第4章 連なった札束 ①
カーマインとマカライトグリーンのカーテンが会場内を埋め尽くす中、楽団が音楽を奏でだす。
雪が降りしきる年末。アッセンブル城の中央広間。
国内外に向けた、皇太子の正式な婚約発表の宴である。
宮廷人のほか、希望する一般の人々も招待している。
小さく息を呑み、パエリエはリカルドの腕に手を絡めた。
ペリドットのベルラインと、長い銀を垂らしたガーネットのイアリング。
対するリカルドはスカイブルーのジャケットにクラヴァット、白いズボンを重ねている。
人々にまみえる紅のカーペットが敷かれた階段を上る際、囁く声が聞こえる。
「来た。娼婦あがりの姫だ」
「床上手で王子も骨抜きにしたとか」
揺れる銀の横で、シャドウを薄く塗った瞼がしかめられる。
旧王党派——シェンデルフェール側の人々の中には、パエリエをよく思わない者もいる。
エスコートしてくる隣の彼にそっと囁く。
「ごめんなさい」
ふいに、半歩前を行くその足が止まる。
「今、なんて?」
前にあるリカルドの表情は読めない。
「あたしのせいで、またあんたにまで批難や嘲笑が」
ぐっとさきほどよりずっと強い力で腕を絡まされ、駆け上がったのは数段。
目のくらむほどのシャンデリアと、その下にたたずむ人々の数に、酔いそうになる。
「ああ、ほんとうに、嘆かわしいことだ」
リカルドが発した言葉は、周囲にも聞こえるほどの音量だった。
大きく手を振り、彼は嘆く。
「きみにまで僕の最上のセンスをわかってもらえないとは!」
「……は?」
「顔を上げてごらん」
今度は彼女だけに聞こえる耳元で囁くように。
「俯いていては、周囲に頭を垂れるだけで、見返すことなどできない」
はっと、鋭く彼女は息を呑んだ。
「無責任な声を跳ね返す輝きを、どんなに備えていたとしても」
反射的に上げた、その顔を迎えたのはどよめきだった
男も女も、老いも若きも、富めるも貧しきも、一様の顔をしていた。
あるものは歓声を禁じ得ず、ある者はそれすら飲み込んで立ち尽くしている。
皇太子の婚約者その人の圧倒的な美しさに。
「どうだい。良い眺めだろう」
とくとくと心臓が鳴る音が、徐々に早まるのをパエリエは感じた。
顔を上げた、ほんの一瞬。
後はすぐにまた妬みの声が再発したが。
誰もがこの身に目を奪われたのを感じた。
「やれやれ、まだ足りないようだな。しかたない。とっぷりと見せて差し上げようか」
「なに言ってるの?」
パエリエの問いには応えず、リカルドはただ微笑んで、右手を前に差し向けた。
「皆さま、今宵はお楽しみいただけていますでしょうか。僕の愛しい婚約者、パエリエ・ローレン嬢です」
挨拶開始の合図の台詞に目が覚める。
練習した通りにやらなくては。
パエリエはあわてて礼をする。
考えて来たスピーチ、お義父さまにもお義母さまにもオーケーをもらったからきっとだいじょうぶだ。
ゆっくりと面を上げ、焦らずはっきりと。
「みなさま、ごきげんよう」
演技は、得意だ。
今、あたしは王妃候補。
気品ある仕草で瞳を細め、人々を見渡す。
「かねてから囁かれている通り、わたくしは高貴な出自ではありません」
慎ましく右手を胸にあて、殊勝に言を次ぐ。
「貧しい田舎町で働いていた、明日をも知れぬ身でした」
婚約者が自ら認めた過去に、人々は息を呑む。
「そんなわたくしがこのような地位についたこと、ご納得いただけない方もいらっしゃることでしょう」
その瞬間、パエリエは悟った。
この沈黙。
一瞬の静けさは、あたしだけのために。
「ですが」
胸にたたんだ手を開き、人々に差し伸べる。
大輪の蘭の花のごとく絢爛に、パエリエは王座に咲き誇る。
「そんなわたくしだからこそ、人生は転ずるものだと、皆さまに思っていただけるような国へ邁進してまいりたいと思います」
花束を抱きしめるように、両手を下り、礼をする。
「貧困の是正、流行り病の対策。これらを掲げる皇太子殿下の政策に共鳴してここへ参りました」
最後にもう一度、顔を上げ、皇太子妃候補は笑みを見せる。
「どうぞよろしくお願い申し上げます」
喝さいがその場を包んだ。
それ以外のなに物も、この場にふさわしくないというように。