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三千世界




初めて此奴を見た時から興味を惹かれた。

面白いと思ったよ。


人の身で、あの山を登り詰める事にどれだけの鍛錬と、精神の力が要ることだろうか。そうまでして妾に逢いにくるというのは、果たして恨みでも勝ってたか?と。


鍛え上げられた身体と、その感情を押し込めた眼に、初めはそう思った。だが、手が触れた瞬間の震えを感じ、そうではないということを悟った。



この男は、心を閉じ込めたのだ。感情を、思う心を、心の奥底の出来るだけ頑強な箱の中に仕舞い、血反吐を吐くような鍛錬に対する弱音も、此処に来るまでの幾度も死ぬ程の苦痛も、向かわんとするモノへの恐怖や想いも全てを、そこに必死に閉じ込めた。


平然を気取りながら、それでも、目の前に存在する人外との手合わせが恐ろしかった。それは妾そのものと言うよりは、心中にある人外者による殺戮が残した心的外傷の再発に近い。

むしろ、その発狂せん程の恐怖と、とらうまを克服せずともそれでも動く為に此奴は心を閉じ込めたのだろう。


そうしなければ心も保たなかったのだろう?そうする事で唯一自分を保っていたのだろう?

冶魔による恐怖。そしてまだ残る、情。彼女を想う気持ちと復讐を願う気持ちの折り合いが付かず、その二つにぶちりと潰れて自らが壊れてしまう前に、その二つとも無くしてしまおうとしたのだ。


妾に投げ飛ばされ、蹴り飛ばされて。

恐怖と苦痛でその蓋を開けてしまってもおかしくは無かったはずだ。それでも此奴は言ったのだ。

「私を弟子に」と。


面白い。面白いと思った。

そして同時に危ういと思ったよ。

ここで、お前に出会えて良かったと。まだ、この段階のお前が此処に登ってきてくれて、本当に良かった。


その箱の中に、善悪正邪を入れてしまうのは時間の問題だった。もう復讐も、冶魔の殺害にもなりふり構わなくなり、いつか耐えられず箱が壊れて狂いて、災厄となってから野垂れ死ぬ。

そんな、未来があったろう。

ろくでもない未来だ。


紅蓮はきっと、魔に堕ちていた。

魔を殺す事に全てを失って。

そんなものは、妾が否定した。




「……」


「おう。…目覚めたか」


「…お早う御座います、師匠」


「……ま、なんだ。あんな事あった後のことだし、ちょいと気まずいな。こんなとこに閉じ込めておいて今更言うなってことでもあるかもだが…」


「…」


「…んなんか言わんか」


「すみませぬ」


「いやそういうことでなくなぁ…」



がりがりと、むず痒くなったうなじの辺りを掻きむしる。やりたい事の全てを否定して、ただ生きる気力を失ったように倒れ込んだ紅蓮。

妾が否定した身だ、何か言う事もできない。



「…飯をな、作ってみた。

久しぶりだが、まあそんなに出来は悪くないはずよ」


「もはや私には生きる意味は無くなった」



食べる事とは生きる事。

生の活力を付ける為に美味い飯を食らった。

いつか紅蓮が言ったことだ。

もはやそれを食う必要すらない。

活力も生きる事も、する理由がない。

だから、食べもしない。そう言いたい。



「妾は、それにはなれぬか」



とく、とく。

耳鳴りのように胸がなる。

緊張、それによるものだ。


永く、永く生きてきた。

だけれどこんな心は知らない。妾は思えば、何かにこう深く関わる事など、していなかった。心に寄り添って、力を与えて。何をしたかったのか、わからない。

それはただ、高鳴る鼓動が答えなのだろう。



「こっちにおいで。紅蓮。

話はそこでしよう」



紅蓮は、素直にそれに従う。

そうして一つの鍋の前に、向かい合う。

その顔を見る事に一抹の罪悪感。

そして、今まで以上の緊張と高鳴り。



箱が、あった。

元々この男は激情家なようだ。故に、少しずつ、はみ出していたものの。その上で何かをする際には、何かを成し遂げなくてはならない時にはその箱に全てをしまいこみ、どんな事でも成せた。そういう、性だった。


