③
「パエリエさま、不慣れな宮廷でなにかお困りのことはありませんか?」
パエリエの私室。
サンフラワー柄のカーテンの中、御髪を整えるという初仕事をこなしながら、コリンヌはそんなふうに話しかけてきた。
いっぱしに侍女ぶろうとするその姿勢がおかしく、また愛らしくもあり、鏡台に映ったパエリエの口元が緩む。
「って、あたしより日の浅いあんたに言われてもね?」
冗談めかして瞬けば、背後で櫛を持ったコリンヌの頬がぷくりと膨らむ。
「パエリエさまのお困りごとを解消するのがあたしの仕事です!」
「そうねぇ」
そう言う自分の声が開けた天井まで伸びいくのを感じる。
開け放った窓から吹いてくる風も、髪をすく強度も心地いい。
「特にないわ」
驚いたことに、今自分はおおむね居心地がいいようだ。
この宮廷生活も。
今この瞬間も。
「あんたは日常の仕事に専念してちょうだい」
「ええーっ」
穏やかでない感嘆符に、そのままの姿勢でと言われたのも忘れて振り返りそうになる。
なぜそこで不満なのか。
「なにかないんですか? ドレスが不足しているとか。高い地位に嫉妬した貴族のご令嬢にびりびりに引き裂かれたとか! 階段からつきおとされたとか⁉」
髪をすく櫛にやや力がこもる。
「パエリエさまを襲う陰謀や悪漢どもをこてんぱんにやっつける覚悟で来ましたのに!」
パエリエは苦笑した。
「あんた、やっぱり小説の読みすぎみたいね」
「大好きです。……そういえばさっきの話ですけど」
結った髪を片手で抑え、片手で萌木色にレースのついたリボンを選びながら、コリンヌは続ける。
「パエリエ様はひとめぼれにロマンスを感じないんですね」
リボンをハーフアップにした髪に結んでみると、太さといい、色合いと言いなかなか様になっている。
萌木の優し気な雰囲気が醸し出す、いつもの自分とはまた違った雰囲気に、しばし目を見張る。
「所詮顔、かぁ……」
ヘアメイクを終えたコリンヌは、化粧道具をよっこいしょと取り出しながら、ファンデーションを手になじませ始めた。
「でもそれって言い方を変えれば、それ以上のロマンスを期待してるってことじゃないですかね」
「え?」
化粧前でも十分に大きなオレンジペコの瞳が見開く。
なにを言い出すのかと思えば、手早くベースメイクを終えたコリンヌはその両手をぱちりと合わせた。鏡越しのモカブラウンの瞳がとろけるように細められる。
「心の中身ごとばっちり愛してくれる人。きっとそれがパエリエ様の理想なんですよ!」
グロスを塗られる途中の口元から笑みとも呆れともつかない一声が漏れい出る。
なんというか。
無邪気過ぎて言葉が出ない。
それでも。
鏡の前の顔色の血色が増していくのを、パエリエは見て取っていた。
まぁ、きらいな感じではないが。
ふっと、サーモンピンクに塗った口元を膨らませ鏡越しに侍女に向かって勝気に微笑んでみせる。
「コリンヌ。夢を壊すようで悪いけれど、男が女性を選ぶ基準なんか所詮外見程度のもんよ。そのほかの図り方は知らない低能ぶりともいえるわね」
まぁ、と、ハイライトをはたくその手が一瞬止まった。
「それは……ちょっと辛辣すぎ――ん? ……あーーっ‼」
ブラシが鼻先をこすって、あやうくくしゃみが出るところだった。
見ればコリンヌは瞠目してパエリエを鏡越しに見つめている。
「みなまで言わなくてもいいです。コリンヌは。コリンヌはわかってしまいました」
そう言ったかと思えば、エプロンドレスをたぐりよせ、よよと泣き崩れる動作など始める。
忙しい娘だ。今度はなにが始まるのか。
「パエリエさまの海より深いお悩み。それは――婚約者リシャール様との愛にあったのですね!」
ひゅう、とせっかく色っぽくした口元をすぼめて吹きそうになる。
始まったのはロマンスだった。
「パエリエさまはリシャールさまをそれは愛していて。リシャールさまもそれに負けぬ愛を示されておられる」
なるほど、そのように教えられているのか。
コリンヌはまだうら若い少女。当然と言えば当然だが。
「けれど! パエリエ様は不安なのですね。その眩いばかりの美しさゆえに、自分が愛されているのは外側だけなのではないかと……! そう思うと哀しくて狂おしくて、夜も眠れずにいるのですね!」
だが、それにしても。
どこからつっこんでいいのかわからず、パエリエは首を振る。
「あのねぇ」
「いいんです、いいんです、虚勢などはらないでください。あたしの前では。ほら、目元に疲れの跡が」
驚いた。うっすらとした隈に化粧の最中に気付いていたのか。
「たしかに、まだたまにちょっと寝つきにかかることはあるけど」
王宮のベッドは柔らか過ぎて慣れるのに未だ苦心しているだけだが。
「つらいけれど一途な恋。でもきっときっと、リシャール様の真意が垣間見える時は来るはずです。応援します! パエリエ様‼ コリンヌは味方ですっ」
装い仕上げに、侍女は決意を固くするように、きゅきゅっと王妃候補のリボンを引っ張ったのだった。