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 地下室の冷たさが、パエリエの目を覚ました。


 縛り上げられ、堅牢な石畳のその部屋の奥に転がされているようだ。


 ぴしゃりぴしゃりと、肌を鞭で叩かれている。






「浪費家の王妃候補が! なにが民衆の味方だ! みんなを騙しやがって!」


「連れの女も同罪だ」






 連れ?


 その言葉にようやく意識がはっきりする。


 隣を見ると同じように縛られ、気を失っているコリンヌがいる。


 彼女に向かって振り降ろされたムチに腕を絡めぎろりと、パエリエは彼らを睨む。


「いいえ。この子はただの王宮仕えよ。身分はあんたたちと同じ。だから手を出さないで」


 その代わりと目を眇め宣言する。


「この身体はいくらでも痛めつけてもらっていい」






「相変わらず、勇ましいことだな」


 部屋の奥——明かりとともに声がした。


 鞭を持つ三人の男の後方。奥に悠然と構えているのは。


 豪奢な着物とトープの瞳。


「ふーん。薄々気付いてたけど、やっぱりあんただったのね。デマの火元」


 娼館の主で、旧王家の男。


 シェンデルフェールは歪んだ笑みをその口元に浮かべる。


「私のものにならないのなら、駒になってもらうことにしたのだよ」


 わざわざ歩み寄り、顔を寄せて、いたぶるように囁く。 


「グランメール家の王に醜聞を利用され叩き落とされた身。ならばこちらも同じ手段で王権を奪い返してやろうと思ったが」


 笑みを浮かべた口元が苦々しくもう一段歪む。


「あの一家め。そろってお高く留まった気取り屋で、綻びの一つも掴めん。そこで、新入りのお前に白羽の矢が立ったというわけだ」






 この上なく満足そうに顔を上げ、シェンデルフェールはパエリエを見下ろした。


「お前にはグランメール家の評判を貶めた上で死んでもらう」


 逆光で、その姿が顔が、どす黒い闇に包まれる。


「所詮お前は、我々の道具でしかないんだよ。部不相応な、儚い夢など見るものではなかったな」


 パエリエの顎を上げ、弄ぶように指先で転がす。


「娼婦上がりの姫君よ。美しい屍になった頃拝みにきてやる」


 囁きを最後に、彼は姿を消した。


 後は下っ端の男たちからの鞭のオンパレードだ。






「どうでもいいけど」


 いたぶられながら、暇つぶしとばかりにパエリエは言う。


「あんたたちもよくあんなやつに仕えてるわね。元上司を言うのもなんだけど最低な男よ」


 あんなのを慕う者もいるのかと、不可思議さに思わず呟いた言葉だったが、返ってきたのは意外な台詞だった。






「……わかっているさ」


「王妃の浪費癖の情報だって最近になって火がついたように広まっただけだ」


「一過性のもので、信憑性が薄いということもな」


 かすかに目を見開き、パエリエは問う。


「あら、そこまでわかってんの。ならなんで?」


「家族を盾にとられてるんだ!」


 悲鳴が。


 慟獄が、三十に重なる。


「仕事で家を留守にしている隙に、さらわれて」


「あなたを殺さないと、妻を――」


「息子を」


「娘と妹を滝つぼに葬ると!」


「……」






 口の中に苦味を感じると思ったら、小刻みに動くその下を噛んだのだった。


 初めて全身に震えが走るのを、パエリエは感じる。


「オレたちだって人を手にかけた上で生きていたくはない」


「家族の命さえ取り戻せたら、ここで果てるつもりだ。——あなたとともに」


 ふっ、と漏れたのは、この上ない、嘲り。


「ほんと、あの男」


 知らず彼女は、両腕に渾身の力を籠める。






「わざわざ王宮に上らなくたって。見下げ果てたやつね――!」






 ぶちっと縄を自力で切る。


 これくらいの力は下町を生きていく上で身に着けた。


 目を見張る男たちを前に、凛々しく立ち上がり、戦場に舞い降りた戦女神のように、パエリエは告げる。






「あんたたち、目を覚ましなさい!」


 生活感もまるでない非現実的な暗がりの中で、リアルな実感をともない、その声は響く。


「こんなところでほんとうに死んでいいの⁉ それもこんなことで」


 ただ目を見開き、彼らは聞いていた。


「あたしはごめんだわ。冗談じゃない」


 はっとする様子を見せる二人。だが残るもう一人は。


「騙されるな! 理想論者の皇太子に吹き込まれた妃の言うことだ! 我々を救うなどと、上の者は安直にいつもそう言って――」


「あら、あんたたちを救うなんていつ言った?」


 その彼にも、次期王妃候補はどこまでもリアルに告げる。






「うぬぼれてんじゃないわ。上に立つ者だって所詮ただの人間よ。自分の命が危ない時に、他人のことを考えられる神様なわけない」


 そこにほんの少しの夢を盛って。


「——でもあんたたちは、あの人の民だから」


 それを教わったのは、誰からだったか。


「国の人々が、こんな死に方したらあの人、悲しむから」






 ただ、その脳裏に浮かぶのはポメラニアンのような、純朴な笑顔。


 挑戦的に蠱惑的に。


 民に微笑み、






「ねぇ、もし、あたしを生かしたら」






 娼婦上がりの姫君は、駆け引きをしかける。


「こんな死に方させない。あんたたちも家族も。そう約束するけど、どうする?」


 一瞬、彼らは三人三様に押し黙った。


 力のある悪漢と、風変わりの娼婦。どちらを信じるべきか。


 一瞬の惑いがあだとなった。


 堅牢の扉が解き放たれるのを彼らは許してしまった。


「パエリエさまだ!」


「コリンヌも無事だぞ! 郎党どもを捕らえろ!」


 どっと入ってくる王宮の者たちが男たちを捕らえる。


 その中でいち早く、パエリエのもとに走ってくる人がいた。


 純白の正装。


 アイボリーグレーの髪と、エクリュの瞳。

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