6.報告書 III (1)
「お前達は、こいつらを見張ってろ!」
言い捨てて慌ただしく、梅崎と草木が部屋を出て行く。
「部屋から出すなよ!」
島田も2人の後を追い、ドアのところで立ち止まってセイヤを振り返った。
「大人しくしてろよ、セイヤ」
「…」
セイヤは答えず、物憂げに頬の涙を拭っただけ、島田の方を見ようともしない。島田は忌々しげに舌を鳴らしたが、そのままドアから姿を消した。すうっと、ごつい体格の割りには軽やかな動きで、大男の1人が移動し、ドアを背に立つ。
俺はと言えば、何がどうなったのかわからないまま、ぽかんと口を開けてそれらを見送った。
「一体…どうなってるんだ…?」
「…聞いた通りだよ」
今の今まで泣きじゃくっていたセイヤがむくりと体を起こし、長椅子から滑り降りた。肩の辺りに巻き付いていたシーツを下に落とす。
「わ」
幸い、下のジーパンはちゃんと身につけていた。そのまましっかりとした足取りで長椅子から離れる。阻止するように、ドアの見張り番が唸り、もう1人の男が手を伸ばす、と、
「阿王! 仁王!」
セイヤが全くらしくない鋭い声で叫んで、2人を見据えた。
「僕の邪魔をする気なら、二度と相手にしないよ」
「う」「ぐ…」
息を詰まらせたように動きを止める2人の巨漢を、ちらりと冷たい目で眺め、セイヤは俺に近づいてきた。
「お…おい」
俺は我に返って、さらっと髪を払ったセイヤに呼びかけた。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫。薬の一本や二本、効かないよ。島田さんのところに落ち着くまでは、もっと酷いことだってあったんだもの」
セイヤは俺の前で立ち止まり、くすっ、と小さく笑った。今まで見たことのない大人びた妖しい笑みで、茫然とする俺をいいことに、ひょいと俺の膝の上に腰掛ける。ゆっくりと足を組んで横座りになり、俺の胸に身を凭せかけた。
「こ、こら、何してるんだ!」
「何って?」
「んなろ、人が動けないのを知ってて」
「ふふっ」
セイヤは含み笑いをして、俺の胸に身を委ねたまま上目遣いに見上げてきた。
「そりゃあね、惚れた相手だもの、拒まれないなら、こうしていたい」
「あっあっ…あのなっ!!」
周囲にいきなり湧き上がった紫のハートマークを、意識の手で片っ端からはたき落とす。
「言ってるだろーが! 俺は違うっ! その嗜好はないっ!」
「周一郎さんは?」
「誤解だと言ってるだろ! 天地神明に誓って、俺は女の方がいいのっ!」
「でも、周一郎さんに優しいじゃない」
セイヤは僅かに目を伏せた。
「倒れた時もずっと付き添ってたよね、志郎兄さん。羨ましくて……妬ましかった…」
「セイ………へ?」
するりとセイヤの手が俺の体に回され、しがみついてくるような姿勢になった。顔を上げて首を伸ばし、俺の首の付け根辺りに頭をもたせかけて体をすり寄せる。思わず喚こうとした俺は、セイヤの指先が妙な動き方をするのに気づいて、声を堪えた。俺の手首を包むように絡みついて撫でてくるふりをしながら、セイヤの指先がロープの結び目を少しずつ解していく。解しながら、会話を続ける。
「ね…志郎兄さん、梅崎コンツェルン……って知ってる?」
「え?」
「聖耶様…」
「黙ってろって言わなかった、仁王?!」
ドアの前に立っていた大男の声をセイヤはぴしりと遮った。唸って、仁王と呼ばれた男が再び黙り込む。
「ねえ?」
「いや…」
どうやらセイヤは俺を逃がしてくれるつもりらしいとわかって、話を合わせることにした。実際のところ、今何が起こっているのかわからなかったし、謎解きをしてもらえるのはありがたい。
