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4.報告書 II (1)

「おっ、お由宇!」

 俺ははあはあ言いながら、お由宇の家に飛び込んで扉を閉めた。

「あら…志…」

「しっ!」

 出てきたお由宇の声を慌てて制する。しばらくじっと耳をすませていると、表をバタバタと足音が駆け抜けた。「志郎兄さあん」と心細そうなセイヤの声が続いていく。

「は…あ」

「あれが噂の子?」

 通り過ぎてくれてほっとした俺に、お由宇は軽く両腕を組みながら、楽しそうに尋ねた。

「え?」

「何かと話題の尽きない人ね、あなたって。今はあの子が噂になってるわよ」

「噂にもなるだろうな」

 立ったまま扉にもたれ、両膝に手をついて、整い切らない息を抑えながら答える。

「あれは目立つよな」

「滝志郎が歳下の男を連れ歩いている」

「お由宇!!」

「噂よ。まあ、お上がりなさい」

 唸った俺を軽くいなして、お由宇は背を向けながら促した。


「…ふうん。そう言う訳」

「ったく、お節介なんてするもんじゃない」

「今更ね。誰でしょう、毎回そう言いながら面倒ごとに首を突っ込んでいる物好きは」

「悪かったな、物好きで」

 ふてながら、コーヒーをがぶりと口に放り込み、

「熱っ!」

「ばかねえ、今淹れたって言わなかった?」

「言っはよ!」

 お由宇の憐れみの目に応じて口を噤む。舌の先がひりひりしている。

「でも私、まだ見てないのよね」

「へ?」

「その子。何て言うの?」

「ヘイヤ」

「ヘイヤ?」

「あ……セイヤって……っっ」

 舌を使うとジンと痛みが広がる。

「セイヤ…? 成羽聖耶のこと?」

「苗字は知らん。茶色の猫っ毛と茶色の目で色白で…」

「華奢で小柄な13、4歳の子? ちょっと待ってて」

 お由宇はチカリと瞳の奥を光らせてソファから立ち上がった。俺は思わず身構える。お由宇がああ言う眼の光らせ方をした時は、大抵有り難くないことが待っている。

「志郎?」

「ん?」

 ようやく感覚の戻ってきた口に、恐る恐るコーヒーを含みながら、お由宇の差し出したファイルを覗き込んだ。

「この子?」

「うぐっ……ぶっ……ごふっ!! ごはっ!!」

 次の瞬間、俺は目の前の写真に目一杯むせ返り、お由宇がさっと体を引いた後の空間に、口の中身を派手に吹いていた。

「げはっ! ひっ! ごっ……ごほっ!!」

「あーらら」

 お由宇は平然としたもので、テーブルと床の絨毯についた汚れを手早く拭き取り、澄ました顔で前に座り直している。

「大丈夫?」

「だっ……大丈…大丈夫も…くそもあるか! 何だっ! この写真はっ」

 思わず喚いてお由宇を睨みつける。

 その写真を見れば、誰だって茫然自失するだろう。ページ1枚に4枚の写真が貼られており、各々の下に番号と名前が書いてあるのだが、その写真と言うのが、つまり、どう言えばいいのか、半裸姿でポーズをつけた男女だったのだ。その中の、お由宇が示した左端、白の薄物一つでにっこりこちらに笑いかけているのが、他でもないあのセイヤで、その下に『No.000237 成羽聖耶 』と書かれている。

「これね、とある組織の売り物一覧表」

「とある…組織?」

「そう。少し前に潰れた売春組織で『エトライオル』って言うんだけど、成羽聖耶は中でもトップクラスの稼ぎ手で、組織が潰れた時もうまくすり抜けて姿を消してるの。客に対しては『セイヤ』の名前を使っていたし、ちょっと気配が普通じゃないから、ひょっとしたら、と思ったんだけど」

