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五陰盛苦



妾たちは未だ、街にいる。

折角降りてきたのならばともう少し巡る為に。

何か用があるわけではないが、だからこそこの遊覧は心地良い。結局の所、何かをやらねばならんと気負っている時の遊びは、つまらんのだ。


日も暮れ始め、閑散とし始めた華街には妖気が漂いはじめる。昼の間に陽気に紛れ負けたものが、これ幸いと躙り寄ってくるのだろう。それをそのまま形にしたように、何かが話しかけてくる。

いいや、妾にではなく、隣の我が弟子に。


「これは、これは。先は見目姿を認する余裕もありませんでしたが、こう見ると何とも線の細いこと。そうでありながらあれほどの力、いやはや驚嘆いたしました」


「なんじゃ貴様」


「いえ、師匠。この方は…」



胡散臭い、という言葉をそのまま人にしたような男だった。常に目を細めているかのように狐じみた目は、薄らく浮かべている笑みに更に細く歪み、神経を逆撫でするかのような聞き心地の良い声は聞いたものに好感と警戒を半分ずつ抱かせる。

若者と言われればそのようで、壮年と言われればそうにも見える。不思議で不気味で、何より、怪しい奴だ。



「先程は、ありがとうございました。ならず者たちに言いがかりを付けられ、危うく殺されてしまうところで…おっと。申し遅れました。わたくしは沙門と申します。以後、お見知りおきを」



ああ、と得心が行く。

なんだ、先に紅蓮が助けた者か。言いがかりというには、あまりにも多すぎる数の者どもに私刑されていた以上、こいつもきっと碌でもない人間ではないだろうかと思うが、まあ良い。


「己は…気まぐれで割り込んだだけだ。貴方を助けたわけではない。だから、礼はいらない」


「いえいえ、そうではこちらの気が済まないというものです。…ですが、ふむ。物に対する執着はあまりあらない様子。ならば」



沙門とやらの、じゃらり、と座り込む音。

薄手の服の下に凶刃を逸らすための帷子を着込んでいる。まったく、益々もって怪しいものだ。



「わたくしめは情報屋の真似事もしておりまして。どうでしょう?何かしら知りたいことはありませんか?愚にもつかない風説であるかもしれませんが、思い当たるものを何でも、わたくしがお教えしましょう」


「いらん。お前は言うこと為すこと胡散臭い。紅蓮、ぬしも友人は選べ。ほれ消えろ、しっしっ。うちの子に悪影響じゃろうが」


「そ、そのような殺生な!」


「いえ、師匠…」


げしりと足蹴に追い払おうとした妾を、そう止める。何かどうにも、聞きたいことがあるらしい。絶対、碌な事を聞きはしないような気がするんじゃがのう。だから、止めたいんだが。



「…一つ、知りたいことがある」


「ええ、是非!何でも仰ってください」


「女姿をした、妖の姿を知らぬか。

与太話でも、何でも良い」


「女人の姿をした、妖、と来ましたか。

ええ、ええ。よく、知っております!俗人が与太話と切り捨て鼻を摘むものも、このわたくしは全て取り扱っておりますとも!」


「ぐれーん、放っておいて帰らんか」


「いえ、一度聞いてからでも遅くはないかと」



「凡そ、百年は前の事でしょうか。

私も聞き及んだに過ぎませんが…

人を救った、人外の話です」


その、初めを聞いて。紅蓮は肩を落とした。なるほど紅蓮が探しているのとは別のようだ。こやつの中にある、滅ぼさんとする心。それはきっと、その探してる者への邪悪に由来する故だろう。

だがそれはそれ。弟子は、沙門が語り始めたそちらも気になっているようでもあった。



「どのような、者だ?」


「これもまた伝聞に過ぎぬ故、確かな事とは言えないのですが…ある飢饉時の事です。ある蛮族の軍団が、食糧を求めて、あらゆる所への強奪を行いました。移動し、貯蓄をもせず、略奪の先で食欲と性を満たし次の場へ。破滅を齎す蝗じみたそれらはいつしか獣をも調伏しやがては…!」


「…」


「…おや、白けた顔をなさいますね。

致し方ありますまい、省略を。

そのような暴虐無人を止める者はおらず、また飢饉故にまともな兵すら戦う事も出来ず、あわやこの国の危機たらんとする時。

そこに現れるは、その女人。どこからともなく現れて、そうして草を喰み、ぼうと空を眺めながらいざ略奪せんとする族の前に立ちはだかり申した。ただ何を言うでもなく、にやりと破顔一笑。ばったばったと薙ぎ倒し国そのものをも救ったとのお話!」



「………む?……あ゛」


「…伝承か。だが、確かに…

真偽はともかく人ならざる者のようだ」


「…あー…紅蓮よ、この話はもう良い。

沙門とか申すぬしも、もういいぞ。がせじゃ」



「がせだなどと失礼な。これなるは文献も残った真実…で、あるという意見もある程です。見た目の記述も残っておりますよ?曰く美しきは銀の髪。そして妖しく光る月の如き黄金の眼、そして童の如くに小さな体躯を嘲るような老境の格、自らを儂と呼称する不均衡の美しさ…」


「そうして、名を、羅倶叉と申したそうです!

