でしょう? 何か文句があって?」
文句はないが、もうちょっと思考と時間的な余裕が欲しいとエドランは思った。
出会ってからの時間は短いが、それなりに賢いので反論はしなかったけれど。
それに、結婚に対して夢はあったのだ。
愛し愛される仲、と言えば気恥ずかしいが、生涯を伴侶と愛情でつながりたかった。
顔も真正面から見られないほどの麗人と、愛情の育み方は見当もつかなかったが、とりあえず訪ねてみた。
「いいんですか? 一生馬かもしれません」
それはそれで楽しそう、などと思っても言わない程度の配慮は持ち合わせていたので、カリスタは「そう?」とつまらなそうに肩をすくめる。
「真実の愛、でしたかしら?」
要は相思相愛になり、口づけを交わせば良いのだ。
恋愛経験は皆無だが、不可能ではないとカリスタは言い切った。
「今の俺は馬です」
だから? と首をかしげたが、馬にキスをする自分を思い浮かべて、鈴が転がるように笑い出す。
王配を探しているときの伴侶候補は、還暦の爺が三人もいた。髪の毛が薄かったりお腹が出っ張っていても不服はなかったので、それを思えば馬面に口づけなんて愛らしいばかりではないか。
むしろ、人の姿に戻ったエドランを前にしたら、口づけをためらってしまいそうだ。
あまりに愉快な想像に笑い転げていたが、カリスタは目に涙を浮かべながら胸を張った。
「わたくしに不可能はなくってよ」
なんだかなぁ〜と戸惑いながらもエドランは、まばゆいばかりのカリスタの自信に満ちた微笑みに、目を細めて魅入ってしまう。
真実、カリスタには不可能などないのだろう。そう信じてしまえるほど、美しく力強い微笑みだった。
ついそれで「わかりました」なんて答えてしまったばかりに、すぐさま物理的に尻に敷かれることになるのだが、それはそれ、これはこれである。
馬車に乗らず、エドランの背に飛び乗って「婚約者同士の交流を始めましょう」などと言い出すものだから、見た目を裏切ったお転婆加減に驚いた。
「喜びなさい、エドラン。わたくしの愛情すべては貴方のものよ」
背に乗せたカリスタから、そっとささやかれた瞬間を、生涯にわたってエドランは忘れられなかった。
初めてその言葉を聞いたのは、公爵家の別邸に向かう途中である。
共に過ごす中で幾度も聞いた愛の言葉だが、呪いが解けるかどうかもわからない、出会ったばかりの相手にかける言葉ではなかったので、深く心に刻みつけられた。
高貴な麗人への憧れや敬愛を越えて、心からの愛の種が芽吹いた瞬間でもあった。
長い人生のうちでは、呪いが解けたり別の呪いがかかったり、愛の魔女と第三王子がくっついたり離れたりくっついたりを繰り返したり、愛とは何かを試行錯誤するような出来事が、数多に起こるのだけど。
結局のところ、愛して愛されることを知るために必要な過程だったのだろう。
始まりはとばっちりで結ばれた婚姻だったが、真実の愛だったと語るに足りる一生だった。
けっきょくのところ、カリスタは言葉通りに生きた。
数奇な縁で得た夫と、幸福な一生を送ったのである。
【 おわり 】