だけれど目的を妨げる妾を、唯一仕留められる機会。その唯一に、紅蓮は手を止めた。

涙を流してその手を止めたのだ。



閉じ込めた心の蓋が、空いたこと。

妾はただ、嬉しかったのだ。

師としてではない。

ただ一つの、存在として。

お前に相対する、女として。



「先ほどな、これを作って食べてみた。

一人でこの飯を、食べてみたんだ」


「…どうでしたか」


「なあにも美味くなかった。

雲を喰むようだったよ」



「すっかり、とな。

お前と一緒に食べなきゃ、味気がない」



かわらけを渡して、その中にあるものを咀嚼するように求める。ただまだ、それはしなかった。

だから、それでも足りないなら仕方がないと。こんな事まで言わせるなど、くそ弟子め、と。

それでも平然を装った。

そうだ、この、高鳴りは。



「なあ。妾がお前の生きる意味になろう。だから紅蓮。お前も妾の生きる意味になってくれないか?」



三千世界の全てをささげても。

そうありたいと、ただ想ったのだ。

それ故の鼓動なのだ。

 


「…私は…」


「……ことわる、か?」


「!……わかり、ません。

己は、己にはこんなものは駄目だと思っていた。己から全てを奪わせたのは、己だ。己が生きている事が、あの子の殺戮になったんだ。貴女にも、己が関わるべきでなかった。だから……」


「…だのに、それを奪う事もできない。それの始末をつける為に、貴女を手にかけることも、できない。己は、己は卑怯者だ。半端者の、どん詰まりだ…」



「……それで、いい。

罪人でも卑怯者でも、半端者でも、それで。

妾はそれでも、それでもお前と共に…」




びきり。宙が割れた。

結界にひびが入る音。

そのひびはだんだんと大きくなり。

そして、合間からぼとりと暗い色が落ちた。



「……つくづく、空気の読めない奴だ」



忌々しきは、その黒紫色。

もうそろそろ、これも終わりにしよう。



「…いいとこ、だったかなぁ?邪魔するね」


「応。いい加減に、終わりにするかい。

てめェとの厭な因縁もな」





……





全身が、ちぎれるような痛み。

紙切れ野郎に唆されたまま、入り口のヒビをこじ開けて入った先ではこの身体も存在も全てが削り取られて消えるような感覚があった。




それでもいい。

うちは、彼を守れるならそれで、良かった。


そうだ。

最初はそうだった。


彼は、『紅蓮』となる前の彼は、うちを助けた。大きな蛇から人姿になったうちを、それでも必死に背負って、転びながら助けてあげてほしいと家族に土下座をして。


そうしてうちたちは家族になった。

血汚れを落としてくれたお湯と、その髪をとかしてくれた貴方の指が、うちをおかしくしたんだ。



(うちの、な、なまえ?

…や、やま、たの…いや、え、えっと…

ちがうの、今のはう、うちが、うちの…)


(……ェ、やま…?うちの名前?

嫌いな名前でも、君にあるなら、って…)


(……なら、うん。うちの名前はやま。

それが、いい。あなたがくれた、やまがいい)



貴方のその声が、うちをうちにした。

ぜんぶ、きみのせいなんだ。



「が、はっ!」



うちたちの親は、良い顔をしながら紅蓮を姥捨と共に山に置き去りにしようとしてた。元々愛はないようだった。そして、うちを拾い上げてきたのも気に食わないみたいだった。


だから殺した。

殺して、二人で一緒に逃げた。

何故かあさんが、とうさんが死んだのか。

理解できないようだったけれど、それでもまだ生きてくれていたとうちに抱きついてくれたことを覚えている。


ずっと、二人でいよう。

二人でいられるなら、それでいい。

泣きながら貴方はそういった。

その言葉の、どれだけ嬉しかったか。



「ぐぅッ、この、やろおォ!」



そうなったうちたちを拾い上げたジプシーは、信頼をしきった紅蓮を奴隷商に売り払おうとしていた。

だから殺した。

また、自らの関わった者たちが。優しくしてくれていた人たちが凄惨に死んだことで、彼は怪訝に思ったようだった。だけどそれ以上に、傷ついていた。

彼には悪意なんて気付けていなかったから、ただ、善良な人々が死んだだけだったのだから。


悪意について、教えようとは思わなかった。

理由があれど殺したのは変わらない。

それに、なにより。


居場所を、奪われて。もう一度、居場所を奪われた時のあなたの顔は、今までに見たあなたのどんな顔よりも、うちをぞくぞくとさせた。その顔を見たかった。その顔に不純物が入るのが厭だった。



「……はぁ、ははは。

そんなもので、終わりかよ、糞婆ア」



そうしながら、

私は、彼の妹として。

あの、無防備なお兄さんを守らないと。

そのついでに、あの顔もずうっと見てたい。

二人の世界で、うちの幸せはそれだけだった。


各地を歩いていった。

先々で、うちたちを受け入れる人がいた。

悪意は、それぞれに込め込めで。

全員を殺した。

私のお兄ちゃんを守る為。

うちの好きな人の見たい顔を見る為。

殺し続けた。


彼に、それがばれた。

それまでの殺人もうちがやったと、言った。それでも一緒に居てくれると信じていた。



彼が、姿を消した。

うちを見る目付きが変わっていたのは分かっていた。追い詰められ、やつれていたのも分かっていた。

だけれど側に居てくれると信じていたのに。


先に、うちを裏切ったのは貴方?