「梅崎コンツェルンっていうのはね、昔から朝倉財閥と張り合ってきた企業なんだって。なぜだか、開拓する市場市場に朝倉家の手が伸びてきててね、最近じゃドイツの交易に食い込もうとしたんだけど、あそこも朝倉支配下の海部運輸がいるでしょう?」
セイヤは話しながら指を動かし続けた。どうも普通の結び方ではないらしく、何度か締め上げられて思わずびくりと体が震える。それを敏感に察しては、セイヤは解き方を工夫しているようだった。
「それでも何とか、真口運輸っていうのをドイツへ食い込ませたんだけど、それも駄目だったみたいだね」
「んじゃ何か、その、つまりは朝倉財閥に対抗しようっていうんで…」
「そう…志郎兄さんに目をつけた」
セイヤはふ、と息をついて、俺の首に額を押し付け、少し休んだ。
「こっちに流れた志郎兄さんの情報ってね、凄かった」
掠れた声で呟いて、セイヤは再びロープを解きにかかった。身をくねらせて、ますますしっかりと俺に身を寄せる。部屋にいる2人の大男が、それをどのように考えているのか、険しくなるばかりの表情が雄弁に語る。彼らにとって、その命令を聞かずには折れない大切なセイヤが、のほほんとした、どこと言って取り柄のなさそーな冴えない男に迫っている、というところだろう……ったく、冗談じゃない。
「朝倉財閥の陰にいる若き天才実業家、正体不明の頭脳。朝倉周一郎が自分の身と引き換えにしてもいいと思ってるほど惚れ込んでいる相手で、滝志郎の方も周一郎しか相手にしない。配下に女情報屋や裏社会に通じる美術商ほか、名うてのプロを従えて、この間なんか対抗組織に攫われた周一郎を、執事を伴ったのみで単身スペインに乗り込み、見事に奪還した男…」
ほほー、誰だ、その人間離れした奴は。
「…よくもまあ、そこまで美化できるもんだ」
溜息が出る。そんなことができるなら、とっくの昔に一財産作って悠々暮らしている。
「それに……その女情報屋、佐野さん…って言うんでしょ?」
「お由宇?」
「…あの人も凄い人なんだね。僕、ちらっとしか聞かなかったけれど、香港じゃあの人の名前を出さなきゃ渡らない情報もあるって。超一流の情報屋だって聞いた……ここのところは静かだけど」
「は…あ…?」
あのお由宇が? そりゃ俺は、お由宇の過去という奴には全くお目にかかったことはないが……警察関係の叔父がいるんだぞ? なのに?
「知らなかったの?」
「ああ」
「ふうん……不思議な人なんだね、志郎兄さん……」
疲れたのだろう、再び身を凭れさせて休む。
「さっきだって…梅崎さんの質問に……すらすら答えちゃうし……あんなつまらない会話で、あれだけの事を言うなんて…本当に切れ者なんだ」
あ、あのなー。
「お前、あの時、ぐたっとしてたんじゃないのか?」
「あれ、お芝居だよ」
くすっとセイヤは笑った。
「島田さんがそうしろって言ったからね。志郎兄さん、そういうのに弱いっていうのもわかってたから。…でも…」
セイヤは俺の胸に頭を凭れさせたまま、少し目を上げた。
「志郎兄さん…僕のこと心配してくれたでしょ、本気で………嬉しかった……だから……僕…さ…」
「セイ…?!」
ぐら、とセイヤの身体がずり落ちかけてぎょっとした。いつの間にか、俺の手首にかかっている指からも力がなくなり、小刻みに震え続けるセイヤの体は妙に冷たかった。
「おい?!」
「ごめ…んね……もう…少し……保つと……思ってたんだけど……薬が……切れ…」
「おい! お前、芝居なんて、嘘だな?!」
突然閃いた考えに喚く。
「本当に島田に」
「言わ…ないでよ……言っちゃ……やだ…」
はあっ、とセイヤは息を吐き、体を震わせた。




