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七転八起


戦いは、長引いた。一撃が放たれる度に、岩肌が削れて風景が変わっていった。それ程の威力が、出続ける鉄火場においてしかし、戦いが長引いたのはつまり、片方のその攻撃が、もう片方に一度も当たらないからだ。


動きがどうにも鈍い。いつもよりも格段に遅い。

紅蓮の師の動きは鈍重で、そして精細に欠いている。

あの、不意打ちのせいで出力が落ちている。

それは間違いない。


その上で圧倒的に。羅倶叉が上回っていた。

彼からすれば、どちらも等しく怪物で、手の届かない枠。だがその枠の中でも明らかに一つ二つほど、階級が違う。そんな事が解るほどに。


ごご、ごう。


冶魔の一撃は災害や天災だった。

丸太のような手脚が放つ一撃は岩肌をえぐり、空を捻じ曲げる。当たればつまり、何であろうと致命傷を追うだろう、そういった攻撃の全てを。するり、と当たらずに受け流していた。それ以上の威力を出すこともない。必要もないとばかりに、その全ての直撃を避けて、激流を自らの流れに乗せて、ただ消していく。



「あははは!あんな立派な口上しておいて、やることは避けるだけなのッ!?」


「どうしたよ小娘。

妾に当てれたのは、不意をついたあれだけか」


「減らず口!その口で紅蓮を誑かしたのかなぁ!」


綽綽とした口調ぎしりと笑う顔とは裏腹に、びきり、と怒りの音と、肉体が躍動する音が聞こえる。

そうなって、から。目を凝らしても紅蓮に見えない速度の雲耀がその場を支配した。冶魔も、全くもって本気ではなかったのか。さっきまでのあれですら、手を抜いていたのだろう。



そうして、それすら師には届かない。

その実、彼女の捌きを目視出来たわけではない。だが渦中にあって斃れず、死なずその場に立ち続けているとはつまり、そういうことだ。

ひたすらに、捌き続けるだけのその動き。冶魔は、だが焦りはしない。確かに十全の状態なればこのまますべての動きを見切られて、ただそのままに叩きのめされ足蹴にされていただろう。それほどの、力量差。


だが、向こうの景色まで見えるほどにぼっかりと空いた羅倶叉の風穴がこの戦いをその実力差のままにさせてはくれない。

師の受け流すのみで、攻めに転じない理由もつまり、少しでも力を込めればそこから、びゅ、びゅと飛び出てくる鮮血に基づくもの。


「ほら、ほら、ほらッ!

そのまま死ぬ気なら、うちがそうさせてあげるよ!」



だけれど、技の冴えは何一つ変わらないで。

だけれど、攻めの手は無いままで。

瞬間は突如として訪れた。

否。久遠を待ったような感覚もあった。

実時間はわかることはないし、必要も無い。


どご、というような。ぼぐ、のような。

捌くとは、別の音。それまでに聞こえてこなかった音。

全てを躱し凌いでいたそれが、初めて当たった音だった。それに当たって、一際大きく。

血が、風穴から噴き出す。命が噴き出す。


口からも、その衣より赤い血を吐き出す羅倶叉はそれでも口の端を吊り上げ笑っている。

だが、それは誰にでも分かること。

いよいよ限界が来たのだ、と。



「あはぁっ…!」


悪魔が嗤った。

膝をつきかけた、その華奢な脳天に今度こそ照準を定めて。ぎちりと内側から布が引き裂かれんほどの膨張と共に、腕を引いて。そうして、穿ち殺さんと。

先の、心臓を貫いたあれを、頭にぶち当てて。



紅蓮はそれを他人事のように、展延した時間感覚の中で見ていた。むしろそうあったからこそ、間に合ったのかもしれない。



その時、彼自身どう思っていたのかは、覚えてはいない。烏滸がましくも庇うつもりだったのだろうか。それとも、弱点を晒している、倒れた師を狙うその隙を逃さんとして、この体が動いてしまったのか。

