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◇キサリティア編【9_12】十六歳の私は決定した人生の行く末を変えるらしい


 レンカリオが十四歳。私が十六歳。

 一生をかけてヘルブン家に仕える。

 誰にも嫁ぐことなく。

 私を生かすも殺すも、レンカリオ次第。

 それが、十六歳にして決まった私の人生。そして未来。

 レンカリオは、もういいと思ったら私を嫁がせてもいいと言っていたけれど、それがいつになるのかはわからない。

 来ないかもしれない。

 でも、仕方のないこと。

 仕方のないことなの。

 ……いや。

 そんなのはいや。

 私……私には……、思いを寄せている人がいる。

 恐れ多いけれど、相応しくないけれど、紛れもない私の本心。

 心からお慕いしているのです――マシュエ様。


「そうか。レンカリオ嬢に治癒能力のことを知られてしまった、か……」


 マシュエ様は、そのほっそりと長い指を顎に当てました。

 何気ない仕草が恐ろしいくらい絵になる美青年に、胸の高鳴りが抑えられません。


「はい、申し訳ございません」


 私は深く頭を下げた。

 ――マシュエ様は、何度目かになる婚約の申し込みにいらしていました。

 去年、面会もできずに追い返されたあの日から今日まで、折に触れてヘルブン家を訪ねておられます。

 隣領とはいえ、シシーラアボリ領からメリケオ領は、そう易々と通える距離ではありません。

 二つ領地の間は高い山脈に隔てられているので、北隣にあるイシメリ領を経由した迂回ルートを通らなければならないのです。

 そんな少なくない労力を厭わず、こうして熱心に会いに来てくださっているというのに、レンカリオは今日もマシュエ様に会おうとしない。


「……申し訳ございません、ルビアーノ様」

「仕方がないさ。レンカリオ嬢はキミの主人なのだからね。問い詰められれば、答えないわけにはいかないことくらい、僕も承知している。だからそう何度も謝る必要はないよ、キサリティア」

「それもありますが、レンカリオ様のことも……」


 口ごもる私に対し、マシュエ様は明るく笑った。


「あははっ! なんだ、そっちかい? それこそ気にすることはないよ。もうすっかり慣れてしまったからね。父上は呆れてしまって、二度目からはつき添ってくれなくなってしまったけれど、僕は諦めないよ」


 ウインクを投げかけられ、心がよろめく。

 マシュエ様が蔑ろにされる度、私には、レンカリオを咎めたい感情が湧いてくる。

 しかしその一方で、嬉しい感情が湧いているのもまた事実。

 レンカリオがマシュエ様に会わないからこそ、私はここにいる。

 マシュエ様に給仕に指名され、こうしておそばにいられる。

 うれしい。

 とてもうれしい。

 でもマシュエ様は、本当はレンカリオに会いたいと思っていらっしゃるのよね……。

 でなければ、諦めないという言葉は出てこないはずだもの。


「ルビアーノ様は、深く、レンカリオ様を思っていらっしゃるのですね……」


 羨ましい。

 私がそうであったなら、どんなに幸せだっただろう。

 淡い夢を思い描いていると、


「告白すると、そうではないんだ」


 思ってもみなかった否定の言葉が耳に届いた。


「……ぇ?」


 マシュエ様は小さく苦笑すると、真剣な面持ちを作りました。


「僕がレンカリオ嬢と婚約を望むのは、領民のためなんだ。このメリケオ領の」

「……ど、どういうこと、でしょうか……?」


 己の分もわきまえず、つい聞き返していた。

 マシュエ様は快く応じてくださった。


「キミの義妹君いもうとぎみであるレンカリオ嬢だが、お世辞にも評判がいいとは言えない。それはこのメリケオ領でも、そして我がシシーラアボリ領でもそうだ。まあ、レンカリオ嬢が、というわけではなく、ヘルブン家全体が、だけれどね」


 私はワンピーススカートの前に置いた手を、ぎゅっと握りしめた。

 主人の評判がよくないなどと認めるわけにはいかない。

 けれど、実情は知っている。耳にしている……。


「だが、彼女が若干八歳にして人をあやめたことは、僕ら侯爵家の間でも語り草になっているよ。まさに悪魔の申し子だってね」


 私は耳を疑った。

 え? な……に?

