31 怒り(side Reinhard)
「ダムギュア側は、なんと言って居るんだ」
「……王太子の名を騙った獣人の生態を研究している団体の、単独犯であると」
アリエルの護衛からの定期連絡が途絶えた、その日。
偶然、王都にて所用で訪れていたプリスコット辺境伯の跡取りニクスは、即ユンカナン国王勅令の下、ダムギュア王国へと派遣された。
それは、国王よりの使者であれば、それなりの身分である必要があり、彼であれば簡単に殺されないからだ。
その身の持つ身分から、そして、生まれ持った非常に優れた身体能力から。ちょうど良く近くに居て、本当に助かった。
「そうなのか。たまには彼らも面白いことを言うな……」
「いかが致しましょうか」
ニクスは口数が少なく無表情ではあるものの、有能で忠誠心が高く、目の前に居る僕の気持ちを良く理解している。
王女である妹をそうとわかりつつ誘拐した挙げ句、その目的は彼女のお気に入りの獣人騎士団長であったらしい。
だが、あちらの言い分では、アリエルが王女であることは知らなかった。
だから、ユンカナン王国への敵意などは一切なかった。そして、王太子は一切関与しておらず、その男を狙う獣人の研究をしている妙な団体が勝手に仕出かしたことだと。
僕の派遣した配下が聞き取りをした、妹姫アリエルの証言とは大きく違うようだ。
もし、これが不慮の事故で王女を誘拐したという言い訳だとするならば下の下だろう。幼い子どもでも、もう少しましな理由を思いつきそうなものだが。
だから、跪き待っているニクスは、わかっているのだ。僕がこれから言う言葉を。
「滅ぼさない程度に、遊んでやれば良い。僕を怒らせるとどういうことになるのか。その身をもって知れとな」
ニクスは黙ったままで、礼をして去って行った。彼に指令を下したので、彼が司令官となり、この任務を遂行する事になる。
ニクスは有能だ。僕の言葉を完遂するだろう。
アリエルも、もうすぐ帰るだろう。あの子も結婚したいと言い出すだろうし、僕もそろそろ適当な婚約者を見繕わなければならない。
それにしても、前婚約者は最悪だった。
まだ成人していないアリエルを心配している僕を非難し、自分だけを見て欲しいと言い出したのだ。ただ親に結婚を決められていただけの女に婚約しているというだけの理由で、何故僕が従わなければならないのだろうか。
それは聞けないと言い出せば泣き出し、気に入らないなら婚約を解消しても良いと言っても泣かれた。
こんな僕と結婚することが嫌ならば、辞退すれば良いのだ。彼女の代わりならばいくらでも居る。
だから、僕も何度も言った。気に入らないなら、婚約者をそちらから辞めてくれれば良いのだと。
彼女は婚約しているのだから、自分を愛することは当然だと言い放ったのだ。
うんざりだった。
極めつけは、何の罪もないアリエルに対し、嫌がらせをしていると聞いた時だ。
幸いアリエルは何も知らず気がつかず、傍に付いて居る侍女がすべて対応したそうだが、何度か注意してもそれは収まらなかった。
妹は僕の唯一と言える宝物だ。母が亡くなってからは、僕がこの子を守らねばと思い、彼女は僕の理想の女の子として育った。
言い過ぎでもなんでもなく、アリエル以上に大事なものは、この世界に存在しない。
そのことも、説明した。出来れば、円満に解決すべきだと思ったからだ。彼女とて親からの命令で僕と結婚せねばならない貴族令嬢だった。
王妃となる道を断るにも多くを捨てねばならないこと、だが、王となる僕と結婚するのならば、ある程度の事は我慢すべきだということ。
穏便に解決したく何度も話し合いの場を設けたが、それはすべて無駄に終わった。
だから、僕は酒の席で、ついうっかりと口を滑らせた。あれと将来結婚せねばらなないなど、本当に憂鬱だと。
その三ヶ月後、小旅行中の彼女の事故死を聞いた時も、何の感情も湧かなかった。
婚約者として悲しむべきだったのかもしれないが、それまでの彼女は、あまりにも僕の嫌がることをしていた。誰かの死は喜ぶことでもないので、それはしなかった。
だから、何も思わなかった。ああ、亡くなったのかと静かに受け止めただけだ。
◇◆◇
「お兄様! ただいま!」
「おかえり。アリエル。大変だったようだね。何処にも、怪我はないか?」
帰って来た途端に僕の腕に飛び込んで来た妹は、変わった様子は見つからない。庶民としてお忍びで旅をしたので、白い肌が灼けてしまったくらいだろうか。侍女に言って良く手入れするように言わねば。
「ええ。お兄様のおかげで、何もなかったわ。けど、私の護衛からの定期連絡が途絶えてから、すぐにあんな人数を送り込むなんて……驚いたわ。戦争を起こすつもりなの?」
「……王家の者が行方不明になれば、それも仕方ないことだとわかっているだろう? 状況がわからないから、お前の身を盾に何を言い出すか、わからなかったんだ。僕らが守るべき国民の不利益を招くことになる。アリエルだって、それは嫌だろう?」
「そうね……それは、そうだけど」
アリエルは自分の立場を理解している。自分の身ひとつでどれだけ価値があるのか、それを言い聞かせてきたのは、他でもない僕だからだ。
「……ああ。ナッシュ卿、今回の旅は大変だったようだ。君も無事で良かったよ。報告はすべて聞いている。君が居るからと妹を任せたのは、どうやら正解だったようだ」
妹の後ろに居た彼は、笑顔の僕の言葉を聞いて顔を引き攣らせた。少々嫌味な言い方になってしまうのも仕方ない。
定期連絡が途絶え、妹の無事の連絡を聞くまで、生きた心地がしなかったのだ。
妹は将来結婚を望む男でなければ、何もなくでは終わらせられなかった。
「不甲斐なく、アリエル様に危険を近づけてしまい、申し訳ありませんでした」
「お兄様! デュークのせいではないわ……私がいけないのよ。報告を聞いたでしょう? デュークは不在にする時に部屋から離れるなと言ったのに、私は……ルイ様なら大丈夫だろうとそう思ってしまったの。だから、デュークのせいではないわ……」
必死に彼を庇う妹に、僕は大きくため息をついた。
なるほど。部屋を不在にするが、自分が居ない間はここを離れてはいけないと言って出たのか。それを聞かなかった、妹が悪い。誘拐される訳だ。
それでは、ここに居る彼が警備責任者であったとしても、過失を負わせる訳にもいくまい。
妹に何かあればまた違った判断だっただろうが、何もないのだ。ここは許すしかあるまい。
運良く妹に愛された男に、僕が何かをする訳にもいかない。
妹には絶対に、嫌われたくはないからね。あの子以外には、なんと思われようと僕は別に構わないのだが。




