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28 香炉

 遠距離を呼び出されることになったデュークご指名の仕事については、なんだか拍子抜けしてしまうくらいに簡単に済んでしまった。


 合同演習のための打ち合わせ、ダムギュア王国軍の演習の見学。ユンカナン王国との演習場所は既に決定しているらしく、多くの人員をどのように移動するかをデュークに相談したりもしていた。


 そして、デュークは怠惰な性格の癖に豊富な地理的知識を持っていて、聞かれたことについて根拠を示し自分の意見まで交えて提案までしていたから、仕事が出来る男であることも証明してしまった。


 しかも、ここ三日間スケジュールをこなしている間ずっと、獣人を嫌っているはずなのに、賓客扱いされて、彼の隣に居るだけの私の方が戸惑ってしまうくらいだった。


「アリエル。俺は将軍に挨拶をしてくるよ。この部屋から動かないでくれ」


 いよいよ私たちは明日ユンカナン王国へ帰るという段になって、早々に荷造りを済ませたデュークは今日のうちに将軍への挨拶を済ませておくらしい。


 身体が大きくいかにも軍人といった様子のダムギュア王国軍将軍は、私も一度ご挨拶させて頂いたけど、淡々と仕事の話だけに終始していて、愛想は良くなかったけど、獣人のデュークに対する嫌悪感を態度に出すこともなかった。


 私もデュークの婚約者という名目で用意して貰った部屋の中で、自分の荷物を纏めていた。


 すると、扉が叩かれたので、使用人の格好に変装していた室内に居た護衛がどうするかと目配せを送ってきた。


 とは言え、ここは異国で私たちは間借りさせていただいている立場だ。ここで出ない訳にもいかないだろうと、私は頷いた。


「っ……あの」


「しーっ……! 大丈夫です。アリエル様。私は貴女がアリエル様であることを知っています」


 私は驚いて思わず言葉を失ってしまったんだけど、そこに居たのは以前お会いしたことのあるダムギュア王国王太子ルイ様。


 私のお兄様とは違った王子様とした彼だ。けれど、今回は私はルイ様と会うつもりもなかったし、公式の訪問でもない私に本来であれば彼が気がつくはずもなかった。


 だって、私の姿は特殊な魔法に掛けられて、別人に見えているはずだから、このまま帰れば問題ないはずで……だから、それなのに……。


「その……あのですね」


 私はとぼけた演技をするべきか迷い、そんな訳にもいかないと迷った数秒で判断し、はあっと大きくため息をついた。


「そうです。ルイ様。非公式の訪問、大変失礼しました。私はただデューク団長について来ただけで、他意はないと誓えますわ。けれど、何故私であるとわかったのですか?」


「いえいえ。謝罪には及びません。アリエル様……ここはダムギュア王城ですよ。実は幻覚が通用しない場所があるのです。僕はそちらで、通りがかったアリエル様を偶然お見かけして……」


 どうやら魔法がすべて無効化される場所があり、私はその場所では実際の姿に戻っていたということだろう。


「そうなのですね。王族の住む城ですもの。納得いたしました」


 私は頷き微笑むと、彼は胸に手を当てて礼をした。ルイ様は優しそうで温和な性格の方のようで、父である血気盛んなダムギュア王とは全く違う性質らしい。


 彼が王になればユンカナンとの友好関係も、もっと上手くいくはずだわ。


「アリエル様。明日帰られてしまうとか。晩餐をご一緒にとお誘いしたいところですが、そうなると仰々しいことになってしまいます。もし良かったら、お茶でもいかがですか?」


