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 バルコニーに出、人目がなくなっても、リカルドはまったく変わらなかった。

「人に酔ったのかもしれない。少し外の空気を吸ったほうがいい」



 息を吸って、吐きながらパエリエは激しく首を振る。

 違う。

 違うと、頭の中で声がする。

 あの令嬢たちは正しい。

 自分は掃きだめで育ったねずみだ。

 だから、混じりけのない空気のほうに窒息してしまう。

 周りの嘲笑よりなにより。



「……なんでよ」

 この人の優しさに、耐えられない。

 バルコニーを掴み、身体を支えながら。

 パエリエは言った。

「なんでいつもいつも助けてくれるのよ?」

 困ったように微笑み、首を傾げる彼に、不可解は増しに増していく。



「それを言ったら。あんたなんで」

 綺麗な空気に慣れない。

「なんであたしなんかと結婚するの?」

 慣れることはないと、身体がもがく。

「わかんないわよ。わかるわけないでしょ」

 知らず、綺麗な空気源のような人物に目を背け、大庭園を睨み、呟いていた。

「あんたみたいな身分の人が。好き好んで下町の娼婦なんかを。慈善事業もいいとこだわ」

 彼が歩み寄ってくる度、流行る胸の焦りを消そうとするように。

 言葉は止まらない。

「この際言うけど心配になるくらいよ。他人事ながらね。一国の主になろうって人がこんなにも人のいい坊ちゃんで、だいじょうぶなのかしらって」

 ようやく、暴走を遮ったのは、柔らかな笑い声だった。

 異国で出会った用途のわからない土産物を見るように、パエリエの瞳が上がる。

「僕とこの国のことを心配してくれて、ありがとう」

 婚約者とのあいだに一息分の距離を取り、くつろいだ姿勢でもたれながら。

「でもね」

 いつになく蠱惑的に、彼は微笑んだ。



「皇太子としての僕はきみが思っているよりずっとずるくて、策略家なんだ。残念ながら善意だけで婚約相手を決めたりしない」

 腕を組み、赤い空に昇りかけた月を見上げる。

「今はこれが精いっぱいの答えだが、言っている意味が、わかってもらえるだろうか」



 ひとふり。ふたふり。

 激しく、パエリエは首を振る。

 直後、手すりにつっぷした。

「わかんない。わかるわけない」

 不可解でしかたないなにかが、喉元にこみあげてきて。

「善意じゃないならいったいなんで決めたのよ」

 不可解なだけに、対策もわからなくて、どうしようもなくて。

「あたしを婚約者になんか――」

 ふいに頬を挟み込まれ、パエリエは瞠目する。

 リカルドによって、動きを封じられていた。

 エクリュの瞳は、平生になく硬質な色を纏っている。



「そういう質問を軽々しく男にすべきじゃない。きみはもう少し、自分の魔力的な魅力というものをわきまえたほうがいい」

「……そんなの」



 わきまえている。

 魅力的に見える瞳の角度も、身体の寄せ方も。

 自分の魅せ方ならなんだって――。

 そうやって自分は生きてきたのだ。

 だがそう主張しても、リカルドはわずかに眉を上げるだけだ。



「さて、果たしてそうかな。それはぜんぶ仕事用に構えたきみだろう。ビジネス用につくった笑顔だろう?」

 ゆっくりと、堅い瞳が囁く。

「自分をみくびらないほうがいいと言っているんだ。きみはなにも、わかっていない」

 身じろぎしようとすると、頬を挟み込むその手は余計に力を込めて、エクリュの瞳が差し迫ってくる。



「オレンジペコのその瞳に涙の幕を湛えて、誰より強い光を宿して睨んでくるその瞳が、どれほど僕を落ち着かなくさせるか」

「……どういう、こと」

 髪もドレスも疲れに乱れて。

 みっともなくただわからないとわめいている自分を。

 乱れたショールを治し、涙をぬぐい。

 丁重に扱ってくる彼が、パエリエにはわからない。

 ふいに、リカルドの片手が、彼女の頬を開放する。



「もう少し」

 数歩距離を取り、振り向いた彼は言った。

「もう少ししたらその質問に答えよう」

 控えめに微笑んで。

 だがそこにいつものような余裕はなく、努めてなにかを抑えているようで。

「でも今はだめなんだ。許してほしい」

 それでも、限りなく優しい笑みだった。

「大事な宝箱はゆっくりと丁寧に開封していく主義なんだよ」

 リカルドは微笑んだまま、パエリエの側にいた。

 国務という仕事が迎えにくるまで。



「殿下。隣国ブレスレイの皇族の方がお見えです。お祝いに添えて、先日医師団を派遣した件についてお礼を申し上げたいと」

「我が婚約者もそれに値する偉大な貢献者だが」

 頷き、リカルドは去っていく。

「きみには少し、休息が必要だね」

 卑しい出自の自分にも、少し外すよと、相変わらず丁寧な断りを残して。


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