だけどただ一つ。

変わらず思っていたことはつまり一つ。


『もうこれ以上、大切なものを失いたくない』



ずぶ。

根元まで、腹部に腕が埋まる感触。

苦痛は限りなくあった。

ああ、死ぬのだろうと、実感をした。

真に致命的な傷を負うと人はそれを悟るのだろう。



「……な…ぐれ、ん。お前…!」


だがそれを代償に、らくしゃを狙うその腕は止まっていた。冶魔と羅倶叉の間に身体を挟ませた、不出来な弟子如きがそれを止めることが出来たのは。きっと、奇跡だろう。



「…え?あれ。あれ?ち、ちが。

うち、その、そんなさ、そんなつもりじゃ」



動揺。何が理由かは彼には分からなかったが、だが冶魔にそれがあったのは、確か。

故に、この腹部を貫いた腕をもう片方の手で固定して。

そして男は冶魔に一歩を踏み出す。師に、逢うまでは一度たりとも踏み出せなかった、一歩を。


ああ。想う。

この一歩のみで、十分だ。これをそう出来ただけで私の人生には意味があった。これをさせてくれたというだけで、師に限りない感謝がある。


羅倶叉を、一瞥した。

泣き出しそうな顔をしていた。そう、させてしまった事だけは唯一の心残りだ。

だけれど、残りはそれだけだ。

私にこの歩を進めさせてくれた、この方を。私が守る事が出来たのならばこの生は、それでいい。

そう思った。


「すぅ」


息を吸う。

上手に出来ない。悲鳴が上がるほどに痛い。

だが。それでも足を踏み込む。もう、一歩。



「轟ォっ!」



掌底が、冶魔を撃った。その一撃はなんとか、巨躯の怪物に通じる程度の物となって、吹き飛ばす。山の天板から飛び落ちて行く姿を、確認する余裕は無かった。

ただ、吹き飛ぶ余波でずるりと引き抜かれた腹部の穴の苦痛に蹲るのみで何もできない。

だが、冶魔が戻って来なかったということは、撃退はできたのだろう。



「…紅蓮、ぐれん!この馬鹿、大馬鹿が!

何故こんなことをした!妾は、あれくらい避けれたわ!

お前に庇ってなんて貰わずとも、ともぉ…!」


げふ、げふ、と血を吐きながら師が蹲る弟子をゆする。

幸いというべきか、彼にはもう苦痛すらさして感じなかった。ただ初めて見るような師の顔に、申し訳なさだけがある。



「……私は…」


「…しゃ、さまに師事できて、しあわせでした」


それだけはなんとか、伝える事が出来た。

それを伝えた瞬間に、のみ。

彼女の貌が変わったような気がした。

先までの泣き叫ぶ少女のようなそれではない、もっと、いつか見た事があるような。

何も、思い出せはしなかった。そうする間すらなかった。ただ代わりに私に与えられたのは、死の暗闇。

静寂と瞼の裏の黒だけが、与えられた。




「………幸せだった、だ?」


「ふふ、く、ふふ。

……死なせるかよ、馬鹿弟子が」



顔は見えない。もう、見えなかった。

だけれどそれを見れなかったことは私にとっての幸福だったのだろうか。もしくは、不幸か。

最期に聞こえたのは、一つ。

それ以降は、もう、聞こえなかった。




「…なあ、紅蓮よう。次に生まれ変わったのなら、だ。

妾もお主と、一緒に旅をしたいものだ」






……





(起きよ)



そう、呼ばれた。

起き出す先は、無い筈だった。紅蓮は死んだのだから。

で、あるはずなのに。起き上がらんとする意識があることにまず驚愕をした。


求めるままに、目覚める。

そうして、自らの手を眺めた。

気付けば雨が降っていたようで、身体はしとどに濡れていて、周囲には水たまりがいくつも出来ていた。

それこそ、先までの厄災に穿たれたあなぼこに。



一番大きな穴は、彼自身のどてっぱらの、その中にある筈だった。そこは、塞がっている。

赤く脈動する、力の塊がそこには代わりにある。

そこになにかが詰められたかのように。


息が荒くなる。まさか、と。今置かれている自らがどうなったかの、ぞっとする予測して。そうはあってほしくない、想像。



(まさか。まさか、これは)



歩こうとしてがくりと膝を折った。

まだ、身体に残った苦痛が蠢いている。

そうして俯いた先にある水たまりの中で、彼は自分自身を見た。そうして、涙をぼろぼろと流した。


今や、紅蓮の名に恥じぬように。彼の平凡な黒い髪だったその頭髪も、目の色も、赤色に光を放っていた。

神々しく、仙たる力を得てしまったように。

そうだ。これが、この生きてる事が示すことはつまり。



「…羅倶叉さま、羅倶叉さまァ!いらっしゃりませんか!返事を、してください!らくしゃ様…!」



そうだ。先から、どこにも姿が無かった。

あの傷で、この山から離れようとしなかった彼女が、何故今ここの目の前にいないのか。それを敢えて考えようとはしていなかった。紅蓮はそれに直面した。



「……何故!なぜ、そんなことを!

私に、私なんぞに、なぜ…!」


「なぜ、私に!

