表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/63

 翌日の夜更け、パエリエは娼館の主の隣を歩いていた。

 タキシードに豪奢なクラヴァットを飾った頑健な姿に伴い粛々と。

 大事な顧客の時はこうしてじきじきに雇い主から紹介される。



 バールヴァイオレットのドレスに、黒いレースのショールを被った姿が大ぶりの鏡に映る。

 館の主——シェンデルフェールからすると妖艶さを増すそうだが、童顔の自分にはちぐはぐに思えてあまり好きではなかった。



「らしくないな。緊張しているのか、パエリエ」

 上辺だけの言葉はもっと、好きじゃない。

 つんとパエリエは顎を逸らす。

「日常のデスクワークと同義になった仕事にどう緊張しろって? それとも、そのほうが初々しくて好感がもたれる?」

 シェンデルフェールは髭の奥で笑った。

 渾身の皮肉も、この男にはたわいない子猫のじゃれつきとしか映らないらしい。

「安心しろ。お前は稼ぎ頭だ。丁重に扱うようにと先方にも言ってある」



 悟られないように小さく息を吐き出し、数メートル先に聳える一等客用のサロンの扉を見据える。

 年齢も仕事の数も。

 何一つ把握していずに丁重に扱うか。

「なにか欲しいものはあるか」

 気まぐれに。

 一人遊びにゲームのサイでも投げるように、言葉は放たれた。

「今月の経営はお前でもったようなものだ。褒美をやろうと言うのだ」

 ごてごてしい鏡の隣。

 そこには開放的な窓があって、城が見えた。

「お前ほどの女なら、いずれ面倒見てやってもいい」

 面倒を見るというのはつまり、この男の愛人になるということだ。

 そうなるのだろうと、漠然と思っていた。



 この国の中心。紺碧の屋根が連なる王都の奥に聳えたつのは王宮。

 たった七十キロの距離。

 だがパエリエにはそれが、地球の裏側よりも隔たって見える。



『神は自ら助くるものを助くというんですよ』

『外に出たくなったらその時は一言、お声がけいただきたいですね』



 昨日聞いた声が蘇ったのはそう、ちょっとした偶然。

 風のたわむれで本のページがふいに翻るような。

 そう、彼女は自身に弁解した。



「——外に」



 シェンデルフェールの革靴がかすな音を刻み、止まりかける。

「外に出てみたいわ。王都のほうへ」

 しばし目を眇め、吟味するように、雇い主は視線を寄越す。

「妙だな。そんなことは口にしたことすらなかったのに」

 なんとなく、パエリエは目を鏡の斜め下あたりに逸らした。

「別に。単なる気まぐれよ」

 だが、直後。

「いいだろう」

 瞬き一つ。

 許可が下りたことに視線を上げてしまうのは禁じ得なかった。



「明日一日、暇をやる」

 たとえ気まぐれなダイスの結果だったとしても。

「これからもたっぷり働いてくれよ」

 二度、肩を叩いてくる雇い主の笑みの奥はいつもと同じ、打算でしか彩られていなかったとしても。

 ほんのかすかなものでも。

 この日この時、パエリエは初めて自由を手にした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