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パエリエが執務室を辞すのと入れ違いに、オルタンシア王妃の姿が見えたので、膝を折り、礼をする。
オルタンシアは一度彼女に目を止め応えると、執務室へと入っていった。
去りがたい気持ちがなぜか消えないが、母子の邪魔をするわけにはいかない。
パエリエが自室に向け数歩、歩んでいる時だった。
「リシャール。ブレスレイの流行り病の視察と対策書の立案、任せてもよろしいわね」
聞こえてきた言葉に、思わず後退する。
「やれやれ、病み上がりの身にも待ったなしですか。——もちろんです母上」
「そういえば、倒れたそうですね」
「なんと。息子の一大事にそういえばとこられますか?」
いけないことだと思ったが思わずじっと聴いてしまう。
リカルドの口調はあくまでおどけている。
これが二人のいつものトーンなのだろう。
「聞けば婚約者を連れ出している最中だったとか。情けない。大事な女性を守れないで、むしろ介護されてどうするのです」
「は。一言もありません」
「毎度言うことですが、表だってできない調査は全てあなたの手腕にかかっています。二週間以内に完成なさい」
「かしこまりました」
「皇太子の身分で医師になりたいなどと言い出し、大学まで出て医師団の長になるなど、不相応な信念をつらぬいた以上は完璧な仕事ができるのでしょうね」
パエリエは思わず身がすくむのを感じる。
オルタンシアの言葉には容赦がなく、聞いていてはらはらする。
だが、迎え撃つ息子もしたたかなものである。
「僕がいなければ、母上御自らブレスレイまでお忍び視察旅行に出かける手間は免れないわけですから、役立っていると少しは評価していただきたいものです」
「評価というのは結果が伴った上でするものです。正確にかつ迅速になさい。——いつものように。……高評価が望めない者に、始めからわたくしは仕事を振ったりしません」
執務室から響く足音。
とっさに身を翻すことも考えたが、パエリエは首を振り、その場に留まる。
執務室から姿を現したオルタンシアが、目を見開いた。
気高き王妃に、皇太子妃候補は、微笑みかける。
「夜の庭園をお散歩に出ませんか、オルタンシア様」