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行動に出るまで数年かかった。
歴史に経済、文化、政治。そして武闘。あらゆる分野の研鑽を惜しまないことで、医師の免許をとり医師団の長として仮名で繰り出した地方で国の実情を知ることで、皇太子として自信をつけた彼は、再びシャノワーヌを訪れ、あの時の少女を捜した。
手がかりは、パエリエという名前と類まれなる美貌。
すぐにその名の売れっ子の娼婦にたどり着いた。
やはりかわいい女性だった。
成長するにつれ知った、下町で身を売る女性がいるという知識と、酒場にいた妙に大人びた少女の記憶はとうに自分の中で重なり合っていたが。
それでも、ほんとうに彼女が娼婦だと知った時は衝撃を禁じ得なかった。
無論、その職業の卑しさが原因ではない。
格差、社会制度、差別的価値観。憎むべきはそうした温床をつくり出す社会だという考えを王子は抱いていた。
ただ一人自分を肯定してくれた少女が、自分が統治することになる国の犠牲者であった一点が、彼をたまらなく苛んだ。
「ほんとうに、娼館出身の女性をめとるおつもりですか」
皇太子私室のテラス。
大庭園が望めるその場所で椅子に腰かけるリカルドに、側近のエルネストが問うてきた。
ウェーブがかったアッシュグレイの髪、アメジストの瞳。
半ば答えを予測しているようにどこか楽しげな美貌かつ優秀な秘書の期待に応える意味で、リカルドは口元で弧を描く。
「何度も言ったが決定事項だよ。無論心を許してもらえるよう、時間はかけるが」
「『世界でただひとりきみに相応しい人』、ですか」
紅茶に固まった砂糖でも入っていたかのように苦笑し、リカルドは傾けたティーカップを止めた。
「やれやれ。相変わらず性格が悪いな。隠れて聞いていたのかい」
側近は気を悪くしたふうもなく、涼し気に微笑んだ。
「自分のことをよく言えますね」
さらなる笑みで応じると、深みのあるファーストフラッシュをじっくりと味わい、言う。
「全て事実だからね」
カップをソーサーに戻し、リカルドは手すりの向こうに視線を投げた。
広大できらびやかな庭の奥の堅牢な扉。その奥には、この位置からは見えない真の世界がある。
オレンジペコの勝気な瞳で、愛想の欠片もなく見上げてくる、あの少女を愚弄した世界。
これから愛すべき場所へとこの手でひっくり返す、世界が。
「彼女には相応の人と幸せになってもらわなくては困る」
そろそろ、休憩時間は終わりだ。
執務室に戻り際、ふと目を伏せ、彼は呟いた。
「つまり、この僕とね」