命を授けてしまったのですか、師匠ッ!」



腹部に、触る。そこには確かに魂を感じた。

彼自身が否定していた霊魂の存在。それを今となっては確かに感じる。どこまでも老境で、怪物的で暖かい。

共に過ごした、あの方のたましいを。


力を。たましいを。命を。

それを注ぎ込まれたのだ。

彼女に残っていたそういったものを。

そして注ぎ込まれたのならつまり。

注ぎ込んだ、その、者は。






「いや、なに泣いとるんじゃ阿呆」



びしり。

柔らかな感触が俯いて涙を流し続ける紅蓮の額をついた。ぱちくり、と目を開けてそちらを見る。



「ま、大体は察しておる通りじゃ。

お前あのまんまじゃ死ぬみたいだったからのお。妾の力を、くれてやった。命とか、魂とかそういうやつよ。丸々数個くらいやったんじゃ、感謝せい?」


呆然、とする。

その言葉が全力で力を発揮する。

そんなような状態だった。



「……は、あ?」


「か、か、か!なに腑抜けた面しとる!はやとちりが過ぎるわ。もし妾が消えるまでお前に力を与えようもんなら、お前と一緒に居る事ができんじゃあないかよう!」


「…ら、くしゃ、さま?」



紅蓮は、頭の上に疑問符を幾つも浮かべながら、慣れ親しんだ師匠の声が聞こえてくる元を、指差した。

…その、可憐な姿の、毛並みの。

赤い布を首に巻いた、銀猫から。



「うん!妾じゃ。

…ああ、そうか。この姿見せるの初めてだったか。

ただまあ、この姿もかわいいだろう?」


「…」


「返事!」


「は、はい!可愛いく御座います!」


「うむ、満足」



そうして、その銀猫はするりと紅蓮の膝上に丸まった。

くるりと水銀のように小さくなって喉を鳴らす。

猫の姿であるのにしかし、片方の目を開いて、口の端を歪ます姿はこれ以上なく人間的で、不気味だった。



「さあ。そしたら旅をするか紅蓮。

勝手に死にかけのお前に約束したんじゃよ。

もし生まれ変わったのならお前とそうしたいとな」


「……ええ。聞こえて、おりました」


「おお、そうだったか!

なら話が早い。

お前はその通り、人と仙の混じり物となった。

そして妾はこの通り。一度、死んだ。

んで、蘇ってきたわけだ。なんせ九つ魂あるからの」



なんと、無茶苦茶な方だ。

紅蓮は改めて嘆息をした。破天荒、枠に囚われないとは思っていたがまさかここまでとは。

だけど、それに今は感謝を。

最後にほろりと涙を流してから立ち直る。

最後の一滴は安堵と喜びのものだった。



「ま、人の姿になるのも暫くは出来なくなってもうたし、力ももう全然だせん。だからまあ、妾が出来るのはひょこっと付いてくだけだが、腐ってもお前の師匠じゃ。貴様の旅の邪魔はせんよ」


「邪魔など滅相も!

…それに、まるで、私が旅に出ることを前提とした物言いですね」


「かか、出るだろう?」


「はい。勿論です」



即答だった。

その目には、決意が宿っている。

赤く光る瞳孔がそれを裏付けるように更に煌めいた。



「やはり、な。主は、そういうやつだ。あの、冶魔とかいう怪物を妾たちゃ倒しきっていない。むしろ手酷く、やられちまってなんとか撃退したのみだ」


「お前の目的は、奴だ。やつを斃すこと。そして何より妾も、あんな舐め腐った真似をしてきた上に最愛の弟子を殺しかけた奴に、仕返しをしたくてたまらんというわけよ」


「そうですとも」


「おお。ならばどうする?」




ちりん、と立ち上がる動きと共に銀猫から鈴音が鳴る。

その金色の目が妖しく光る。



「今度は、此方から打って出る。

私が…おれが。あの冶魔の所に行ってやろうとも」



ごう。髪が、逆立った。

紅き蓮の名をこれ以上無く指し示すようにその力の躍動は光り、そして燃えるようにその切先を向けた。

その様を、羅倶叉は舌なめずりをして見ていた。





……





「しばらく、離れるとなると中々…寂しいもんじゃのう。結構愛着が湧くたちなのよ、妾は」


「お気持ちはわかりますが。

そろそろ出ねばなりません。お急ぎを」


「ああ、わかってるわかっている!全く、お前の四角四面なとこはいつまで経っても治らんな!」



天気の、良い日だった。

天辺が砕け割れて消えた霊峰の上、ごく僅かな荷物のみを携えて二つの影がそこから降り始めた。

一つの姿は、人の形。

仙、鬼天、或いは怪物にその身を寄せた者。

もう一つの姿は、小さな形。

するすると脚元を往くそれの影の形は、しかし不思議と少女じみた形に変わっては解けていた。



「では、往くか。我が弟子」


「往きましょう。我が師よ」



空の酒瓢箪が門出を呪うようにからりと鳴る。

魔除けの鈴がかしゃんと壊れて飛んだ。



そうして彼らはそこから解き放たれた。

魔と言われるようなそれらが、出ることにより起こるものはつまり災害のみでなく、得の何かでもあり。

だがそれがどうなるかなどは誰にもわからない。



ただ、紅の蓮の上で羅刹は踊る。

らくしゃはその肩の上でくるりとまとわりついていた。





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