 若干八歳にして、人を殺めた……?

 それが貴族の間で語り草になっている……?

 うそよ。

 うそ。

 うそうそ。

 レンカリオが人を殺めただなんて嘘よ。

 嘘に決まっている。

 頭の中で必死に否定する私は、よほど色を失っていたのだろう。

 マシュエ様が支えるようにして私の体に寄り添った。

 ルビーのような赤い瞳と、まともに視線がぶつかり合う。

 ……どうしてかしら、目が離せない。それに、マシュエ様の瞳がいつもより煌々と輝いて見える……。


「もしかして、知らなかったのかい?」


 一瞬、なにを問われているのかわからなくなった。


「レンカリオ嬢が人を殺めたことを、キミは知らなかったんだね?」

「し、知らないもなにも……そんなことは――」


 嘘です、と続くはずの言葉は私の口からは出てこなかった。


「真実だよ」


 マシュエ様が、強い語調でそれを遮ったから。


「トゥマ卿がメリケオ領を出ていったのはそのせいだ」


 トゥマ様……。懐かしい。

 当時九歳だったトゥマ様は、ある朝突然、王都へ旅立つことになった。

 あれはそう、レンカリオが八歳の時のこと。


「彼は、お父上が村から連れ去ってきた娘を逃がしてやったんだ。そしてお父上に詰め寄った。これ以上、領民を虐げることはやめてくれとね。そこへ現れたのが、レンカリオ嬢さ」


 あの朝、急な出立に私はあくせくしていた。

 そこへトゥマ様が、人目を憚るようにして声をかけてきた。

 そして私を王都へ誘った。

 私は、レンカリオはどうするのかと訊ねた。

 トゥマ様は置いていくと答えた。

 私は重ねて、どうして置いていくのかと訊ねた。

 トゥマ様は、すっかり青ざめてこう言った。


『……言えない。言いたくもない……っ』


 あれは、そういうことだったの?

 記憶の点と点を線で結ぶように、マシュエ様が話を続ける。


「現れたレンカリオ嬢は、血にまみれていた。一方の手には血で汚れた短刀を、そしてもう一方の手には血濡れた娘の髪を持っていた。彼女は言った。所有物の立場でありながら、勝手にお父さまの離れから逃げ出した不届き者を手打ちにしました。これがその証ですわ――とね」


 それが事実ならば、間違いなく悪魔の所業と言えた。

 …………。

 人を殺めた?

 レンカリオが?

 わずか八歳にして?

 ほんとうに?

 信じられない。

 信じたくない。

 でも……

 酷く怯えるトゥマ様の様子が、言葉が、脳裏に蘇った。


『レンカリオは、アレは父上と同じ悪魔だ。アレはここに残り、領主となる。次の悪魔となる。だから置いていく。それでいいんだ!』


 レンカリオは、悪魔……?

 そう思った時、一年前のあの嫌な気配を思い出した。

 治癒の力が使えることを他言してはならないと、他言すれば私を殺すと脅迫したあの瞬間。

 レンカリオは、レンカリオであってレンカリオではなかった。

 瞳に宿っていた狂気。

 鬼気を超えた、もっとおどろおどろしく、忌まわしい雰囲気。

 恣意に、人を殺めた者の咎。

 人であって、人でない。

 人非人の証。

 つまり……

 赤く光るマシュエ様の瞳が答えを求めてくる。

 私の脳裏に、心に、答えが叫びとなって響いた――


 レ ン カ リ オ ハ 人 ヲ 殺 メ タ !

 恐 レ ロ ! 嫌 悪 セ ヨ !


