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四海同胞




「弱いッ!」


「ぐっ…!」



寸徑。俗にそう言われるもの。

助走も溜めもないそれは、ただの打撃と比べても威力は低く、普通ならさしたる脅威にはなり得ないものだ。


だがそれは、ヒトの常識の中にある当然。羅刹のそれが私を壁にまで弾き飛ばした。


壁、壁と言うべきなのだろうか。

光か、靄が固まったような。もしくはその二つが混ざったような、はたまたそれらとも全く異なるような非固定物に張り付いてから、びたりと床に倒れ伏せる。



「…っとと、やりすぎたかの。無事か?」


「…覇ッ!」


「おお。まだまだ元気そうじゃな」



立ち上がろうとし、また崩れ落ち。そんな私に心配そうに手を差し伸べる自らの師に、立ち上がりざまの蹴りをかまして、それを取られて更に投げ飛ばされる。ずっと不服そうな顔をしていた。


羅倶叉さまのそれを見ると次第に。

自分は何の為に戦っているのだろう。

そんな風に闘志が、希薄になっていく。


私はここから、出る。

出て、どうする?

そうだ、冶魔を、冶魔の元へ。

そうする事に何の意味がある。

違う。それが、それが己の生きる意味。

己がまだこの世に生きていて良い意味。

それをしなければ生きてはならないのだ。

だからこの、光の中にいる事はならない。



だけれど。

何故、私がこの方を斃さねばならない。

そんな思いが、ふつふつと。



「…弱い。弱いぞ。動きやちからの問題じゃあない。いやぁそこは寧ろ、大したもんだ。人の力だけでよく此処までやれるものだ。関心する」


「ただ、単に。やる気が足りんのう」


不満げなまま、そうして手を舐める。

鮮血を舐め取る姿は吸血の鬼じみている。

紅色が、この空間で唯一の熾烈な色だ。



「妾の目的は、確かにお前と共にいる事よ。だがなあ、こうまで抵抗のやる気が無いと、萎える。折角ならば、最初の方は楽しみたいものだ」


矛盾した言いぶりは、我儘を通す少女のようでいて微笑う顔はそれと程遠い。



「ならばこうしておぬしの必死を、煽ろうか」


また、何かしらの術を唱える。それの内容など分からないが、しかしそれがどのような効能を持つものであるかが分かったのは、この結界内に居たからだろうか。



「駄目だッ!…それは、それだけは駄目です!」


「別にいいじゃろう。

糞、ろくでもない村だ」



この結界の中の時間感覚は、曖昧で模糊的だ。時間の制御と空間の固定。それらの封印を共に行う事には大きな、大いなる力が必要なのだろう。

ここで初めて分かった事は、あの霊峰に、これと同じ結界術が羅倶叉さまに掛けられていたこと。そして土地に秘められた力こそがこれを成り立たせていたこと。

そうでなければ、継続させること能わざること。


それでもそれを繋ぐ為には、つまり。周りの命などを、使うということ。




「子どもを捨て、殺し続ける村だ。それもやむにやまれずじゃあない、下らん因習だ。お前もそれで、死にかけたんだろう?以前聞いたわ」



「……」



無言に、立ち上がり拳を握る。

私の身体に力が漲っていくのを感じる。



(………フゥ──)



大きく息を吸う。ああ、流石に師匠だ。

言う通りだ。やる気が無い。まさにその通り。それが充填されれば、どれほど力が湧いてくる事か。



「…紅蓮は本当に甘ちゃんだのう。

ふふ。それが、凄く良い」



違う。

違くはない、のかもしれない。

確かにこの村が、こんな場所であっても、皆が殺されていくのを見て見ぬふりなどできないというのも、そう。それが、義憤とも言われるような偽善もあった。



「…征きます」


「ああ。こい」



だが、もっと己の心を占めたのは。

この方にそんな事をさせてならないという事。

こんな、優しい方に。

このような、善良でなくてはならない方に。

己という存在のせいで、こんな事をさせてはならない。絶対に、無辜を奪う事をやらせてはならないのだ。


ならばと、闘志が満たされる。

ここで、倒せば良い。

なぜこの方を斃さねばならない?

