19. 代償の記憶、壊れた影
間話ってあったほうがいいですか?
一応章終わりに書く予定です!
路地裏に、遠い鐘の音がかすかに響く。
街の教会が夜更けを告げていた。
カイの血の跡が石畳にまだ生々しく残っている。
その匂いを覆い隠すように、霧の獣がゆっくりと形を変え、孤児院の少年――マルコへと低く唸った。
マルコは、泣きそうな顔で袋を抱えて立ち尽くしていた。
リィナがあげた小さなパンが、少年の胸元で揺れている。
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カイが、矢を掴んだまま地面に伏せた。
「……やめろ……こいつは関係ない……!」
声がかすれて届かない。
ライハも魔力障壁を張ろうとするが、リィナの横顔を見て言葉を飲んだ。
彼女の瞳は、まるで遠い夢を見ているように虚ろだった。
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シルフィアは泣きそうにマルコへと手を伸ばす。
「……お願い……お願い……!」
だが霧の獣は聖女の光さえ避けるように、別の影となってマルコを囲んだ。
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リィナの心臓の奥で、何かが軋んだ。
鼓動の音が、自分の鼓膜の内側で反響していく。
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(……あの時……母の声も、父の声も……何も届かなかった……)
(……泣いても、喉が焼けただけ……)
(……でも――)
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目の前で、また誰かの泣き声を聞くくらいなら――
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花束を握った手が震えた。
花びらが一枚、落ちて血の跡に張り付いた。
リィナの唇がわずかに動く。
「――全部……差し出す……」
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空気が、音を失った。
彼女の背中に、肩幅よりわずかに大きな光輪が静かに顕現する。
白銀の翼は片方だけ。
しかし羽の先端は金色に剥がれ落ちるように光を散らす。
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彼女の瞳には、もはや誰の顔も映っていない。
幼い頃の思い出の匂い、抱きしめられた温もり――
全てを代償に、エゲリアの魂が開かれる。
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時間が止まった。
街の喧騒、遠くの鐘の音すら、石畳に落ちる雫の音すら止んだ。
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マルコだけが、涙を流したまま止まっている。
霧の獣の牙もまた、マルコに触れる寸前で凍結していた。
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リィナの片翼がゆっくりと揺れた。
彼女の周囲に、無詠唱の魔法陣がいくつも浮かび上がる。
時の執政――時間の支配者が放つ、光と静寂の円環。
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光の矢が無数に生まれ、空間を漂う。
そして、静かに指先が下りる。
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時間、解放。
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凍った世界が、一斉に動き出す。
放たれた矢が霧の獣を何十にも貫き、仮面の刺客の胸元を撃ち抜く。
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影の獣は悲鳴を上げることもなく、音もなく塵と化した。
仮面の刺客は、胸から白い光を漏らしながら地面に崩れ落ちた。
仮面が割れ、青白い顔が覗く――
だがそれもすぐに、霧となって消え始めた。
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最後の声が、どこか皮肉げに笑った。
「……さすがだ……“器”よ……
でも……お前も気付いているだろ……
代償が尽きたとき――お前に残るのは……空だ……空虚だ……」
言葉が霧に溶け、夜風に吸われていった。
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リィナの足元に、落とした花束があった。
花びらには血が滲んでいた。
彼女の掌から落ちた血が、白い花を赤く染めていた。
マルコが怯えながら、リィナの影に抱きついた。
リィナは目を伏せたまま、もう何も思い出せない。
ただ、守れたことだけを静かに胸の奥で確認していた。
大理石の間に、月のような光輪が浮かんでいた。
その光を背に、上位魔人が一人、玉座の前で跪いていた。
玉座には仮面をつけた、さらに上の存在――
黒い法衣をまとい、声を漏らさない。
上位魔人は冷たい汗を額に浮かべたまま、必死に言葉を並べた。
「……必ず、“器”を貶めてみせます……代償を積み切らせて……我らのものに……!」
だが玉座の奥の存在は、返事をしない。
沈黙だけが、上位魔人の背を凍らせた。
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膝をついたまま、恐怖を押し殺しきれない上位魔人の指先が震えた。
「……失敗は……二度と……」
視界の隅に、自らの影が細くひび割れる幻が見えた。
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「――次こそは……次こそは……」
玉座の奥の光は答えない。
ただ冷たい月光のように、すべてを黙して見下ろしていた。
上位存在…好き好き大好き〜♫