それとも貴方の信頼を裏切ったのはうち?

分からない。分かることはない。

事実は、私と彼は離れ離れになった。

それだけ。




「ぐああああッ!!」



探す為に、何やらうちを信奉する奴を利用した。それでも見つからない。

何年も何年も探し続けて。

ようやく、見つけた時。

貴方の横には知らない女が居た。

居場所があった。

あらたな、場所があった。

あなたは笑顔を取り戻し初めていた。



「………あああ…ッ」



それは、ないでしょ?

うち以外に大切なものを作ってそれで腰を落ち着けちゃったら、うちは貴方の大切なままになれないじゃない。

だからそれを殺そうとした。

できなかった。

貴方にそれを止められた。



「……ごぼっ……」



あの頃から、うちの身体には風穴が空いた。

うちがやまである存在意義のそれを否定され、そしてそれに体を撃ち抜かれてから。

うちはうちである為の、生命をいれる器にヒビが入っていた。途中までは、誤魔化せた。

だけれどもう、ヒビも限界だった。

身体も力も、とっくに足りない。

だからこうなる事は必然だった。



「…しぶとかったな。

そのなりで良くやったものだ。

だが、そろそろ、死ね」



らくしゃ、とかいう化け物。

それに叩きのめされ、足蹴にされる未来。

そんなもの見えてはいた。

見えてはいた。

この女が、彼を『紅蓮』にしてから。

紅蓮の横に、こいつが居た時から。うちはもう、一緒にいることはいられなくなったのだろう。



だけれど、だから。

紅蓮。うちは貴方の心に残る。

三千世界の全てを鏖にしても、うちはそうすることに自分の生を費やすことに決めたのだから。

その血と肉を、使い尽くしてでも。




『…今でしょう。

冶魔どの。そこで、自爆です』



懐で、紙切れが呟いた。

こいつの求める、うちの消滅。

それはつまり、これで初めて満たされる。

その為にこいつはうちに協力をするのだ。



「……羅倶叉、さん。

一つだけね。礼を言いたいんだぁ。

うちが、出来なかった代わりに、ね。うちのお兄ちゃんを守ってくれてありがとう。

それだけは本当に感謝してるんだ」



「死ね。泥棒猫。

うちと共に、死毒に塗れて消えな」






……






(ああ、良かった、良かった)



「…やま。やま、なのか?」


(さいごに、あえた)




紅蓮がこっちに近づいていたのはなんでだろう。なににせよ、それのおかげ。うちはかれにであえた。

さいごの、少しのあいだ。




「……〜〜ッ、何故、そんな姿に!

師は、羅倶叉さまはッ!?」


(さあ。でも、ころしきれはしなかった。

ざんねん)



「……なんで、なんで!そんなふうにしか生きられなかったんだ、お前は!己は、おれはお前に、人殺しなんてしてほしく無かった!おれはただ…!」


「……ただ、家族とずっと暮らしたかったんだ。なのに、なんで、どうして…!」



うちは、けっきょく蛇にしかなれなかった。あなたがやまにしてくれて、ひととしていっしょにいようとしても。それでも、だめだったんだ。これがうちが、いちばんしあわせないきかただった。



(ごめん)




「……!駄目だ、消えるな。

消えてくれるな、やま。駄目だ。お前だけ消えるなんて、それならおれも一緒に消えなきゃいけないんだ!なのになんで、どうしてお前、お前だけ!」



ああ。

いい、かお。

こたえをきくまでも、ないかもしれない。

でもさいごに、どうしてもききたくて。


横にいるのはもうむりだった。

らくしゃにいれかわることも出来ない。

だけど、だから、うちは。



(ねえ。うち、は、さ)


(あなたの一生の後悔に、なれたかな)






……





………ひらひらと、ぼろきれた紙がともなく降ってきた。紅蓮がそっとそれを手に取った途端に、それは粉になり消え失せる。


足元の小さなすすを力無く眺める。

消え失せた、彼の最後の家族だった。


空を見上げる。世界を閉ざしていた結界が、綻ぶように、ぼろぼろと消えていく。



沈黙だ。

世界はただ、静寂に包まれている。



三千世界の地獄と後悔がただ目の前にある。

紅蓮はその絶望を心の箱に仕舞おうとした。そうして、もうとっくにそれが壊れている事を知った。



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