そうだ。この方に罪を重ねさせない為だ。


己が彼女の心に魔を創ってしまった。

…また、そうだ。同じ事を、した。

自らの心にある魔が伝播するように。

だから、今度こそ同じ過ちを繰り返さないように。

己は闘うのだ。



「…かっ」


「唖々ッ!」



気合の声。

力無く笑う声。

暫くの、咬合。

そうして、仙の身が、がら空きになった。


今だ。


自らの技量に自惚れてはいない。

己が彼女に、こうした隙を作れるのは、天から落ちた糸が針を通る程の刹那の先の確率だろう。

そしてまた、こう、羅倶叉さまが力を抜く事も。



「……」


呵責。

まだ、残っていたそれが彼女をそうさせた。嗚呼、もし、ここで負けるのならば、まあそれでも、良いのかもしれないと。

「やれ」と。

弟子が師の間違いを正すのも、良いかもと。




「……」


「……………せん」



「あ?」



手が、止まった。

馬鹿なことだ。本当に、馬鹿の半端者。

叱責を自分に、幾らでもしている。

分かっている。のに。

身体がそれでも動かないのだ。



「……できません、師匠。

おれに、己に…!

貴女を、殺せるわけがありません…」



息が、整わない。

貴女に教えてもらった事。

呼吸を乱すなと言う基本も守れない。

眼が滲む。

相手から視線を逸らすなという事すら守れない。


てが、震える。

あなたがおしえて、くれた。

心悪しき者を、ただせということも。

まもれ、ない。


私に教えてくれた。与えてくれた。

あたたかく、愛してくれた。

その全てが、初めてだった。


己が、己にきめたこと。

魔を滅するのだということも。

なにもかも、達せない。

糞たれの、半端者。どうしようもない滓。


それでも、無理だ。

私に、この方は殺せない。

どうして貴女を、そうできよう。




「うう、あっ、ああああっ…」



泣き崩れる、その情けない姿に失望したろうか。そうしてもらった方が、むしろ嬉しかった。

であるのに、私にかかる言葉は。

その、身体の温度は。

ずうと、ずっとあたたかくて。




「…ばかだな」


「紅蓮。ほんとうに。莫迦だな、お主は…」



涙がぺろりと、口でぬぐわれて。

そのまま優しく、抱擁をした。


堕ちてゆく。

それが、止まらない事を示すぬくさで。

海のように穏やかに、暫くそうしていた。






……






「……う゛、う」



喉が張り裂けそうに乾く。

身体中に鉛が通ってるように重い。

こめかみに錐をずぶりと根元まで刺されたように痛い。

最悪の、目覚め。

そして目を開けた先には、黄金色の結界。

その、ろくでもなさにまた吐き気がした。



『おやあ、お目覚めですか。

良かったですねぇ、起きれて」


「…どれくらい経った」



『なんです?』


「うちが!無様にあの婆アにしてやられて、叩きのめされて気を失ってからどれくらい経ったかって、聞いてるんだよこの紙切れッ!」



人型の、ぺらぺらと風になびく紙に怒るうちの姿はまあ滑稽だろう。そんなことはどうでもいい。

どうなったか、まずは自己認識が必要だ。

この紙、なんとかって名乗ってた気がする。

まあそれもどうでもいい。



『どれほど経ったか。

さあ?どうでしょうか、ねえ』



「破り捨てて鼻塵紙にしてやろうか」


『っとと。はぐらかしている訳ではないのですよ。だからそう荒っぽく掴むのはおやめください。それが、分からないのですよ。

…どうにも、この結界の近くでは…』



しゃらん。紙が一度翻ると、そこには代わりに半透明の青年が姿を現す。まあ、端正な顔立ちだ。紅蓮の方が全然いいけど。



『…そうですね。時が澱んでいる。そうとしか言いようがないでしょう。そして時の歪みとはつまり、正常な全てへの歪みとなっていく…』



は、と顔を横に向ける。

もう一つ、この場にいたはずの生命に。

うちが喰らおうとしていた少年。

先にこの紙きれに救出されていた子ども。

それは意識を失ったまま。

息を荒くもせず。ただ、呼吸が消えかけていた。

ぐ、と目元を凝らしてから、また結界を見る。

あの婆アの気配が、匂いがぷんぷんとする。



「……ッ、これ、は…」


『時という摂理の乱れは、真理への叛乱。全てが壊れていく。それは、至極単純な事。しかしきっと全能と、狂愛による狭窄故に彼女は気付けていない。そしてまた、それに近づきすぎた紅蓮殿も…』



