7.指令書 I (Information)(2)
「…そう。で、セイヤは?」
「今、病院にいるよ」
5日後、俺はお由宇の例の居間で、熱いコーヒーを啜っていた。
レポートの方も、周一郎とお由宇の協力で何とか形になったし、セイヤはもう少しすれば退院できるということだったし、俺はすこぶる機嫌が良かった。
「もう少しで、薬が抜けるってさ」
「そう。良かったわね……梅崎達にとっても」
「は?」
「だってね、志郎」
くすりとお由宇は笑った。
「セイヤがもし廃人にでもなってたら、あなた、あそこで大人しくしてた?」
「たぶん…してた……かな?」
ぐったりしたセイヤの白い腕、泣きじゃくってしがみついてきた細い体、縋るように見ていた瞳が思い浮かぶ。放っとけなかった、痛々しくて。もし、あいつが廃人になっていたら……ふむ、阿呆な俺は今頃あいつらに食ってかかって、見事に大型ゴミ化、だな、うん。
「でしょ? 本当にお人好しなんだから。無条件であの子のために怒り狂ってるでしょ?」
「………」
「で、行き着く先は海底かドブ川ってところ」
あ…あのな……。
「わかってるって」
「わかってないわよ」
「わかってる!」
「そう? じゃ、あなたがいない間、周一郎がどんなに焦っていたかも?」
「へ?」
「あなたを攫ったことで、周一郎がどれほどの代償を払わせたか、知ってる?」
「いや…」
「潰した会社3つ、合併したのが2つ、吸収したのが現在までで5つ。これって、かなり桁はずれなやり方よ?」
「…」
いやそもそも、会社ってそんなに簡単に潰れたり吸収されたりするものなのか? しかも、そんなこと周一郎は一言も言わなかったぞ!
「あなたを『生かして』いたからこそ、周一郎も『手加減』して本社まで手を出さなかったんでしょうけど、これであなたが死にでもしていたら、どうなってたかしらね。本社が潰れた『ぐらい』で済んだかしらね」
お由宇は楽しそうだった。本社を潰すのだって、ずいぶんなことだと思うが、それより上があるのだろうか。俺が腑に落ちない表情をしていたのだろう、お由宇はくすくす笑った。
「本当に、周一郎もあなたには甘いんだから……昔からは考えられないわね」
その『昔』と言う奴に、恐らくはお由宇も相当派手なことをしていたらしいことは、セイヤの話から想像はつく。けれど、俺は不思議とそれについて尋ねようとは思わなかった。
「セイヤの見舞いもいいけれど、周一郎の側にも居てお上げなさい、志郎」
お由宇は聖母じみた微笑を浮かべた。
「周一郎は、ここ数日、疲れ切っているはずだから」
昼間は忙しいだろうと、夜遅めに周一郎の部屋を尋ねた。
「はい?」
ノックの音に、部屋の中からすぐに周一郎の返答があった。
「どうぞ……滝さん」
「悪い、仕事中だったのか?」
「いえ」
周一郎はソファから体を起こして首を振った。
「ちょうど一休みしていたところです」
「…らしいな」
テーブルに並んだボトルとグラスを見る。珍しい。
「飲んでたのか?」
「…」
周一郎は複雑な表情になり、少し肩を竦めて見せた。グラスの中には溶けた氷と琥珀色の液体が入っている。
「セイヤの方はどうでした?」
「ああ。おかげさまで、あと少しで退院できそうだ。退院したら、何かバイトを探してみると言っている……そっちの口も見つけてくれたんだってな、周一郎」
隣に腰を下ろした俺を、周一郎は横目で見やり、低い声で応じた。
「滝さんにお礼を言われる筋合いはありません」
「そりゃそうだが…セイヤも退院したら挨拶に来るって言ってたぜ」
「挨拶など不要です………僕が勝手にしたことなんだから」
「周一郎?」
なぜか相手の声がひどく沈み込んでいる気がして、覗き込んだ。
「どうした?」
「…僕のせいだと言ったら……どうします?」
「え?」
「セイヤがあんな目に合うかも知れないってことぐらい、僕がわからなかったはずはない………そう思わなかったんですか?」
じっとグラスの氷を見つめる周一郎の横顔を凝視した。
「僕はそれを知っていながら、セイヤからガードを外していた」
「……そう、自分を責めるなよ」
ぽん、と周一郎の頭を叩く。
「仕方ない時もあるさ。それに、ちゃんとセイヤは助かったんだし…」
「……僕は、羨ましかったんだ」
するりとその手を外して、周一郎は俯いた。
「僕は何も出来ない……キャッチボールもしたことないし、あなたについて大学に行くことも出来ない」
「周一郎…」
「志郎兄さんって……呼びたかったのはセイヤじゃない…………僕なんだ」
無意識なのだろう、周一郎は膝を引き上げ抱えて丸くなった。いつもの周一郎らしくない振る舞いに呆気にとられて、周一郎とテーブルの上のボトルを交互に見つめ、気づく。ボトルは半分以上空になっている。氷の溶け具合から見て、かなり長い間、時間が経っているに違いない。
周一郎は、ひょっとして。
「…じゃあ、呼べばいいじゃないか、志郎兄さんって」
ニヤついて来る口元を引き締めながら言う。疲れた上に、この状況、夢だと思っているのかも知れない。
そう言えば、セイヤとキャッチボールをしている間、外でなくても読めた本を、周一郎は俺達が見えるところで読んでいた。からかうような『志郎兄さん』と言う呼びかけも、こいつにしてみれば、精一杯の甘えだったのかも知れない。
「でも……そう呼ぶと……滝さんは完全に僕の身内になって……今回みたいなことが、きっと何度も起こるでしょう……?」
ぶるっと周一郎は小さく体を震わせ、ますます深く膝を抱え込んだ。
「そんなことは嫌だ」
低い呟きが殺気を帯びる。
「そんなことになるぐらいなら、僕がいなくなった方がいい」
「周一郎…」
相手の声の切なげな響きに、思わずもう一度、周一郎の頭を拳で軽くどつく。
「俺もバカだが、お前もかなりバカだな」
ぼんやりした動きで周一郎が俺を見上げる。
「……?」
「俺が危険な目にあうのが嫌なんだろう?」
「うん…」
「同じぐらい、俺もお前が危険な目に合うのが嫌だってことが、わからないのか?」
「……え?」
周一郎は瞬きして目を凝らした。
「あれ……滝さん…?」
「ああ」
「どうしてここに……?」
ははっ、完全に飛んでるな。
「…ここは夢の中でな、お前は好きなことを喋っていいんだ」
現実だとまた、周一郎は気持ちを封じるだろう。言いたいことも飲み込むだろう。
「安心していいぞ」
「…ほんと…?」
これまた邪気なく、周一郎が問い直す。その目がひどく真っ直ぐで、思わず本気で頷いた。
「もちろんだ」
「じゃあ、僕……一度言いたかったことがあるんだ……」
ぼんやり眠たげに、けれどもこの上なく嬉しそうに、周一郎が笑った。膝を伸ばし、こちらにもたれかかって目を閉じながら、
「肩を……貸して下さい……滝さん……」
後は優しい、気持ち良さそうな寝息だけが続いた。




