⑨
バラの咲き乱れる庭園をリカルドと二人、歩いている。
「今更だけど、あんたが王子だったなんてね」
萌黄色のドレスからさらに庶民的な、クッキー色に小花をあしらったドレスに着替えたパエリエは晴れ上がった青空を仰いだ。
アップにした髪はそのままに、リボンを紅茶色のレースのへットドレスにつけかえた。
久しぶりに動きやすいドレス。
コルセットも緩めで解放的な着心地だ。
手にはまた新たに送られた、クリーム色のレースの手袋。
「ははは、よくらしくないと言われるよ」
そう言って頭をかく彼は先程のチャコールグレイのシャツに薄手のシャツを羽織り、ミフラーを巻いただけの簡素な服装。
気になると言えばやたら大ぶりのリュックサックを背負っていることだが。
彼曰く、これはお忍びデートらしい。
なんだか潜入みたいでわくわくしてしまうね、と肩を弾ませ言う姿に、肩の力が抜けていく。
「ご両親はともに威厳十分なんだけど。特に王妃様」
威信たっぷりに渡された参考書の山。あれはいつになったら片付くのだろう。
ふっとリカルドは眉の角度を緩めた。
「母を許してやってくれ。尊敬すべき母上なのだが、あまり愛情表現がストレートなほうではなくてね」
そうかと思うと、視線を庭園の先の門に向け、力強く頷いてみせる。
「きみの魅力が一日も早く伝わるよう、僕も全力を尽くすから。きっとわかってくださると確信している」
その心から余裕そうな目線を受けた感じるのは、呆れが大半。
「だからあたしのなにを知っていると」
一割の期待とときめきは、当人も気付かぬまま。
すっと、目元に差し伸べられた手に、びくりとパエリエは思わず後退する。
迫っているのは、いたわしそうな、エクリュの瞳。
「クマができてる。日々、頑張っているようだね」
心臓がばくばく言い出すので、抗うように手を振って、彼より一歩先に踏み出す。
「ここじゃ一人だけ身分の卑しい黒羊だもの。できることといえばせいぜいが努力しかないじゃない」
庭園の砂利を踏みしめ、きっと、眼前の黒い蔦模様の門を睨む。
「結果の出ない悪あがきだって、あがき続けてみせる」
くるりと振り返ったそこには高々とそびえるラピスラズリの王宮。
「ぜったい、王妃の座まで上り詰めてやるわ」
そしていつか見下ろしてやるのだ。
この身を蔑んだ世界を。
「ふ。ふふふ……」
「なによ」
もう一度身体を反転させ、じ取りと睨む先は、この妙な婚約者である。
「負けず嫌いなところ、ほんとうにかわいいなと思ってね」
そんな無責任なことを言って、彼は微笑む。
「いい傾向だ。前にも話したけれどね、その性質は学業にしろ技術の習得にしろ、伸びしろ以外のなにものでもない」
パエリエにとって大きな一歩だったその距離を微動だけで縮めてくる。
耳元で囁かれた声音は、普段より一段、低く。
「ずっと応援しているよ。つらくなったらなんでも言いなさい。夜は、しっかり眠ること」
ぴくりと動いた上体に抗うように身体を離せば、おっといけない、怖がらせてしまったかな? などといつものように控えめに微笑んでいる。
つくずく、変な男だ。
変な婚約者は、優しく優雅に、手を差し伸べる。
「さて、お忍びデート開始といこうか。任せてくれ。リサーチは完璧だ!」
彼は一国の王子らしく雄々しく、勇ましく踏み出す――。