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26 旅

「まあっ! 見て見て、デューク。あれって、何をしているの?」


 初めて馬車の御者台に乗った私は、古びた食器を置いて道に座り込んでいる男性を見て、隣に座り手綱を持つデュークに聞いた。


「ひ……っアリエル。悪いけど、それって庶民は何も驚くところじゃない。ちなみに、ああいう人を見たとしても、失礼だから、まじまじ見たりしない。わかった?」


 こそこそと耳打ちするデュークに、私はこくこくと何度も頷いた。


 これは……もしかしたら、暗黙の了解で触れてはならないことだったのかもしれない。


 不思議に思ったことを普通に聞いただけだったんだけど、微妙な表情をしたデュークの意味ありげな言いように、反省した私は何度か頷いた。


 一応は、私たち二人は現在二人旅を装ってはいるものの、周囲には距離を取って護衛が取り巻いている。


 けれど、王族の私が大々的にデュークの仕事に付いて行く訳にはいかないので、もちろんこれはお忍びでの出来事。


「……何だか、変な感じ。本当に、あの時の女の子だ。しかも、ちょっと成長してるし……魔法って、芸が細かい」


 今は二人きりなので砕けた口調のデュークは私の姿を下から上までまじまじと見て、何をどう感想を言った。


 彼が言った通り、私はデュークと初めて会った時にお忍びをした時の女の子に姿を変えて貰っている。


「ふふっ。流石にあの髪の色では、町中では目立ってしまうものね」


 兄と同じで磨かれた金属のような金髪は、厚い外套でもなければ目立ってしまう。こうして髪色まで変えて貰っていると、髪色を隠すことをしなくて良いし通りを吹く爽やかな風だって感じることが出来るのだ。


 ユンカナンの王都を出て、今はダムギュア王国に続く街道へと進んでいる。


 街を抜けたとは言っても、国同士が流通に多く使う道なので、旅人や旅団も多くざわざわと話し声はやまずに賑やかで、ただ流れていく人波を見ているだけで気持ちが浮き立った。


 この前に離宮へと移動した時もそうだったけど、私のような王族が公式に外に出るとなれば、多くの護衛が取り巻く仰々しい一団を引き連れて、危険がないか細心の注意を払いゆっくりとした速度で進むことになるのだ。


 今回は、身軽な小さな馬車に、私は御者台の上。ここに座りたいと言った時には、実は少々揉めた。


 けど、私が姿を変える魔法を使っているなんて、誰も思わない。それで強引に説得したデュークの隣に座れているのだ。


 怠惰なデュークは極力無駄なことはしたくないので、ここで言い合っても負けると思えば早々に負けることを選ぶ人だった。


 だって、ユンカナンでも、数人しか変身魔法は使うことが出来ない。


 これは、とても珍しい魔法なのだ。しかも、魔法使いは倫理的に無闇に使うことを禁じられている魔法でもある。


 今回は王族の身を守るために、特別に使用したらしい。


「まあ……アリエルが人目を集めるのは特別な髪色だけって訳じゃない。けど、こうしていたら、アリエルが……馬車の御者台に乗ってはしゃいでるなんて誰も思わないだろう」


 横目であきれたように見るデュークは御者台に座っただけだと言うのに、まるで子どものように楽しんでいる私が理解出来ないらしい。


 それは確かに、デュークの言う通りなのかも。けど、こちらは生まれて初めての出来事ばかりなのだ。


 見るもの全てが物珍しくて、はしゃいでしまっても仕方ないと思う。


「それは、そうでしょうね。私の名前はこの年頃では、ありふれていると言うし。デュークが名前を呼んだって、私だとは誰も思わないわよ」


「いや、それって……誕生したばかりの新しい王族の名前にあやかって、娘の名前に付けるのって良くあることだから。アリエルって言う名前が、ユンカナンで流行った原因さん」


