05 あの時
デュークに恋をした理由は私が持つ姫という身分に、とてもありがちなきっかけだったのかもしれない。
お兄様たち三人全員が王立のアカデミーへと通われている間、彼らにいつも遊んで貰っていた末妹の私は、とても暇で退屈だった。
姫は警備上の問題があって、アカデミーに通えないというのも面白くなかった。
そんな退屈な日々に飽き飽きしてしまった頃に、どうしても王都へのお忍びに行きたいと我儘を言って希望したのだ。
王族の癖にヤンチャなお兄様たちが、その当時の私よりもっともっと幼い頃から、王都へお忍びを繰り返していたことを私は知っていたので、それを盾にとった。
「お兄様たちが良いと言われていたのに、妹の私がダメと却下されてしまうのは絶対に納得出来ないわ。もし、納得出来る理由があるのなら、それを説明しなさい」
十分な護衛を連れているならば、安全面は理由にならない。
そして、私に対しとても甘いお父様の口添えもあり、ほんの短時間の予定と言えど、王都へお忍びで遊びに行くことに私は成功したのだった。
王都の一番人で賑わう大通りに辿り着き、幼い私が一番にしたことと言えば、いきなり走り出して傍近くに居た護衛を撒くことだった。
一人で街を歩くのが目的だったので人の多い方多い方へと走り回り、気がつけば運動など慣れている訳もない私は、荒い息をつき薄暗い裏通りに立っていた。
当時はまだ幼くて私の身を守るためとは言え、人がいつも取り巻いている状況が本当に嫌だったのだ。
けれど成人になってしまった今では、その時にどれだけ無謀なことを仕出かしてしまったかが良くわかる。
どれだけ、危険なことだったのかも。
だけど、いつも人目に晒される堅苦しい城を出て、ただ一人の人間になれた私は、本当の意味での自由をこの時に初めて感じたのだ。
見るからに身なりも育ちも良さそうな女の子が、そんな怪しげな場所に居て悪い連中に絡まれないはずもない。
あっという間に大勢のガラの悪い男の人に周囲を囲まれて、何処に売ろうかと品定めされている時、怯えた私の耳にはのんびりとした余裕ある低い声がした。
「……職務上、違法行為を目の前にして見逃す訳にはいかないんでね。俺が偶然通りかかった自分たちの運の悪さを、どうぞ呪ってくれ」
私の周囲を高い壁のように囲っていた男性たちが全員バタバタと音をたてて倒れたのは、黒い影が舞ったと思った、その一瞬の後だった。
「あっ……ありがとうっ……ございます」
もしかしたら、この後に自分はとんでもないことになってしまうのではという強い緊張感でカラカラに乾いていた口から、ようやく出て来たのはそんな言葉だった。
その時は多分入団したばかりの新米騎士だったデュークは、無言で私の手を掴んで歩き出すと、明るい陽光が差す大通りに出てから私に説教を始めた。
「あのさ。あんた……見るからに王都育ちでもなく余所者っぽいけど、あんな路地に一人で行くなんて本当にあり得ない。若い女の子がああいった連中に攫われて、どんな目に遭うか。あんたは、知っている訳ないよな……知っていたら、絶対に、泣き叫んでいるはずだ。良いか。二度と、あんな場所に入るな。俺があそこに居たのは、任務の途中で本当に、ただの偶然の奇跡だから」
彼が淡々と言う、言葉の通りだ。
彼が居なかったら、私はきっと心を殺されるような目に遭って死んでいた。ぽろぽろとこぼれ落ちる涙に驚いたのか、デュークは私の肩を叩いた。
「おいおい……ごめん。言い過ぎた。きっと、怖かったんだろう。泣くな。せっかく運良く、こうして助かったんだ。家は何処だ? 送ってやるよ」
そう言って彼は目深に被っていたフードを外し、心配した様子の彼の顔が、間近に近づいた。
私は素晴らしく整ったその顔を見て、ついつい心からの希望をこの時、口に出してしまった。
「え……結婚してください」
「は?」
泣いていたから慰めようとしてくれていたデュークは思っても見なかった私の言葉に驚いたのか、暫しぽかんとしていた。
実は自慢ではないけど、いかにも王子様という美麗な容姿を持つ兄三人に囲まれて育ち、異性の容姿に関しては致命的なほどに目が肥えてしまっているという自覚がある。
けど、今この目の前に映る男性は、私が理想としている野生的かつ美形という容姿を持ち、もうどうにも言い尽くせないほどに、とにかく素敵だった。
少し癖のある黒髪の上にある獣耳は、彼が何かの獣人だという証だ。
地方に多く住んでいる獣人は、この王都に住む数はあまり多くない。
獣人たちはやはり獣の本能がそうさせるのか、群れを為して自然に近い場所に好んで居住することが多いからだ。
王都生まれで城から出ることのなかった私には、あまり馴染みのない珍しい獣人だというのに、こうやって近くで見ても、全く嫌な気持ちなどはしなかった。
むしろ、生涯添い遂げたい。
「お願いします。私と結婚してください。一目惚れしました」
「え。いや、あのさ。あんたは俺のこと、何も知らないのに。それは、流石に無理じゃない。それに、どう考えてもまだ結婚は出来る年齢じゃないよね? もっと大人になってから……もう一度言いに来て貰って、良い?」
「え。もしかして、私が大人になったら……結婚しても、良いの?」
引き下がる気がない本気の私の言葉を聞いて、デュークは口を手で押さえて顔を赤くした。
「……その気持ちが結婚出来るくらいの歳になっても変わらなければ、俺は別に……考えても良いっすよ」
「じゃあ、約束ね! 貴方の名前を教えて。私、絶対に会いに行くから」
「俺はデューク・ナッシュ。王都騎士団所属の、騎士。城門で俺の名前を言ってくれれば、連絡は通じる。あの、これ……もしかして……襲われてた時からの、なんか良く出来た詐欺じゃないよね?」
そうして、私が意気揚々と自分の名前を名乗ろうとした時、困った顔で頭を掻いた彼の背後から、慌ててやって来た護衛に抱かれ、私はあっという間に連れて行かれることになった。
驚いていたデュークは咄嗟に護衛の名前を呼んだ安心で弾んでいた私の声に、彼が知り合いだと理解したのだと思う。
必死の形相をした護衛騎士に抱き抱えられて去っていく私の「デューク! 絶対に会いに行くから、待っててね!」に、苦笑しつつ手を振ってくれていた。