…さあ、どうでしたか。

何か、紅蓮殿のお役に立つことはありましたか?」


「………」


「………あ、ああ。うん。

その、ありがとう。助かった」


「応、そうでしたか!

それならば、ようございました」



妾ん顔を、ちらりと覗き見る紅蓮が気に入らず、ぐと爪先を踏む。その痛みに顔を歪めながら、微かな笑みを隠して紅蓮はそう辿々しく沙門との会話を打ち切った。満足そうに手を振る奴から離れながら、妾はやはり奴の話を聞くんじゃなかったとつくづく思う。




「…らくしゃ様、その」


「ぐぅ…これだから、嫌だったんだ。

妾は街に降りるのが嫌な理由がこれよ!それこそ気紛れでやったことを、いちいちこう言われるのがぞわぞわしてたまらんのだ!漸く、そろそろ、語る奴らも居なくなったと思ったんじゃがの…!」


「気紛れ、ですか」


「おう、気紛れでの。

えらい事になってたから救世主の真似事をしてみてたのよ。最初こそ、ちやほやされるのは悪くなかったが…ああ、もういい。あんなのはもーうこりごりじゃ。あれから先はやるにしても隠れて、よ」


「……ふふ」


「なーーんじゃその意味深な笑いは!

ええい、さっきから生意気、生意気生意気ぞ!」


「いえ、そのような悪い意図は…痛っ」


我が子の珍しい、笑み。

その笑いはどうにも珍しく、こうして師と子になってからというもの、見る事がなかった種のものだった。故にどういった笑みか判らず、腹正しいままに紅蓮を抓る。



「…くかか」



…いいや。

これはまたきっと、大嘘だ。世界は驚く程に単純で。そうして欺瞞の答えなど愚かしく暴かれていく。そんなものだ。


ぞくぞくと、成長していく。

日毎に赤子が歩き、言葉を喋るような感覚。

打てば、響く。

動くほどに動く。

紅蓮のそうした所に、妾は惚れ込んだ。

そうしている時間の楽しさに。

お主の知らない顔を見る、度に。

更に妾はそれを深めていく。


この執着は過ちではないかと妾自身思っている。

だが、だからこそ。

それを正す事の危うさと難しさを知っている。

いっそそうしなくても良いと思う自らの危うさも。



「…師匠」


「まだ、なんだ!」


「いえ。その…先の話ですが。

昔は、自らを『儂』と云っていたのですね」


「…ほら、折角だし年寄りのふりをしたくて…

ええい!うるさいうるさい!もう知らん!」





……




強く。強く。強く。


幼少のみぎりに全てを失った。

失った事、そのものを恨みはしない。

それらに怨みを募らせる事が全く無かったと言えば嘘になる。だが、それよりもただ、己の無力が恨めしかった。奪われることの全てに、震えることすら出来ずに見つめていた自分自身。

何一つ成せなかった自らの愚鈍に。


故に強さを冀う。何があっても。

人のままに、魔に教えを希っても。

人を捨てつつありても、ただ強く。

強く、強くと、ただ願いて。

そうして、これ以上を失う事をしないと。

私はただそれだけを願った。



そうだ。もう、失わない。

だからこの師事も、通過点でしかない。

そう、あらねばならないというのに。



「ぐう、これだから嫌だったんだ!」


そう、頭を抱える師をぽかんと見つめる。その眼をどう思ったか、言い訳をするようにがりがりと、ばつの悪そうに頭を掻きながら話す。


「救世主の真似事をしてみたのよ。

あんなのはこりごりじゃ。やるとしても、隠れてよ」



その返答に、くす、と笑ってしまう。

羅倶叉様は、もうやらない、とは言わない。

本当に気紛れだったならば、人を助ける理由はもうないだろう。ちやほやされる事に身慄いするならば、隠れてやる必要などないだろう。であるのに彼女は未だにそうしているらしい。

何故そのような無駄をする必要があるのか。


なんてことはない。

この方は弩のつく、お人好しなのだ。

本人にそう言えばまたつねられそうでやめた。


「む!なんじゃその意味深な笑いは!

