⑭
列車に乗り、リカルドに手を引かれ、小民家のブックカフェにたどり着いた。
地方には小雨が降ったばかりらしく、露を浴びたあじさいが光っている。
「よし! 今度こそ存分にエスコートするからね!」
雄々しくもリカルドはパエリエをテーブル席に誘うが、
「お客様、まずはこちらに」
「あ、はは、カウンターで頼むのか。いやぁすみません色々知らなくて」
相変わらずいまいち決まらないものの、リカルドはどうにかパエリエの席を引く。
「待っていてくれ。きみはなにを飲む?」
「そうね」
あじさいジュースの名に惹かれ、その名を告げると、リカルドはよし、僕も同じものにしようと微笑んだ。
パエリエの視線を追い、雨上がりの紫と蒼、リラと、水彩画のごとく色が移り変わるあじさい庭園を目を眇めながら眺める。
「見事なものだよね。じつはここは母の故郷の村でもあるんだ」
「そうなの」
そういえばオルタンシア王妃は、この花の色のドレスを好んで身につけている。
公の場では濃紺に近い高貴なヴァイオレット、普段は藤色に近い優雅なウィスタリアを。
どちらも気品溢れる彼女によく似合っている。
「地方出身だった母は町の治安調査にやってきた父と出会い恋に落ちた」
あ、これを言ったことは本人にはひみつだけれど、といたずらを思いついた少年のように笑い、リカルドはパエリエに視線を戻す。
「庶民出身の母はその意味でもきみを気にかけていると思うんだ」
見返すオレンジペコの瞳は平生のごとく強気に見開かれてはいても、どこか不安に揺れている。
そうだろうか。
婚約お披露目の晩餐会でも失敗してしまったし、失望されているような気がするが。
そのかすかな揺れを汲んだ証のように彼は、婚約者の腰かける背もたれに力強く手を置く。
「だいじょうぶ。母上だけじゃない。いつかきみを全民衆に認めさせてみせる」
「……」
今度は、胸の奥が揺れたのを認めたくなくて、パエリエは目を伏せた。
頼もしく、だが労わるように背もたれに置かれた手は、俯いても視界に入ってきてしまう。
変な男だ。
世間知らずのぼんぼんかと思うのに。
ふしぎと憎めない。
「だったらまず、デートがうまくならなきゃね」
「ははは。それを言われてしまうとどうにもかっこうがつかないな」
情けなく頭をかくその声が心地よくて。
笑ってしまいそうで。
そっぽを向いた。
「待っていて」
そう言い残してリカルドが注文をしにカウンターへ踏み出して。
傍らの棚にたてかけてあるタイトルに、小さく息を呑んだ。
“あじさい革命”。
エルネストがまだ知る必要がないと言っていた、アッセンブル王国の歴史事変。
そっと手に取り、開いてみる。
「——!」
そこにしたためられていたのは、思わぬ出来事であった。
ほんの二十数年前の、国内の動乱。
それは貧しいこの田舎街出身の王妃が要因となるもので――。
これまでのいくつかの糸がうまく絡み合い、すとんと腑に落ちる。
そうか。
そういうことだったのかと、本を閉じたその時。
なにかが頽れる音が響いた。
「——ちょ。え?」
顔を向けると同時に投げだし、駆け寄る。
カウンターの数歩手前。
リカルドが倒れていた。