「売春…か…」

 確かに『そう言う手合い』がいるのは知っていたが……まさか、俺が鴨になるとは思いもしなかった。

「いや待て、俺はその、女の方が好きだぞ? どうして『あいつ』が来るんだ?」

「そうね。どこかで情報が混乱したんじゃない? 例えば、周一郎の側にあなたが常にいることから、二人がそう言う仲だと」

「おっ、お由宇…」

 ぞっとして唸る。

「悪いが、そう言う話は止めてくれ。何かこう、背筋が寒い」

 色々と、まあ色々と面倒な状況があったのだし。

「はいはい」

 お由宇はくすりと笑った。

「でも、私は別のことが気になるわね」

「え?」

「『なぜ』セイヤがあなたに近づいたのか。それに……なぜ周一郎がそれを『黙認』しているのか」

「黙認?」

 首を傾げる。

「あいつがセイヤのことを知っているようには思えなかったがなあ」

 2日前のことを思い出す。


 セイヤが迫って来るのにドアの外へ退避したものの、眠くはなって来るし冷え込んで来るしで困ってしまった。セイヤは諦めてしまったのか、部屋の中ではこそとも動く気配がない。

(仕方ない)

 そうっと立ち上がって廊下を忍び歩きで進み、2階へ上がる。うまく行けば、周一郎がまだ起きているだろうし、部屋の椅子でも借りて寝ることにしよう。

 コン……コン。

「はい?」

 ノック1回で返答がなければ食堂にでも行こうと考えていたが、返事があってほっとした。

「どうぞ」

「夜中に悪い」

「滝さん…」

 周一郎は、まだ書斎で明かりを煌々とつけていた。仕事中らしく、手を止めて机の向こうからちょっとびっくりしたように俺を見つめた。

「どうしたんです?」

「悪いが訳は聞かないでくれ」

 思わず頼み込んだ。そもそも説明なんてできやしない。

「とりあえず一晩椅子でも貸してくれ。……えーと、いろいろあって、部屋で眠れないんだ」

「ああ…」

 周一郎は軽く頷いてちらりと寝室の方を見やり、再び書類に目を落としながら続けた。

「じゃあ、僕のベッドでも使って下さい。ちょっと手間取りそうなので、今夜は仮眠を取るぐらいですから」

「すまん」

 謝ってから寝室との境のドアを開けて滑り込む。相変わらず片付きすぎるほど片付いた部屋は、廊下と違ってほんのりと暖かい。

「…と」

 いざ寝ようとして考え込んだ。周一郎のベッドは言わずと知れたシングルだが十分に広く、もちろん俺が寝転んだぐらいで一杯という訳ではないが、仮眠するにせよ、俺の隣で周一郎が横になれるスペースがあるとは言い難い。寝相にも自信がない。仕事が早く終われば、あいつだってぐっすりと眠りたいだろうし、そうなるとやっぱり俺が邪魔だろう。

 くるくると辺りを見回す。生憎、こちらの部屋にはベッドがわりになるような家具は置いていないようだ。

「ん? そうか」

 気づいて足元を見下ろした。ふかふかの絨毯で十分な厚みもある。いつぞやのボロボロの畳敷きに寝ることを考えれば、一晩ぐらいは平気だろう。2枚ある掛物の1枚を借りて、体に巻きつけ横になった。思った以上にふんわりとして柔らかで、うろたえ慌てて疲れ果てた俺は、そのまますぐに寝入ってしまったが、ぼんやりと夢を見たようだ。

 ドアを開けた周一郎が絨毯で寝ている俺を覗き込む。「滝さん」「ん…」「風邪を引きますよ」そう呟いて、残っていたもう1枚の掛物を俺にかけてくれる。ばか、お前の方が風邪を引くだろう、何やってるんだよほんと。そう呟いたのは口の中だけ、周一郎には聞こえない…というような。

