12 正反対(side Duke)
獅子は百獣の王と呼ばれ、獣の中で最強だとはされている。
だが、獅子獣人を戦闘員として扱うとするならば、いくつかの重大な問題を抱えることになるだろう。
日々、食糧を求め集団で計画的に狩りをすることが役目だった雌たちも確かに強い。だが、巷で言われているようにな最強に位置するとされているのは、獅子獣人の雄の方だ。
獅子獣人の雄は、気分にムラが有り過ぎる。
基本的な性格は、怠惰で無欲で執着なく無関心だ。と言うことは、基本的に誰かの思い通りには動かない。
指揮官の思う通りに動かないのならば、その兵は兵として機能はしていない。
国としては強い兵は欲しいは欲しいが、指示を聞かず統率を乱す獅子獣人の扱いに苦慮してしまうという事態も、これまでには多く見られたらしい。
俺はそんな中で、とても働き者だったという話の残る虎獣人の祖母さんの性格が奇跡的に遺伝した。
能力的に言えは獅子ではありながらも、獅子一族の中ではやる気のある方だった。
あまり安全な地にあるとは言えない獅子一族が住む集落を守るのは、雄が順繰りに回る当番制だった。
いつからか他から役目を押しつけられてばかりの最年少の俺が、誰も守らないので仕方ないと働けば、ほとんどの仕事を担当することになってしまった。
それを良くないと危惧した一族を取り纏める族長から『お前はもう、ここで暮らさない方が良い』と、村を追い出されてしまったのだ。
今振り返って考えてみると、あのままでは俺以外の男性陣の怠け癖は、より酷いものとなり拍車が掛かってしまったことだろう。
怠け癖がある奴が、より一層怠ければ何も出来なくなる。
族長がいざと言うときに俺一人しか戦えなくなるだろうと心配したことは、もっともだった。
村を出された俺は生きていく金銭を得るために何をするかと考え、町をフラフラとしていた。
ふと目に付いた壁に貼られた、騎士学校へ通う候補生の募集広告を見つけた。
ユンカナン王国では騎士と言えば高給を貰える職業だと有名だし、なんと言っても異性にモテると有名だ。
若い頃の関心事の殆どは、異性からの関心を集める事だ。俺は即応募することにした。
騎士学校は試験に受かり、入学するまでが難しいと言われている。
しかし、広告を読んでみれば、なんと受験料が無料だった。
運試しで受けてみるかと思ったところ、腕試しの勝ち抜き戦で優勝をしてしまった。なんと奇跡的に俺は学費免除特待生にて、迎え入れて貰えることになった。
順調に卒業し騎士となり、新人の俺の初陣は小競り合いが延々続く隣国との戦争だった。
周囲に居る危険な獣との戦闘を除けば実戦と言えるのは、それが初めてだった。新入りということもあり、同期の連中と共に後方援護に回った。
その戦いには特に作戦らしい作戦があった訳でもない。
お互いの数が数だけに長丁場になることも予想され、双方ともに様子見の開戦だ。
俺たちは現場の指揮官の命に従い、そろそろ後方へと下がろうかと機会を伺っていた。
だが、運悪く弓矢に射られた仲の良い騎士の血が空に舞ったのを見た瞬間。
—————俺はもう、自分が自分でも止められなくなった。
はっと気がつけば、俺たちが前にしていた多くの敵兵は、その数の殆どが地に伏していた。
気配を感じ振り向き背後に居た味方のはずの何人かが、俺のことを怯えた目で見ていた。
獅子の獣人が扱いづらいとされている原因のひとつを、自分が体現していることにその時俺は気がついた。
俺たち獅子獣人が真剣に戦う時は、一族や家族が脅かされている時のみ。
ということは、決死の一大事のみだ。お互いに殺すか、殺されるか。
そんな状況に力の加減などをして、戦っている場合ではない。
俺たちは大事なものを守るその時のために、存在をしているのだから。
友人の血を見て、そんな獅子の本能に従い理性が飛んだ俺は、自分自身でもそれが誰かを認識せぬままに、初戦で相手側の指揮官の首を取ってしまっていた。
ということは、指揮官を失った敵軍は、総崩れになる他道はない。
しかし、俺たちユンカナン軍も、これは誰も考えてもいなかった想定外の出来事だった。新兵一人が圧倒的な力で周囲の敵をすべて薙ぎ倒し、偶然とは言え敵の指揮官を討ち取ってしまった。
