⑩
噴水を囲むベンチの一つに、パエリエは腰かけていた。
牛肉をトマトとデミグラスで煮込んだ馥郁たる香りがどうにか意識を戻してくれる。
だいじょうぶかしら。
あの怪しすぎるリカルドとかいう男、なんだかんだドレスの代金を支払っていたようだった。
後で請求書が来なければいいが。
膝に肘をつき上体を前に乗り出し、酸欠気味の頭にカツを入れる。
どうしたというのだ。
警戒すべきだ。
逃げるべきなのだ。いつもそうしているように。
利用され、傷つけられるその前に。
だがなぜ、身体が動かない。
きゅっと噛んだ唇から、先ほど彼がついでのように送って寄越したマンダリンルージュが香り、また気が滅入る。
拳を握った時、少女の悲鳴に、パエリエは顔を上げた。
「うるせーな、あんまりしつこいと黙らすぞ!」
噴水の手前で、十代後半ほどの少女の腕が、青年によって捩じ上げられていた。
めかしこんで団子型にアップしたのだろうマロンブラウンの髪がほつれ、乱れている。
「だって、だって。どういうことなの? 他に女がいるって!」
「だからあれはなりいきだったって言ってるだろーが!」
青年は少女を羽交い絞めにするが、少女も負けじと青年を睨み返す。
モカブラウンのくりくりした瞳。
笑顔でいればきっと、愛らしい少女だ。
「あたしと結婚してくれるって言ったよね? あれは嘘?」
涙がにじむ瞳は、唾とともに吐き出された声に一蹴される。
「今どきそんなんふつーのことだろうが。いちいち喚くことかよ。これ以上騒ぎ立てたらマジでお前ぶっとば――」
男が撃退された。
少女によってではない。
なにが起きたかわからない彼女はモカブラウンの目をぱちぱちさせて、数メートル先に伸びている彼氏を見ている。
ゆっくりと戻した視線の先には鬼百合の波打つ髪に、オレンジペコの瞳。
その横っ面を張り倒したのは他でもないパエリエだった。