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終焉の魔女に言の葉を  作者: みみっきゅ
第一章 砦の襲撃と覚醒の胎動
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2.霧と焔と名乗れない声

数ある作品の中からこの作品を見つけていただいてありがとうございます。是非、拙い作品ですが、楽しんでみていただけたら幸いです。


空を覆う黒雲が、ゆっくりと形を変えながら森の向こうへと流れていく。

リィナとライハは街道を外れて、湿った小径を歩いていた。

森の奥のどこかで、冷たい鳥の声が一度だけ響いた。


乾いた砂埃はなくなり、苔むした地面が靴底をしっとりと湿らせる。

足元を覆う落ち葉が、二人の足音を飲み込んだ。



ライハはときどきリィナを振り返り、困ったように笑っては鞄を締め直す。


「……えっとさ、リィナ……って呼んでいいのかな?

自己紹介の仕方も分かんないんだよな……名前の読み方、間違ってたら怒って……」


リィナはフードの奥で首を小さく横に振ると、胸元のポーチから小さなチョークを取り出した。

手頃な倒木にしゃがみこみ、すらすらと書く。



『だいじょうぶ』



それだけの文字を見て、ライハは少し目を丸くして、

すぐにくしゃりと笑った。


「そっか。……やっぱすげぇな、君……無詠唱ってだけじゃなくて、なんか雰囲気が……」


言いかけて、ライハは言葉を飲み込んだ。


森を吹き抜ける風が、リィナのフードをわずかに揺らす。

その奥に見えた白い頬、澄んだ灰銀の瞳――

何も言わなくても、声が聞こえてくる気がした。




やがて二人は、小さな野営地に着いた。

旅人が木を組んで残した簡素な焚き火跡と、丸太を組んだ腰掛けがあるだけの場所だ。


空は相変わらず暗い。

昼間なのに、森の中は夕方のように薄暗く、焚き火の炎だけがほのかに温かい色を落とす。



「すぐに出るのもいいけど、今日はここで一晩過ごさない?

夜の森は物盗りが出るって言うし……」


ライハが荷物を降ろすと、リィナは迷わず頷いた。

焚き火のそばに座り込み、ポーチから乾いたパンを取り出して、小さくちぎって口に運ぶ。



「……あ、そうだ。」


ライハは鞄の奥から、あの古文書を取り出した。

表紙はひび割れていて、ページの縁はほとんど墨のように黒ずんでいる。


「これが、《時の執政エゲリア》の手記って言われてるやつ。

俺の師匠の師匠の、そのまた師匠が残した唯一の手がかりなんだ。」


ライハは焚き火の火に照らして、ページをそっとめくる。



ページの中には、読める文字と読めない文字が入り混じっていた。

詠唱魔術の古語、失われた象形文字、書き足された血の跡……

どれも生半可な知識では解読できない。


「声に縛られない君なら、この封印を“音の外側”から解けるんじゃないかって……」


リィナは何も言わない。

ただ、ページをじっと見つめる。

炎の揺らぎが、彼女の瞳の奥に映り込んだ。



数秒後、リィナは指先をすっと古文書に滑らせると、ページの縁に沿って小さく光を集めた。

口は開かない。けれど空気が震えた。


ライハが息を飲む。


ページの古いインクが、まるで虫が這うように動き出し、隠されていた短い詠文が浮かび上がる。



【鍵は声を超えし者に与えられん】

【時の執政の血を継ぐ者が、その血を代価に時を裂け】



「……これ……」


ライハが呟いた瞬間、風が止んだ。

木々のざわめきが消え、遠くの鳥の声すら届かない。


焚き火の炎が、微かに青く染まった。



リィナの指先はページの上で止まっていた。

けれど、何かが彼女の背後で息を潜めている。


焚き火の奥の暗がりに、気配があった。



ライハが杖を握る。


「……リィナ……!」


リィナも視線を闇に向けた。

そして小さく、彼にだけ分かるように首を縦に振る。


その合図の直後――

黒い影が焚き火に飛び込んだ。




夜盗だった。


布で顔を隠し、錆びた刃物を振りかざして焚き火の明かりを遮る。

二人の荷物が狙いだ。


ライハが杖を構えた瞬間、短刀の切っ先が目の前をかすめた。


火花が散る。

焚き火の薪が跳ねて、灰が二人の間を舞った。


「金を出せ! 無詠唱の魔女? そんなもん関係ねぇ!」


盗賊のリーダーが笑った。

歯が抜けた口が焚き火に照らされ、白く鈍く光る。



しかしリィナは動かない。

声も出さない。

ただ、ゆっくりと右手を伸ばした。


空気が止まる。


盗賊のひとりが一歩踏み出した瞬間、リィナの指先から霧のような光が散った。


詠唱なし。


次の瞬間、夜の森に冷たい風が走った。



盗賊の足元の土が、霧のように白く変わる。

水分を奪われ、靴底が地面に張り付いた。

盗賊が叫ぶ声と、パキパキと氷が割れる音が混ざった。


リィナの目の奥には感情がなかった。

ただ、目の前の“邪魔”を無音で消すだけ。



ライハが咄嗟に彼女の肩に手を置いた。


「リィナ、もういい! もう止めろ!」


リィナの瞳が、ほんの少しだけ揺れた。


冷たい霧はほどけ、盗賊たちは足元を残して転げるように森の奥へ逃げていった。


静寂が戻る。


薪のはぜる音だけが、焚き火の中で小さく響いた。




二人は腰を下ろす。


ライハは震える息を吐いて笑った。


「……君、やっぱすげぇな……。

無詠唱ってだけじゃない……何かが、普通じゃない……」


リィナは何も言わない。

ただ自分の指先をじっと見つめていた。



焚き火がぱちり、と音を立てた。


ライハが口を開く。


「……俺さ、昔、兄貴が魔法の暴走で死んだんだ。」


リィナが顔を上げる。


「俺の家系は、詠唱がうまいやつほど強いって言われてた。

兄貴は誰よりも正確に詠唱できた。

けど、声が多すぎたんだ……制御できなくなって、自分の心臓ごと焼いた。」


ライハの声は静かだった。

笑おうとして、笑えなかった。



「……でも、君は声がない。

声に縛られないってことは、暴走の心配もないってことだろ?

君は、兄貴がなれなかった“理想の魔術師”だよ。」


焚き火の火が、ライハの目に映る。

その光がリィナの胸を、少しだけ温めた。


リィナは小さくチョークを取り出して、彼の杖に文字を書く。



『ちがう』



ライハは目を見開く。


リィナは小さく口を開いた。

声は出ない。

けれど、かすかに震えた唇が言った。


「……こえ……」


かすれた空気が漏れた。

声にならない声。


ライハは何も言えなかった。



遠くの森の奥から、また黒雲がざわめくように動いた。

その先には、まだ誰も知らない“執政の魂”が息を潜めている。


リィナは焚き火の火を見つめながら、静かに思った。


この声なき自分が、もし“声”を取り戻せる日が来るなら――

それは、誰かの死を引き換えにしか訪れない。


それを、まだ誰も知らない。



 次回もお楽しみに。

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