 デュークが揶揄うようにそう言ったので、私は何も言わずに肩を竦めた。


 それは前に聞いたこともあるけど、別にそれは私だけではなく、三人の兄の誕生時にだって、起こっていることなのだ。


 王族が特別な存在だと言われれば、確かにその通りだ。別にそうなりたいと希望して、私は生まれて来た訳でもないけど。


 けれど、これは思っていても言ってはならないことだ。


 誰かの犠牲があって恵まれているという立場を「自分は、こんなこと望んでもいなかったのに」と嘆くことが、どんな風に見られてまうのか。


 私たちは、いつも国民に支持してくれていることに礼を言い、その他の想いは口を噤むしかない。


「ダムギュア王国って、獣人があまり居ないって聞いたけど……」


 不意にそれを思い出した私は、デュークがダムギュア王国に指名して呼ばれたと聞いた時から、懸念していたことを言った。


「ああ……俺らも敢えて、あの国には近づかない。今では多少はマシになったとは言え、大昔、獣人を捕らえては虐待して楽しんでいたっていうのは……事実らしいから。だから、ユンカナン王国を創国したアリエルのご先祖様は、そういうことを見かねて、この国を創った……だろ?」


「それは、私だって歴史の授業で学んだわ。どうして、そんなことをするのかしら。わざわざ身体の特徴のみで虐待を? 理解に苦しむわ」


 ユンカナン王国では人が王族ではあるけど、建国の経緯から地方を治める貴族のほとんどは獣人なのだ。なので、人と獣人は同列として考えられて目立った差別などもない。


 けれど、ダムギュア王国では違うのだという。思わず表情を曇らせてしまった私に、デュークは苦笑した。


「……真面目で良い子のアリエルは、絶対にわからないかもしれないけど、そういった嗜虐的な一面を持つ人間は多い。虐待されるのが自分でなければ、誰でも良い。一種のショーのようなもので、眉を顰めながらも、心は楽しんでいる。そんなもんだ」


「……デューク?」


 彼がどこか遠くを見るような目になったので、私は不思議になった。


 デュークは戦闘能力の高い獅子獣人で、誰かからそんな境遇に遭わされたことなんてないだろうと私は思ってしまうからだ。


「いや。何でもない」


 デュークは慌ててさっきまでの空気を拭い去るようにして、きっぱりと言った。一瞬で踏み込んではならない壁を築かれたようで、私は慌てて話を変えた。


「あ。ねえっ! あれって、何かしら?」


 布を大きく広げて物を並べている商人を見て指を差すと、デュークはあーっと大きな息をついて苦笑した。


「……あれは、外国のお菓子を売ってる。あれ、玩具みたいに見えるけど、食べられるんだ。食べたことがあるけれど、あんまり美味しくない」


「嘘! あんなに、可愛いのに?」


 色取り取りに鮮やかな彫り物のような物は実はお菓子で食べられるとデュークが言っても、にわかには信じ難い。


 けど、出来れば食べてみたい。


 美味しくはないと言われても、好奇心が勝る。城では一流の料理人が作った料理を常に食べられるけど、これまでに食べたことのない庶民の食べ物にだってとても関心があるのだ。


「……それより、これって、完全に仕事で。遊びの旅行でもないけど?」


 デュークは完全に物見遊山な気分になってしまっている私を見て、呆れているようだ。


「けど、デュークと居られたら、私は楽しいわ」


「……それって、王族の特権濫用で、アリエルの嫌いな特権行為なんではない?」


 デュークが言わんとしていることは、理解出来る。けど、たまには良いのではないかと思ってしまうのだ。


 私だって王族として我慢していることがは、たくさんあるんだから。


「あら。それを知った国民から苦情が出るようなら、粛々と反省して改めるわ」


 もし、この旅の全ての費用を自分に与えられた予算から捻出した、婚約者となる人の仕事に付いて行きたいと押し切った私が悪いと言うのであれば、いくらでも謝罪する。


「良く言う。前にも言った理由でアリエルの国民人気は何もしなくてもマジで高いから。ちょっとしたわがままだったら、国民は何にも言わないよ」


 デュークは私について私より良く知っているようなので、それ以降は私がどんなにはしゃいでも何も言わなかった。


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