 私が男性であれば飲酒か喫煙を誘われたところだろうけれど、私はあまり酒類を嗜まないことをご存じのようだった。


 以前お会いした時には私に結婚を申し込みに来たとは言って居たけれど、彼ほどの人ならば結婚相手候補がそれこそ三桁もくだらないはずなので、記憶力が良いのかもしれない。


「ええ。もちろんですわ。ルイ様」


 私は彼の差し出した手を取って、背後の護衛に目配せをした。彼らは相手がルイ様ということもあって、傍付きの護衛騎士二人以外は部屋に留まるようだった。


 私たちは近くの応接間に来て、たわいもない話やお茶を楽しんだ。


 楽しんでいたけれど、瞼が重くなってきた気がすると思ったら、もうその時の私は意識を失った後だったのかもしれない。



◇◆◇



 私がパッと目を開くと、そこはまごうことなく修羅場だった。


 そこに自分が何故居るかという事を認識するまでに、少し時間を要した。


 ……私はルイ様とお茶をしていて、もしかして誘拐された? ユンカナンの王族を? もしそうすれば、戦争が起こるかも知れないというのに?


 いいえ。もし、ダムギュア王国はそもそも友好関係など、望んでいなかったとしたら? 油断させるためだけに、私を誘拐しようとしたら?


 お忍びであれば護衛は少数。デュークはいくら強いとは言え、私を人質にすれば彼が抵抗することは難しいだろう。


 という訳ね。私を手にしてしまえば。お父様とお兄様たちは攻撃を躊躇うと? 以前に一人で敵軍を壊滅させた騎士団長も殺せてしまうと?


 ああ……なんて、私は馬鹿な王族なの。ご先祖様ごめんなさい。


 起きたばかりの私の推理した内容を裏付けるようにして、苦々しい表情を浮かべたデュークは剣を剣帯ごと床に落としているし、何人かの兵士たちに囲まれていた。


「わかったっすよ。俺は抵抗しませんので、姫の安全を保証してください」


「さっさと跪け。お前はもう何も出来ないんだよ」


 そういえば、起きた時から思って居たんだけど、この部屋はなんだか変な匂いがしていた。


 ……異国のお香? あまり嗅いだことのない匂いだ。良い香りとはとても言えない。スパイシーな香りが鼻をついた。


「……なんすか。この匂い」


 デュークの様子が変だ。それは、私にもわかった。動作動作ひとつひとつが遅いし、息も荒くなってきている。


「これはな。お前ら獣人の身体を痺れさせる、特別製のお香だよ。高かったんだからな!」


 跪いたデュークは男の一人にお腹を強く蹴飛ばされて、地面に転がっていた。身動き一つしないデュークに、彼らは寄って行って暴行を加えていた。


 私はその光景を見て、悲鳴をあげることを必死で我慢した。


 だって、周囲は私が目を覚ましたことには気がついていないのだから、彼を助けられるかもしれない手段を捨ててしまうことは出来ない。


 ……このお香! お香の匂いを消せば、デュークは動けるようになるし私が彼らの手から逃れていれば、このくらいの人数、彼には簡単なものだ。


 誰も私のことなんて、見て居ない。デュークに夢中だ。何故かしら。彼に強い憎悪を抱いているように思える。


 私は手を縛っていた縄を必死で左右に振って外し、足の縄も近くにあったナイフで切った。


 そして、お香が焚かれている香炉へと近寄り、近くにあった窓を開けてそれを外へと投げた。


「おい! お前、何をする!」


「せっかくこいつを……俺の家族の仇を、捕まえたってのに、邪魔しやがって!」


「女! 寝ていると思ったら舐めた真似をしやがって! 殺してやる!」


 口々に私を罵る彼らの言い分を聞けば、私にはデュークが狙われている理由をなんとなく理解することが出来た。


 彼らはデュークの初陣に居た敵兵の家族たちで、彼らにすべて仕組まれていたのだ。


「デューク! 私は大丈夫だから、早く逃げて!」


 私は窓から飛び降りようとして、誰かに腕を掴まれた。そして、部屋の中まで引き摺り戻されて、邪魔をしたと怒って興奮した誰かが投げたナイフが足を切って赤い血が散った。


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