 ――ゾクリと、全身を悪寒が駆け巡った。


「ひっ!」


 体が、心が、レンカリオを拒絶し、叫びとなって迸る。


「いや……いやぁっ……いやあああああああっ――!」


 レンカリオとの日々が、思い出が、赤黒くけがれていく。


『やくそくよ! キサねえさま!』


 一番大切な思い出も。


『お可哀相に。字も読めないなんて。ふふっ。あんまりみじめでお可哀相だから、わたしが教えてさしあげましょうかぁ?』


 字の読み書きを教わった時のことも。


『はっ、どうだか! ええ、ええ! そうですわよね! キサ義姉さまのその美貌を持ってすれば、殿方の五人や十人くらい簡単に唆せますわよねぇ! ――いやらしい!』


 軽蔑されてしまったと絶望した時のことも。


『キサ義姉さまは、義姉あねですわ……。たった一人の、ただの義姉あね


 希望を見出したこの言葉も。


『レンカリオです。こちらでお休みでしょうか、お父さま』


 襲いかかる旦那様の手をピタリと止めてくれた声も。


『わたしだって女だもの。お父さまの色狂いには嫌悪しかないわ』


 初めて聞いた旦那様への否定も。


『怖い思いをさせてごめんなさい、キサ義姉さま』


 心からの謝罪も。


『こんなの……全然キサ義姉さまを救えてない!』


 心からの懺悔も。

 良い思い出も、そうではない思い出も、全部。

 全部が全部、乾いた血の色をした忌むべきものに変わり果てる。

 前提がひっくり返ってしまった。

 義妹いもうとは人ではなくなっていた。

 ならば心は動かない。

 思い出は、苦であれ楽であれ、心が動いたからこそ残るものだから。

 私はもう、レンカリオに心を動かすことはない。

 動かせない……。


「――可哀相に、キサリティア」


 温かな腕が私を包み込んだ。

 トクン、と熱を持った鼓動が響く。


「キミはずっと騙されていたんだ。心優しいキミがこんなところにいちゃいけない。僕とシシーラアボリへ来るんだ。キミをこれ以上ここへは置いてはおけないよ」


 乾き痩せ細った土に水と養分が注がれるかのように、マシュエ様の言葉が私の心身に沁み渡った。


「僕がレンカリオ嬢との婚約を望むのは、そうすることで僕がメリケオ領の領主となり、ヘルブン家の非道を終わらせるためなんだ。できることなら、すぐにでも領民達を救いたいよ。でもそれは叶わない。だからせめて、キミだけでも救いたい。ともに来てくれないか、キサリティア」


 似た言葉を、九歳だったトゥマ様に言われたことがある。


「キミは優しいから、一人逃れることに抵抗があるかもしれない。ならば誓おう。僕は必ずこのメリケオ領の民を救いにやって来る。だからどうか、この手を掴んでほしい……いや、掴むんだ、キサリティア!」


 差し出されたマシュエ様の手。いつ何時も白い手袋が嵌められている大きな手。

 マシュエ様の隣に、九歳のトゥマ様の姿が重なって見える。

 あの時、差し出されたトゥマ様の手を私は取らなかった。

 大切なものがあったから。

 でもいまはもう――ない。

 ならば。


 コ ノ 手 ヲ 掴 メ !


 私は、マシュエ様の手を取った。


「ともに参ります、マシュエ様……っ!」


 マシュエ様の瞳の煌々とした輝きは冴え渡っていた。


「ありがとう――キミを攫っていくよ、キサリティア。告白する。僕はキミを、キミこそを愛しく思っているんだ。キミを連れ去る罪も、罰も、なにも怖くはない。僕がキミを守ってみせる! さあ、行こう――!」

「……はいっ!」


 いまここで命を落としても構わない。

 そう思えるくらいの幸福。

 生まれて初めての多幸感。


 ――ああ、私はこの方と巡り逢うために生まれてきたのね……!


 マシュエ様の行動は迅速でした。

 私達は驚くほど何事もなく、ヘルブン家のお屋敷を、そしてメリケオ領を逃れることができました。

 まるで初めから決まっていたこのように。

 きっとこれは運命に違いないと、私は高揚しました。

 マシュエ様とともに行くことが正しい。

 そう定められた運命。

 天が私に味方しているのだと思っていました。

 十六歳にして決まった人生と未来を、自らの手で捻じ曲げた。その喜びに酔っていた私は気がついていなかったのです。

 定まっていたのは運命ではなく、筋書トラジディーであったことに……。


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