 ところが朝起きてみると、寝相のせいであちらこちらに散らばっているものの、俺の体にはちゃんと2枚の掛物がかかっていた。周一郎はベッドに髪を乱して丸くなって眠っている。朝倉家の贅沢ベッドに慣れてしまったのか、絨毯で寝た俺が先に目覚めてしまったらしい。手足を縮めて寝息を立てている周一郎を覗き込んだが、起きもしない。珍しく側にルトもいなかった。

「ばか」

 相変わらずひねくれてるのに優しい奴だ。コン、と頭を叩いてやっても起きない。疲れてるんだろう。かけてくれた掛物を周一郎に掛け直し、俺はそっと部屋を出たのだ。


「…いや? 待てよ?」

 お由宇に話しながら、ふと部屋で眠れないと言った時に、周一郎が微かに笑っていたのを思い出した。

「ってことは、あいつ、知ってたのか?」

「恐らくはね。第一、朝倉家の情報網を動かして身元が割れない人間なんて、この世にいないわよ」

 それはそれで凄くないか。

「じゃ、じゃあ、どうして黙ってたんだ? わからないと言ってたぞ?」

「『なぜ』セイヤが近づいたのかを知るため、かもね。この際、あなたの『貞操』は別にして」

「お由宇っ!!」

「コーヒー、淹れ直してくるわね」

 喚いた俺を軽くあしらって、お由宇は台所へと立った。


 そりゃそっちはいいよな、当事者じゃないんだから。けど、実際に『貞操の危機』に晒されている俺はどうなるんだ? 黙っておとなしくお相手しろとでも言うのか?

 お由宇の家を出て朝倉家に戻りながら考える。

 冗談じゃない!

 宮田ならまだしも、俺にはそちらの傾向はない。周一郎だって、あの無茶な意地っ張りが見ていられなくなるだけだ。セイヤにしたところで、雨の中怪我をしている子どもを、それも俺にしがみついてくるのを放っておくわけにはいかないだろう。そりゃ、俺はお節介だ。誰がなんと庇おうとも、みんな、俺のお節介が招いたことには間違いない。だからと言って、趣味の範囲まで決められてたまるか。いくら女にモテないからと言って、男にモテたいわけではないんだ。

「よし」

 拳を握って立ち止まる。

 とにかく、訊いてやろう。セイヤ自身に、セイヤの目的とやらを。お由宇や周一郎がプロで、俺が素人だと言うのなら、素人なりの筋の通し方ってものがあるはずだ。その為にはこの際多少のことは、うん、『貞操』がどうなろうとそれは我慢……。………できそうには……ない、か………うん。

「嫌なものは嫌だ!」

 うん、その通りだ、嫌なものは……。

「え?」

 突然近くの路地から激しい怒声が響いてどきりとする。聞き覚えのある声、セイヤの声だ。恐る恐る路地を覗き込むと、こちらに背中を向けたセイヤと、この前の二人組の男が向かい合って立っている。

「島田の兄貴が帰って来いと言われてるんですぜ。滝があんたに興味を持たないなら仕方がないって」

「振られたんでしょう、聖耶さん。この辺で諦めちゃどうです」

 粘りつくような猫撫で声で(ルトが聞けば憤慨する表現だが)男達は説得したが、セイヤはきっぱりと首を振る。

「嫌。僕、二度と帰らない。島田さんにそう言ってよ」

「そうはいかないねえ」

 背の高い方が首を振った。

「あんたが失敗したら、滝の処分はこっちでつける。そういう約束だったじゃありませんか。その時にあんたがいちゃ、こっちが危ないでしょう」

「僕、帰らないからね! …あ」

 振り返ったセイヤの視線が俺を捉えた。

「ほうら、飛んで火に入る夏の虫ってね」

「だめだって!」「わ!」

 男が言いながら、ごくごく無造作に拳銃を抜いて構えるのと、俺が竦む、セイヤが間に立ち塞がるのが同時だった。

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