⑦
晴れ上がった翌日、リカルドとパエリエが向かったのは石畳の二階建ての一軒家だった。
ノックをしてみるも返答がない。
「ここが、あのロイクって子の家なのよね?」
「うん。村長が書いてくれた地図の通りに来たから、間違いはないと思う」
腕を組み、パエリエは首を傾げる。
「呼んでみる? 殿下がやってきたって」
「いや」
扉に向きなおるパエリエをリカルドの手が制する。
「病人のいる家というのは時として閉鎖的なものだ。外に目を向ける余裕がないのかもしれない」
そんなものなのか。
「けど、だったら――」
どうやって介入するというのか。
パエリエの言を遮るように、家の中から甲高い声が響いてきた。
「だから、近寄らないで! みんな、みんな出てって! この部屋に入らないでって言ったはずよ!」
パエリエは目を瞬き、リカルドを見る。
強い怒声。
だがところどころにかすれ、震えている。
おそらく、心の病であるというロイクの妹のものだろう。
「アポリーヌ、そんなことを言わないで。もう三日も閉じこもったきりじゃないの」
母親と思しき人の声もする。
「言ってるでしょう、誰にも会いたくないの!」
「アポリ!」
そう呼んだのは、昨日の青年、ロイクの声のようだ。
「みんな心配してる。ちょっとでもいいから食べろよ」
「いやだ! ちょっとでも食べると太るもの!」
「アポリーヌさん。初めまして。リカルド・アルコスという者です」
気がつくと、リカルドはドアのある壁面からぐるりと回った先の窓から話しかけていた。
不審に思ったのかやってきたロイクが顔色を変える。
「お前ら。余計なこと……!」
だがリカルドは意に介さず、窓の向こうに呼びかけ続ける。
「少しずつでも食べてみませんか。生命活動の維持には必要なことだから」
そっとその下から窓を覗いてパエリエは息を呑む。
まだ十代後半の少女であろうアポリの髪は乱れ、目はくぼみ、なにより。
その身体はげっそりとやせ細っている。
その吹けば飛んでしまいそうな身体を嫌悪にかきむしるように乱雑に抱いて、アポリーヌは絶叫する。
「わかってるわよ! あたしだって死にたくない! この妙な病気を治したい。でも食べられないんだもの!」
言葉もなかった。
めちゃくちゃに見えるが、本人にとって切実な本音だろう。
「そうですか。わかりました」
飲み下すように目を閉じ、リカルドは辛抱強く説得する。
「あなたの病は、過去の出来事や心の傷が深く関わっていると推察できます。どうか、そのことについて、話してくれませんか」
「いやよ!」
だがアポリーヌは頑として譲らない。
「今更そんなことしたってなんになるの⁉ 医者はみんなそう言った。でもだあれも、あたしのこと治してなんかくれないじゃない! カウンセリングなんか意味ないわ、こっちは本気で苦しんでるのよ」
苦渋の表情を抑えるように、リカルドはパエリエを見やる。
「どうにも歯がゆいが、当人が治療を受けるのを納得してくれないことには仕方がない。ここは一旦引き上げて新たな策を――って、パエリエ?」
その時には、身体が動いていた。
がちゃりとノブを回してみると、ドアは開いている。
瞠目している母親に会釈し、奥の扉を無理やりこじ開ける。
「アポリーヌ。こんにちは。パエリエよ。医師のリカルドの婚約者です」
錠が壊れてしまったのはごめんなさい。あとで修理を頼んでみるわ、と頭を軽く下げる。ベッドの上に座り込み、布を抱きしめたアポリーヌは周りがくぼんだ二つの目でパエリエを見つめた。
しばらくそうしていた後、宝石箱が飛んできた。
「あんたみたいな綺麗な人にはわかんないわよ! あたしの気持ちなんか一生!」
次いで本が、時計が、衣装が飛んでくる。
それらがなるべく壊れないように受け止めながら、パエリエは思う。
アポリーヌはその台詞が似つかわしい醜い少女ではない。
痩せて蒼白な感はあるが、回復すれば愛らしいのは想像に難くない。
「食べられなくなって、こんなに痩せるまでに美に執着する愚かな娘だって」
だが今、それを言ってもきっと通じない。
「きっとあたしを見てみじめだって思ってるんでしょう? 思ってるならそう言いなさいよ」
母親が、ロイクが、そして追いかけて来たリカルドが止めるのもかまわず、パエリエは彼女に近づいていく。
「あたしが思ってるのは、一つ」
ベッドでうずくまる彼女と同じ視線になるよう、かがみ込んで。
笑顔も悼みもない素の表情で、パエリエは問うた。
「なにがあなたをこんなに苦しめてるのかなって」