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5.指令書 K (Killng)(1)

 わからないのは目的、と周一郎は言った。腕利きのスパイを張り込ませるならまだしも、セイヤを寄越す(そりゃ多少は計算が狂っていたが)と言うのは、色仕掛けとしか考えられない。その目的がわからない、と周一郎は机に肩肘を突き、膝のルトにもう片方の手を載せたまま、俺を凝視していた。

 目的。

 そう、わからないのは目的だ、と俺は大学の購買部横のベンチで、ジャムパン1個と牛乳1本と言う少々侘しい昼食を片付けながら考えている。

 目的。

 俺が周一郎の側に居る目的。意味。

 お由宇は今にわかると言った、周一郎が俺をどう思っているのか。

 俺も全くわからないわけじゃない。周一郎が、俺のことをいろいろ気にかけてくれるのも、最初に比べれば、信じられないほど心を開いてくれているのも分かっている。

 でも、だからこそ、もう大丈夫だろう、と思うのも事実だった。

 初めて会った頃の周一郎は、まるで諸刃の抜き身の剣で、自分を傷つける相手から身を守ろうとする度に、同じ剣で自分も傷ついていた。朝倉財閥の富を目当てに親切ごかしに近づいてくる人間、あからさまに周一郎を狙う人間、それらの人間を相手に渡り合ってきた日々の中では、優しささえも拒むしか知らなかった。そうして、そうする自分にもまた、傷ついていたのだ。

 けれども今の周一郎は違う。多少の意地っ張りは残っているものの、俺以外の人間にもかなり本音で対応できるようになってきたし、少なくとも自分で自分を傷つけるようなことはなくなってきたと思う。

 それに、周一郎も、もう17、8のガキじゃない。ちゃんと成人し、事実上朝倉家のトップに立っているあいつが、これから名義上も朝倉家のトップに立つことができるようになるのも、そう遠くはないだろう。そうなった時、周一郎に手を出せる人間が、どれだけいるかは疑問だ。

(そうだな……もう大丈夫かも知れない)

 俺は牛乳のパックを潰しながら考えた。

 淋しくないと言えば嘘になる。第一、あの家を出て、食べていけるかと言うことになると、自信なんかこれっぽっちもありはしない。

 脳裏に、あのK出版、浅田国彰からの封筒がちらついている。

 だから、だ。

 だから、あの封筒に賭けてみるのも悪くはないだろう。たとえ、それが、俺と周一郎を巡り合わせた運命の神様とやらの気まぐれにせよ。そして、もし、それが気まぐれ以上のものらしいとわかったのなら……。

(俺は、あの家を出て行こう)

 決心がつくと、気が軽くなった。うん、と伸びをし、ベンチから立ち上がる。午前11時20分。セイヤが校門前で待ちかねているだろう。


「志郎兄さんが嫌なら、出て行く」

 肩の傷も包帯を必要としなくなった頃、セイヤはしょんぼりとして言った。俯きがちにぼそぼそとことばを継ぐ。

「僕……迷惑かけるだけ……だから」

 細い肩が儚げで、頼りなさそうで、答えることばが見つからず、周一郎を見た俺に、周一郎は無言のまま眼を伏せた。見ざる、言わざる、俺の好きなようにしろ、と言うことらしい。それもそうだな、はい、さようなら、そう言える性分なら、俺は何も『厄介事吸引器』と呼ばれるわけがない。

「周一郎…」

「…」

「頼む。もう少し、置いてやってくれないか」

「志郎兄さん!」

 ぱっと顔を輝かせたセイヤは、不安そうに周一郎を見遣った。周一郎はしばらく沈黙していたが、ゆっくりと瞳を上げ、サングラスの向こうからなんの感情も含まない視線を投げてきた。立ち上がり、これで話は終わったと言わんばかりに、

「では、僕は多少セイヤ君に訊きたいことがある。滝さん、席を外してもらえますか?」

 主人の威厳をまざまざと見せつけて俺に命じた。

 その後、20数分、周一郎の『訊きたいこと』は、かなりセイヤにとって辛かったらしく、青ざめた表情で部屋を出て来たセイヤは、それでも嬉しそうの俺にしがみつき、俺は逃げ越しになりながら、セイヤの甘えを受け止めた。

