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 ――少年だった僕にはまるで理解ができませんでした。なぜあんなに優しい兄が命を絶ってしまったのか。自分で自分を殺してしまうとはいったい、どういうことなのだろう。

 ――それが、心の医者を目指すきっかけとなりました。



 ――十六で兄を亡くしてすぐ後から、立派な君主になるよう努め励みました。けれどある日、国の実情を知るためお忍びで田舎町に出され。



 こくんと、パエリエは息を呑む。

 時として、悲劇の終幕は、新たな序幕に。

 物語は展開する――。



 ――そこは王宮とはまるで別世界でした。暴力やおいはぎが横行し、貧しい人と富める人がにらみ合い、男が女を金で買う。そんな現実の中で、自分の声は民衆には全く響いていないことを、僕は知りました。

 僕は民にとってただ机上の理想論を述べる世間知らずな王子だったんだ。

 その時初めて、自己否定という感情を理解しました。

 自分など、この世界を前には非力な塵に過ぎない。

 猛烈な情けなさと悔しさに苛まれました。



 ――だがそんな僕をただ一人、肯定してくれた少女がいたのです。

 ――娼館で働いていた、鬼百合の波打つ髪に、オレンジペコの目をした愛らしい少女。

 ――風変わりと噂されていた王子のことを彼女はこう言いました。

 ――「やりたいことをやろうとすると狂人扱される世の中。その王子様は一人だけまともなのよ」と。



「……っ」

 日光に照らされ、ゆっくりと物語のページが翻り、文字が光るように。

 記憶の破片が脳をつつく。



 オレンジペコの目が、瞬きを三度、繰り返す。

 まさか。そんな。

 ——そうだ。

 煙草の煙が充満する居酒屋で。

 初めて客を取って間もない頃。

 頭がおかしいと無責任に人々が噂をする王子の話を聞いて。

 数日前彼の演説の載った記事にらしくもなく感動なんかしてしまったのもあって。

 口さのない人々が癪に障り、たしかに自分はかつて、そんなことを口にした。

 衝撃に打たれるパエリエに、いたずらっぽく、どこか照れたような笑みを向けて、かつての無垢な王子は、紙面の中で続ける。



 ――成人し力をつけた僕は、あの時の娼館に彼女を迎えにいきました。

 ――皇太子妃として育て上げ、妻に迎えるつもりだと宣言したのです。

 ――ちょっと意地っ張りで、強がりで。でも、変わらずに愛らしい女性でした。

 ――自分は娼館出身の出だという認識が根底にずっとあって。しかし、人生をひっくり返したいと努力をやめなかった、彼女のおかげでわかったことがありました。

 ――自己否定というのはほんとうは、自分で自分を否定しているんじゃない。周りの人々の声を脳内に想定して、それをあたかも自分の声のように混同している。そういう取るにたらない、偽物の声に過ぎないのだと。


 ――彼女とともに市井の患者さんたちに接してきてその確信は強まりました。

 ――どんなに自信を失くしても、打ちひしがれても、心の奥底で人は思っているものなのだと。



 ――ほんとうは自分はこんなにも誇れる存在なんだ。

 ――もっとよく見てくれ、わかってくれ、と。



 ――自己否定という幻想の奥に隠れたその声を拾って、光にあててやるだけ。医師ができるのはそれだけなのです。患者さんは患者さん本来の眠っていた力で回復していく。

 ――両親に懇願し、この国の医師団の長を兼任できるよう励み、僕が医師を目指したのも。こうした想いからだったのだと。

 ――誰もが心の奥の自分自身を見てもらい、肯定できる。そんな国を、つくりたくて。



 ――偉そうに語ったってまだまだ非力で、救えるのなんてほんの一握りに過ぎないかもしれない。でも、それでも。



 新聞記事の最後。

 アッセンブル王国皇太子はこう、締めくくっていた。



 ――一番大切な彼女のその瞳だけは決して、そんな幻想で曇らせたくないと、思うのです。


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