2.報告書 I (2)
「これを……滝様と坊っちゃまのお食事です」
「あ、うん、ありがとう」
俺はみっしりと載せられた2人分の夕食の盆をなんとか受け取った。食堂を出ようとすると、高野が物思わしげに引き止め、遠慮がちに口を開いた。
「あまり…坊っちゃまをお叱りにならないで下さい」
「俺が?」
「それでなくとも、ここ数日、あまりお休みになっていなかったのですし」
「寝てない? また仕事か?」
「いえ…多少関わりはございますが」
高野は言うか言うまいか悩んでいた様子だったが、意を決したように顔を上げた。
「実は数日前、朝倉家に、あなたが狙われていると言う情報が入りました。ちょうど、あの、滝様がコーヒーを浴びられ辞書で殴られ…」
「その先は知ってるからいい」
俺は慌てて遮った。この高野と言う奴は、坊っちゃま可愛さのため、時々第三者に対する配慮や思いやりをなくす癖がある。俺の制止に我に返ったように、こほん、と咳払いをして、高野は先を続けた。
「…の日だったと思いますが」
「ふうん」
ほうら出た。
思わず胸の中で舌打ちする。そういやあの日、食堂に入った時、どうも雰囲気がおかしいと思ったっけ。
「あれから坊っちゃまはずっとご心配なさっておいでで……何とかもっと確実な情報をと手配りを続けておられました。未だ十分な情報が掴めておりませんが…」
「…ったく。『当事者』に一言も知らせないで!」
「ご卒業のレポートがお有りでしょう? 今年こそと仰られてましたし。他のことで煩わせたくないと坊っちゃまもお考えで………申し訳ありません」
「いや…まあその、高野が謝ってくれても、だな。……バカなのはあいつなんだから」
本当になんて奴だ。いくら俺が素人だからと言って、守ってくれるのは確かに嬉しいが……そりゃ、レポートのこともあったし、知らない方が良かっただろうが……にしても、なんつー阿呆だ!!
「それに」
「それに? まだあるのか?」
「セイヤ様です。坊っちゃまが他人を側に置いて休まれるご気性でないことはご存知のはずですが」
「あ…」
高野の恨めしげな声にひやりとした。そうか、そいつをすっかり忘れていた。いくらセイヤが子どもだからと言って、周一郎にしてみりゃ気を許せない相手には違いない。
「悪かった。気をつけるようにするよ」
「よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げる高野を背中に廊下を進み、自室の部屋の扉を足で開けた。物音にベッドに横になっていた周一郎が、びくりと体を起こす。
「ああ、寝てろ」
「…はい」
のろのろと体を倒す周一郎の前で、再び足で扉を閉め、テーブルに盆を置く。
「食べるか?」
「…」
周一郎は無言で首を横に振った。
「じゃ、もう少し後にするか」
「滝さんは…食べて下さい」
「後で一緒に食うよ。レポートまとめをしなきゃならん」
あえて俺が狙われていると聞いたことには触れなかった。言えば、周一郎が眠るわけがないのはわかっている。
「滝さん…」
しばらくして、バサバサとレポート用紙をめくる俺に、周一郎が話しかけてきた。
「んー?」
「…どうして……出て行こうと思ったんですか」
素直な声音だった。枕に左頬を埋め、俺のベッドで横になっている周一郎は、お気に入りの場所で体を長くして眠っている猫よろしく、ひどく寛いで見えた。
「ま…いろいろ……な。元気になったら話すよ」
「……僕が…」
「え?」
「いえ…」
周一郎は煙るような色を浮かべて俺を見つめた。と、唐突にくすっと笑って目を閉じた。
「? 何だ?」
珍しい。
「……僕は……まだ…子どもなんだな、と思って。……それとも…」
ふわぁ、と眠そうに欠伸をする。手足を引き寄せ、枕にくったりと頭を預け、半分眠りかけの、ぼんやりした淡い声で呟く。
「…それとも…ただ……あなたの……」
少し待ったが続かない。
「俺の、何だって?」
顔を上げる。
周一郎は既に寝息を立て始めている。それでも、ようよう、唇が動いて、最後の台詞を紡いだ。
「せ…い…なの……か…な…」
「俺のせい?」
俺のせい? 何が? どういうことが俺のせいだって? 周一郎が子どもだということが? だとしても、俺に何の関わりがある?
「あのな、周一郎」
混乱してくる頭を持て余し、とっくに熟睡して柔らかな吐息を重ねている相手にぼやく。
「いい加減、その謎かけの癖、やめてくれる気はないか?」