兄弟悲劇
チャッピーにお願いして話をまた書いたよー
【Ⅰ:兄と弟】
湊は、生まれたときから「弱いほうの兄」だった。
能力も要領も悪く、どれだけ努力しても、弟の遼には敵わない。
周囲もそれを当然のように扱い、
「弟のほうが優秀だね」「兄なのにね」
と無邪気に比較した。
それでも遼は兄を馬鹿にしなかった。
むしろ執拗なまでに側に寄り添った。
『兄さんは僕がいないと駄目だから』
それは慰めではなく、事実を確認する声のようだった。
湊はその言葉を否定できなかった。
ずっと、遼がいないと生活できなかったからだ。
家事、外とのやり取り、進路、収入管理。
遼はすべてを代わりにやった。
気づけば湊は「弟の庇護なしでは動かなくなる大人」になっていた。
【Ⅱ:小さな外の世界】
二十代半ばになり、湊はアルバイトを始めた。
遼に否定はされたが、「自立したい」という曖昧な願望が湧いたのだ。
職場は小さなコンビニ。
湊は不器用ながら、一つのレジを任されるようになった。
そこで、唯一世話を焼いてくれた同僚の女性がいた。
「湊くんってさ、弟さんの話になると変な止まり方するよね」
「大丈夫? 兄弟仲……“普通”じゃなさそう」
湊は笑ってごまかした。
誰にも相談しようとしなかった。
相談すれば、遼が傷つくと思ったから。
しかしその“よくない違和感”は、彼女の中で膨らんでいった。
【Ⅲ:すべてを奪われる日】
ある日、湊が出勤しようとすると、店長に呼び止められた。
「例の件、了解したから。身体大事にね」
“例の件”?
湊は理解できなかった。
店長は言う。
「弟さんから連絡あったよ。
もう働けないって。辞めたいって。
ほら、君のスマホ番号、繋がらなかったしね」
湊はその場で固まった。
帰宅すると、テーブルの上に湊のスマホが置かれていた。
SIMカードが抜かれている。
遼は何も悪びれずに言った。
「兄さんは僕と一緒にいないと不安になるくせに。
外の世界なんて向いてないよ。
僕のほうが兄さんの幸せを分かってる」
湊の胸がざわついた。
“これは間違っている”という感覚。
「やめてくれ……遼。僕は……自分で……」
「無理だよ。兄さんは、一人じゃなにもできない」
遼は淡々としていた。
その平坦な声が、湊の背筋を凍らせた。
【Ⅳ:閉じ込め】
その夜、湊が風呂から上がると、
玄関の鍵が新しいものに替わっていた。
窓には補助錠。
外へ通じるあらゆる道が塞がれていた。
遼はソファに座り、こちらを見上げた。
「ねぇ兄さん、外に出ようとするから悪いんだよ」
湊は震えた。
「これは、犯罪だ……やめろ、遼……」
「兄さんは僕のものじゃないの?
僕だけが兄さんを理解してるのに」
遼の目は、情ではなく“観察者の好奇心”で濡れていた。
湊は悟った。
遼は兄が好きなのではなく、
兄という存在そのものの反応を“観察する対象”として愛しているのだと。
【Ⅴ:逃げようとした夜(抽象表現)】
湊は逃げようとした。
バールのようなものを持つわけでもない、ただ必死で。
窓の補助錠を壊そうとして、物音を立ててしまった。
遼が後ろから腕を掴む。
「兄さん、逃げないでよ。
僕は兄さんのためにここまでしたのに」
言葉は通じない。
湊は初めて“力”で遼を振り払おうとした。
狭い部屋で、二人はぶつかり、倒れ、
家具が倒れ、息が荒れ、
互いに必死で――
――その瞬間のことだけ、湊は思い出せない。
気がつくと、遼は床で動かなかった。
湊の手は震え、壁に縋って立つのがやっとだった。
【Ⅵ:取り調べ】
薄暗い取り調べ室。
机の向こうで刑事が湊に問いかける。
「湊さん。弟さんを殺害したのは、なぜです?」
湊は喉を押さえたまま答えた。
「ち、違う……違うんです……
逃げようとしただけで……
僕は……僕は悪くないのに……
遼が……遼が……」
刑事は静かに紙を置く。
「弟さんは、あなたを閉じ込めていたのでは?」
湊は激しく首を振る。
「違う!!
遼は……
遼は僕を……観察していただけで……
僕を……愛して……
あ、あれ……?」
声が崩れていく。
机の下で震える手。
視線は焦点を失い、
湊はぽつりと呟いた。
「……遼、後ろにいるんだよね……」
【Ⅶ:最悪の余生】
退院した湊は、施設の小部屋で暮らしている。
自分の影が伸びると、その隣に“もう一つの影”が揺れた。
夜になると布団の隣が沈み込み、
誰かが囁く声がする。
『兄さんは僕なしじゃ生きていけないよ』
湊はこわごわと頷く。
「うん……わかってる……
遼……もう離れないよ……」
窓ガラスに映る自分の肩越しに、
亡くしたはずの弟が微笑んでいた。
現実の遼はもういない。
けれど湊の世界では、
遼は永遠に古びない。
逃れられない。
忘れられない。
終わらない。
そして、湊が死ぬその日まで――
二人だけの世界は壊れたまま、閉じたままだった