だが、我が国の王は自国に被害が少なかったことに喜び、勝利の功労者である俺に獣騎士団団長職を与えた。
皆が憧れるような立場となりそれが嬉しかったかと言えば、そうでもなかった。
自分が自分でなくなってしまう、あの時間。獣としての本能が勝り行動を制御出来なくなる己を知ってしまうことなど、あまり喜ばしいものでもない。
◇◆◇
「……団長。どこ、見てるんですか」
「窓だ」
今日は薄い青に灰色の混じる薄曇りの空だった。青々とした木の葉が、それを支える枝と共に窓の四角い枠の中にあった。
「そうですか……団長が急ぎで決裁するべき書類は、こちらです。すぐに目を向ける対象を、間違わないようにしてくださいね」
副団長の白猫獣人マティアスは、怠惰な性質を生まれつき持つ俺に小言を言う係だ。
そういった役目は彼も不本意だとは思うが『俺は獅子獣人の中では、だいぶマシな方』と言っても、獅子一族の実情を知らぬ彼には信じて貰えない。
「そういえば姫って、なんで朝にしか来ないんだろうな……」
俺に懸想していることを全く隠すつもりのない、ユンカナン国の王女アリエル様は毎日城の中でも城壁の間際に位置する執務室のある棟にまで会いに来てはくれるものの、何か彼女なりの理由があるのかそれは絶対に朝だった。
「……姫も、いろいろと忙しいんじゃないですか。あの方だって、お姫様とはいえ、毎日遊んで生活している訳でもないでしょう」
マティアスは判子を押す位置を人差し指で指示しながらも、俺が不思議に思った問いに対して答えてくれる気にはなったらしい。
「姫は可愛いのは、可愛いけど……まじ、困るわ。なんで、俺なんだろな」
我が国の末姫アリエル様は、お姫様というのはこうあるべきと誰もが思うような可憐で美しい容姿を持っている。
この国を統べる陛下にも三人の兄からも、溺愛されているというのは国民誰もが良く知る話だ。
そんな方から『好き』だの『結婚して欲しい』だの何度も何度も飽きないのかと心配するほどに言われ続けて、流石に俺も悪い気はしていない。
だが、庶民と王族という身分差というのは、超えられぬ高過ぎる壁だ。
世間知らずの彼女を大切に思うなら、自分が突き放す以外ないことは、俺だって理解はしていた。
「団長の持っている容姿の印象が、姫が生まれてから今まで一緒に居た殿下たちとは正反対だからでは? 彼らは辺りを払うような美形ではありますが線が細いので、戦うことが日常の団長のような野生的な魅力は確かにないかもしれないですね」
何枚か重ねていた書類に判子を押した順に一枚一枚抜き取りながら、マティアスは彼が予想する姫が俺を好きな理由を推理した。
「確かに、殿下たちは俺とは全く違うな……食べ慣れてないものの方が価値があるように、アリエル様には見えてしまっている……という訳か?」
急ぎの書類を片付けられて満足したのか、マティアスは判子の乾き具合を確認しつつ書類をより分けた。
「まあ、それは私が思っているだけですけどね。団長は姫ご本人には、理由を聞かれないのですか? その方が早そうですけど」
「彼女の想いには応えられないというのに、俺のことを好きな理由を聞くのか?」
質問に質問で返した俺に、マティアスは微妙な笑みを浮かべ頷いた。
「確かに……それは、団長のおっしゃる通りです。それを聞けば、自分に興味を持ったと期待させてしまうかもしれないですし。どうしても仕方のない理由で、俺たちは結ばれることはないと言ってあげるのが、振る側のせめてもの優しさですね」
「まあな……」
忘れられるなら忘れたい初戦の時から、心の内なる暴れている自分の本能を、たまに感じてしまうことがある。
獅子は怒りを感じたなら、手を付けられなくなる。その時に俺と同等の力を持つ同胞が居てくれれば、暴走を止められるかもしれない。
だが、ひとたび怒りの感情に全身が染まれば、誰かを傷つけかねない自分には、家族を持つことには向いてないのかもしれない。
そうだ。姫は人で、獣人でもない。
何かの間違いがあったとすれば……俺自身があの柔らかな小さな身体を、壊してしまうかもしれない。