紅蓮が、どうなる。

聞かなくても分かっていた。

また会った彼には、もう人外の力は含まれていなかった。ほんの少しの残滓はあれど、変わらないくらい。


・・・

だからうちはそれを追えなかった。色濃く、わかりやすかった匂いを辿れなくなってしまっていたのだから。

だからつまり紅蓮は、この、紙切れが言う。

正常なもの、に区分されるのだ。それが今、正常なものへの歪みとなる、結界の中にいる。



答えは、決まっていた。

元からそうのつもりだったけど。



「…ぶっ壊してやる。この、巫山戯た結界そのものも、この場所諸共全部、ぶっ壊してやる!」



『出来ますか?出来ないでしょう。

弱りきった貴女の有り様では』



「……」



…当たり散らす事は、出来た。

だけどそんな事をしても無駄だった。

ただでさえ少ない力の、無駄遣い。



『流石に、気付かない訳はありません。いつからでしょうか?目減りしていくその力は、いのちという器に開いている風穴はどの時についたものか』


『以前、私が死んだ時の、あの時に師弟に貰っていた一撃?霊山の上にて、紅蓮殿に撃を拝まされた時?はたまた此処に、大陸に渡った時だったのでしょうか。わかる事はありませんが、わかる必要もありません。何にせよ貴女は死にかけているのは事実。そこの龍血の子どもを血眼に探して喰らおうとする程に』



「…そうだよお、その通り。

で?それでも諦める理由になんかなんない。

無理?無謀?あははぁ、紅蓮に私も何度も言ったんだ。そしてその度にそれを否定された。見習いたいんだぁ。無駄な話が終わったなら、じゃあねぇ。

…せぇのっ……」



『ッ、ああ糞ッ!待てと言っているんだこの腐れ低脳の妖怪!私は!お前に手を貸すと提案したいんだよ!』



はっと、した顔をしたのはうちも、そいつも。

うちは呆然とそいつを見て、そいつは気を取り直すようにおほんと咳払いをした。




『…失敬。

ですがまあ、ようやく話を聞いて頂けそうだ』


「…見返りはなあに?」


『おや、話が早く助かります。まあ、見返りというのもただ一つ。私の目標を果たしてもらいたいのです』



腹が立つ。

すぐにでも引き裂いて終わりにしたい。

だが、うちの今では紅蓮を救うことが出来るか。出来ないだろう。だから、少しでも紅蓮を助けられるように、話を止まって聴く。



『ま、目的というのも。私は利己的な人間でしてねえ。簡単にいうと成仏、したいのですよ』


「…はあ?」



『いえね。正味、私を殺した貴女にもさして恨みはない。死んだ時も、仕方ないと思ったのです。

ですが、私はあれにて『終わった存在』となったのです。そうして終わったモノがいつまでも此岸にしがみつくものではない。無様ですしね』



話が、長い。

いらいらする。



『だが私がこんな事になってまで、まだこの世にへばりついてるのは、此処に、この大陸にきた目的が私をこうさせている。この大陸にいる理由、つまり……』


『つまり、お前の死だよ、八首大蛇。

転生も何もない、完膚ないまでの消滅。

それが達成して私は初めて消える事が出来る』



芝居がかった声が消えて漸く、話が終わったんだろうなということを認識する。

うちはそれを聞き流しながら這いずり回るようにして昏睡している少年の元に辿り着いた。

紅蓮の、小さい頃のような面影がある。

優しい子だった。少し心が痛むけど。


ごめんね。

きっと君もどうせ長くないから。

せめてうちに使わせてね。

そうして言い訳をして、少年の喉笛を食いちぎり、その血液を飲み下した。じゃあね、また。




「……ごぐっ、ごぐっ…ぷは゛ぁっ。

…なあんだ、それだけ?よかった。支払えないものならどうしようって思ったなあ」


力が、出る。

龍穴から得た力ほどじゃないけど、まだ動けそうだ。



「いいからさっさと手伝えよ、紙切れ。うちの命なんてどーでもいいけどさ。もし紅蓮が死んだら何度でも何度でも蘇ってお前を蘇らせて何百回でも地獄を味合わせてやるから」



『…お前、だの、紙切れだの。

ふざけた呼び方をするな。私の名は、沙門だ』


「ふーん、あっそ」



沙門、しゃもん。

糞みたいな名前だ。

うちはそうして貴方に逢いたい気持ちを強める。

ただ、それだけの為に。





……




歪んだ関係、歪んだ摂理。

殺し殺され、同朋となって。

何があっても貴方は助けなきゃならない。



結界の外に、奇妙な同盟が出来上がる。

それは一つの目的の為に。

濁った時に歪む世界を救う為でもない。

世界の平和など大それたものでもない。



ただ、赤い蓮のために。


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