②
紺碧と菫色が交互に連なったカーテン、ダークシルバーの銀細工が彩るシャンデリア。天井にほど近い大理石に囲まれた空間にオーケストラの楽団。
そこここから漂うこの国の名産料理の香り。
東棟の大広間に集う、色とりどりのドレスの男女。
とりわけ高貴な衣装を身に纏った王家の人々の後ろに控え、がちがちに固まる身体をパエリエは自覚する。手を開いたり握ったりを繰り返すことでどうにか緊張を和らげようとするも効果のほどはわからない、などとぼんやり思っていると右肩にそっと手が添えられる。
バーミリオンのドレスが皺にならないように配慮したエスコート。
コバルトブルーのジャケットに紋章をつけたリカルドの隣に、パエリエはいる。
今夜の王家主催の晩さん会で、リカルドの婚約者として公に挨拶することになっている。
一曲目のワルツが終わったそのタイミングで、凛とした声が響き渡る。
「みなさま。今宵はお楽しみいただけていますか」
ヴァイオレットグレイの髪を編んで真珠を散らし、品よく右肩に垂らした初老の女性——オルタンシア皇后である。トレードマークだという藤色のドレスに黒いレースのショールを合わせた姿は、祭壇を飾る蘭のような気品がある。
「今宵はみなさまに、よい報せがございましてな」
王妃の隣で目を細め笑みを浮かべるのは王グザヴィエ。
長きにわたり他家にわたっていた王権をグランメール家に復権させた功績の持ち主であり、今なお民の期待と信頼を一身に背負う彼はブラウンの髪を撫でつけ、微笑んだ。穏やかな目元は君主の器を感じさせる。
金に縁取られた深緑の袖を掲げ、王が宣言した。
「我が息子リシャールがシャノワーヌでの公務の折、婚約者を連れ帰ってまいりました」
どっとどよめく人々。
知らず胸を押さえているのは、王妃の後ろ。リカルドの隣に匿うように隠されているパエリエである。いよいよだ。
「ご紹介いたします。パエリエ・ローレン嬢です」
王妃とリカルドが退き、ヒールの音が鳴らないように気をつけながら前進する。
鬼百合色の肩までの髪をクリムゾンのへッドドレスで束ね。
その下に広がるオレンジのバーミリオン。
圧倒的な美しさに人々が息を呑んだことすら当人は気付かない。
落ち着いて、ゆっくりと、自身に言い聞かせていた。
ここでは一挙手一投足が評価される。礼の角度もそろえた指の位置も、たたきこまれた通りに。
「パエリエ・ローレンにございます。どうぞみなさま、よろしくお願いもうしあげます」
一礼の後、会場を包んだ吐息はおそらく失意や嫌悪の類ではなかった、と思う。
瞳を輝かせた若い令嬢たちが駆け寄って来たところを見ると。
「リシャール様とはどのように知り合われたのですか?」
小さく唾を呑み込み、これも台本通りに。
「殿下が休暇を過ごされているときに。街の中でございました」
「皇太子のどのようなところにおひかれに?」
この問いへの答えも準備済だ。
にっこりと付け加える笑顔も。
「誰にでも分け隔てなく、お優しいところです」
まぁそうね、彼のその印象には一応、嘘はないと言えるかしらと、斜め上の自分が茶々を入れる。
――あくまで表面上はね。
ちらと横に視線を送ると、照れたように微笑んでいる。
自分を婚約者にしたその裏にどんな目的が潜んでいるのかは、残念ながらまだ掴めてはいないが。
ともかく、頂点から世界を見下してみたい自分と利は一致している。
そんな本音を脳内で回らせながら、近寄ってくる人々と談笑を交わす。
我ながらビジネス用芝居はうまいものだ。
すがるように皇太子の腕に手をかける様子は到底知り合ってわずか数週間には見えまい。
背後で優し気に微笑む国王夫妻も相まって、絵に描いたような理想の一家だ。
金時計の中、回るきらびやかな人形のような。
歯車が狂ったのは、物静かそうな令嬢が勇気を振り絞ったように言葉を発した時だった。
「あの、わたくし先日、『オルコット家の四姉妹』を読んで感動してしまって。みなさまのような理想の家族です。流行りの家庭小説。パエリエ様も皇后さまから習っておられるとか。どう思われますか?」
またも、ビジネス用笑顔を浮かべる。
そう、彼女が言っているように、皇后教育の一環で読まされた。
読み書きをたたきこまれ、それもままならないうちに。
センスで口元を隠し、笑う。
「そうね」
感じたことと言えば。
「親子愛だ兄弟愛ださぁ感動しろみたいな話は個人的にはおしつけがましくて好きじゃないわ。世の中には、家族を愛せない人間だっているもの。人目を気にして隠れているだけできっとごまんとね」
令嬢が目を見開き、しん、と一瞬にしてあたりが静まり返る。
事実娼館に娘を売る親もいるのだ。
じわじわと違和の輪が会場に広がっていく。
そんな。なんて不道徳な。恥知らずだ、という言葉もそこここから。
黒煙の異臭が立ち込めたような空気にパエリエはようやく我に返る。
やってしまった。