さっきから生意気ぞ、紅蓮!」



結局、言わずとも頬をつねられてはしまう。そう無邪気に笑いかける姿をぼうと眺める。夕焼けも落ちかけて、橙と夜闇の間が彼女の金の瞳をきらと照らす。瞳孔が黒く大きく、吸い込むように。


私が成し遂げるまでに。

そうして、私が強くあるまでに。

通過点のままに、させてくれない。

そうのままに、させてはくれない。

このお人を、この方を知る度に。


自らの身体がどこまでも自由に動きはしない。どうやっても、まだ彼女に敵わない。身体が、思うままに動かない無念に挫け、折れる度に。らくしゃ様はからからと笑い、そうして焦る事はないとそうと寄り添う。そうしていつまでも横に居てやろうと言う。


彼女の中に、羅倶叉さまに、苛烈な本性と仙としての執着もあるのは理解している。ただ善意以外の何かが、あることも。…あの霊峰の秘めたる力が、私をも人ならざる者と変えつつあることも分かっている。

その上で、私はそれをも。


大切に、思い始めてしまっているのだ。



「?どうした、紅蓮。様子が変じゃぞ」


「……いえ。なんでも」


「ふん、お主はいつだってそうして傷を隠そうとするの。そういうところが妾は…」


「気に入り、ませんか」


「いんや、可愛らしい。

そういうとこも気に入っとるぞ、我が弟子?」



…師は、童、じみた姿をしているのだ。

であるのに、その貌は、振る舞いは。こうして胸に手を添わせる動きと無垢に笑う姿のその奥にあるのは。きっと、彼女の喉を鳴らす本性の美しさなのだ。私はいつからこれに、目を奪われるようになったのか。



「……己は…」



「ああ!よかった。まだおられましたか、紅蓮殿」


は。そんな、思案に陥っていた私を呼びかける声が響く。仙の妖しさにから正気付いた私が聞いた声は、先までの、心をやわく撫ぜるようなねとりとした声だった。しゃもんと名乗る男の、緩やかな声。

師がええい、邪魔者がと舌打ちをしていた。



「沙門…何か、また用が?」


「ええ、もうお一つ。先のものとは別に思い当たるものが御座いまして。先に比べれば下らない風説じみてはありますが…」



ぴり、と。身体が、皮膚がひりついた。

理屈は無い。理由も無い。

だが、これから来る流言の虚実が分かった。本能や、感覚としか言えないものがそれを判別した。これは、聞かねばならぬものだ。

これを聞かねば、私は後悔するのだと。



「………どんな、ものだ」


「ええ。遠く、遠くの話で御座いますが…

黒く靡く濡鴉に、女人ならざる巨躯、そうして類稀なる残虐。通った先を膿が如くに病ませ何かを探し彷徨う、物の怪…」


「ただ、一人。この話を聞き伝えた者によれば。

自らを『やま』と。そう、名乗っていたそうです」



どくん。


やま。夜魔。病。灼麻。

身を焦がすような鼓動が鳴った。

ああ、『それ』だ。

それだと解った。

びきりと、奥歯が軋り鳴った。


そいつだ。



そうして全身を軋ませた私を、横から哀しげな目で見詰める姿があった。私の師の、滲むような視線だった。





……




二人は、戻る。

夜も更けた時間に、前も見えず、天候も変わる中に恐ろしい霊山に登り、そしてまた明けぬ内に登りきるということはつまり、紅蓮がここに来た時と比べものにならないほど人離れしたということ。

そうしたそれを、教える意図もあった遠征だったのだろう。だがそれについてを、二人は語る事はなかった。

ただ、無言のままに視線を交わしていた。



「……身体や想いなど。

そんな簡単なものすら思い通りにならないものじゃな」



それは、その自らの事を嘆いての発言だろうか。

それとも子のことを羨んでの事だろうか。しかし紅蓮はそれに問い正さず、ただこくりと頷くのみで、ほうと返答した。



「……ええ」


「まったくもって、その通りです。師匠」



互いが互いを、その言葉で済ませて何も言わなかった。

『やま』とは何か、どうあったのか、何故強さを求めているのか。それを聞くことはついぞなかった。無いままにしていた。


互いに、敢えてそれに気づかないふりをして。

ただそっと、手を引き、手を引かれた。



「さあ、紅蓮よう。

今日は遅いから、また明日からやるか!

ぬしも疲れたろうしの」


「は。そう、いたしましょう」


そうしている瞬間こそが、真実より目を逸らして未来に続くもので無いとは分かっていながら、それでも幸福であると。

その、互いのしあわせを消さないように。

互いにそれがあるのはただ、真実なのだから。



それは、そう長いものでも無いのだから。


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