「ねえ、滝さん、僕、もう誰にも抱かれない。約束するよ」

 セイヤは邪気のない顔でさらりと言ってのけ、俺はと言えば、ひたすらうろたえていた。


「あれ…?」

 校門前まで来た俺は、辺りに誰もいないのに、思わず立ち止まって首を傾げた。セイヤは俺の『仕事』が昼までだと聞くと、11時にはここにいる、迎えに行くのだ、と言い張ってきかなかったのだ。図書館で例のレポートまとめをしていたものの、もう一つうまく行かず、早めに切り上げては来たが、途中宮田に捕まったり、納屋教授に捕まったりで、遅くなってしまったのだが………。  

 校門を出て二、三歩歩いたところで、俺はぎくりと立ち止まった。いつの間に背後にいたのか、低い声が囁くと同時に、ごりっと固いものが腰のあたりに押し付けられる感触があった。

「セイヤさんがお待ちです」

 だみ声には覚えがあった。この前セイヤを撃った男だ。

「行きましょうか」

「うははははっ!!」

「?!」

 押し付けられたものが妙なポイントで捻られて、思わず引きつり笑いをした俺に、男は苛立ったようだった。

「この…何がおかしいっ!」

「いや、そこくすぐったくて」

「……なかなか大したタマだな、あんた。トロそうに見えてよ」

 トロくて悪かったな。どーせ俺はイワシかメザシだよ…って、だめだ、頭が飛んでる。

 そうかやっぱり俺の脳みそは使い物にはならないか。わかっていたが、溜息をつきながら銃で脅されるままに、角でエンジンをかけて待っていた黒い車に乗り込んだ。

 が、中にはセイヤの姿はない。

「…セイヤは?」

 嫌な予感に怯えつつ、震えかけた声を必死に落ち着かせて問いかけると、答えの代わりにどすんと重いものが腹のあたりにめり込んだ。せっかく昼飯食べたのに戻って来ちまう………それが意識を失う前に俺が考えた最後のことだった。


 遠い所で誰かの呻き声が聞こえる。それは時々悲鳴じみた声になって頭の中を掻き回し、俺は眉をしかめて耳を塞ごうとする。が、なぜか両手は自由にならない。どうしてなんだ、どうしてなんだと繰り返すうちに、不意に辺りの光景がはっきりとした輪郭を持って蘇った。

「あ…ちっ…!」

 それと同時にずきりと頭の芯が痛み、思わず呻く。

「悪かったね」

 穏やかな声が謝る。声の主を無意識に捜すと、目の前に座っている白いスーツの上下、水色のシャツに紺色のネクタイを合わせた、苦み走ったスマートな男が視界に入った。

「ちょっとまずい時に目が覚めかけたので、殴らせてもらった」

 薄い唇を歪めて話す。その後ろで見上げるような大男が二人、黒いノースリーブシャツに黒ズボンという劇画チックな格好で、命令を待つドーベルマンよろしく、殺気立った目で俺を凝視している。

「?」

 天井にはシャンデリア、かなり豪華な奴できらきらと跳ねる照明の光が、部屋中に散っている。

「?」

 左には落ち着いた焦げ茶色の木製サイドボード、磨かれたガラス扉の中には、俺が見ても高価だとわかる銘柄の酒のボトルと、外国製らしいカットグラスが並んでいる。

「?」

 正面の椅子にはさっきの男が優雅に腰掛け、右へ視線を回せば、高そうな布製の壁掛けと絵画が飾られている、その下に長椅子一脚。

「っ!!」

 一瞬にして状況が飲み込めた。長椅子にぐったり寝そべっているのは、シーツをかけられた半裸のセイヤ。ぼんやりとこちらを見ている生気のない目からは、涙の跡が幾つも伝わっている。力なく投げ出された白い腕、その中央に数カ所のほの赤い点…。

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