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◇キサリティア編【8_12】十五歳の私は運命の相手との出会いを果たすらしい


 レンカリオが十三歳。私が十五歳の時。

 私は、運命の出会いを果たしてしまった……。

 それは風の強い、よく晴れた日のこと。

 干していたタオルが風に巻き上げられ、塀の外へと飛ばされた。

 私は慌ててあとを追いかけた。

 ヘルブン家のお屋敷は、山の斜面の一番高いところにある。

 急いでキャッチしなければ、麓まで飛んでいってしまうかもしれない。

 舗装された道を脇に逸れて、林の方へと入る。

 洗濯物を干していた庭のちょうど裏にあたるところ。

 遠目にも、真っ白なタオルが木の枝にひっかかっているのが見えた。

 安堵したのも束の間。

 近づいてみると木の枝は、私の背よりも高いところに生えていた。


「……えいっ! えいっ!」


 などと、精一杯ジャンプをしてみても無駄だった。


「かくなるうえは……」


 私は靴と靴下を脱ぎ、木の根元に丁寧に並べた。

 腕と足で抱きつくようにして木に掴まり、少しずつ登ってゆく。

 そうして一番低い位置に生える枝に手が届くと、力を込めて体を引き上げた。


「……んんん! ……もう少……し……」


 その時、「バキン!」と音を立てて、枝が折れた。


「――きゃあっ!」


 背中から宙に投げ出された私は、次に訪れるだろう強い衝撃に備えて目をつぶった。

 しかし、強い衝撃は訪れなかった。

 代わりに訪れたのは軽い衝撃。

 想像していたものに比べれば、なんとも優しい衝撃だった。


「――おおっ! っとっとっとぉ!」


 次に訪れたのは、声。

 少々、頓狂だけれど、優しくて温かい音色の声だった。


「ふぅー、よかった。間に合った」


 最後に訪れたのは、笑顔。

 とびきりに甘く、とびきりに爽やかで、とびきりに凛々しい――男性の笑顔。


「キミ、怪我はないかい?」


 まるで王子様みたい……。

 明るいブラウンの髪に、ルビーのような赤い瞳。

 人形のように整った、見目麗しい目鼻立ち。

 浮かぶ表情は穏やかでありながら、余裕に(もっと言えば、自信に)満ち溢れている。

 そんな、物語の中から飛び出してきたような理想の王子様に、私は抱き留められていた。

 女とはいえ人一人。

 それも落っこちてきたところを抱き留めたにもかかわらず、その方は悠々と立っていた。

 初めて触れた男性の逞しさと優しさに、私の全身は燃え上がるような熱を帯びた。


「――もしかして、どこか痛むのかい? それとも気分が優れないのかな?」

「……はい……ぁ、いえっ、大丈夫です……!」

「ならよかった。痛むところがないのなら、おろしてあげよう。一人で立てるかな? 先に、靴下と靴を履くといい」

「は、はい」


 小鳥を逃がすようにそっと優しく丁寧に私はおろされた。

 靴下と靴を履いた私はすぐさま頭を下げた。


「危ないところを助けていただき、どうもありがとうございました……!」

「あははっ、どうってことないよ。レディーのピンチに駆けつけるのは紳士の義務だからね。それよりもしかして、あのタオルを取ろうとしてあんなお転婆をしたのかな――キミは?」


 その方は頭上の枝にひっかかるタオルを指して笑った。

 まんまと言い当てられた私は、羞恥に俯いた。


「……はい。お恥ずかしいところを見せまして……」

「あっははは! やっぱりか! 誰かに頼ればいいものを、キミは面白いねぇ」


 私は人から笑われることに慣れている。

 領主の養女でありながら使用人も同然の私は、よく人から笑われた。

 だから私は、こんな朗らかな笑われ方には慣れていなかった。

 誰かから笑われることが、こんなに温かく、嬉しいことは初めてだった。


「そういうことなら僕に任せるといい。――ほぉーら、この通りさ!」


 その方は背伸びをするだけでタオルを取ってしまった。


「重ね重ね、ありがとうございます――ぁっ……!」


 差し出された手の甲の上の辺り。手袋で覆われていない肌に赤い線が走っているのが見えた。

 それは小枝でひっかいたような傷だった。

 私のせいでっ……!


「ん? ああ、ここへ急いで駆けつけた時に、少しひっかいてしまったようだね。でもかすり傷さ。気にすることはないよ」

「――いけません! すぐに手当を!」


 私は受け取ったタオルでその方の手を包んだ。


「そんなことをしたら、タオルが血で汚れてしまう。キミが主人に叱られてしまうよ」

「構いません……!」


 私がお叱りを受けることなど、どうでもいい。

 それよりも、私のせいで他人様に怪我をさせてしまったことの方が辛い。

 小さな怪我だからと侮ってはいけない。

 些細な傷だからと放置しているうちに、あれよあれよ膿んで腫れあがり、高熱で命を落とす。

 そういうこともあるのだから。


「どうぞお屋敷へいらしてください」

「……わかったよ。ありがとう。しかし、キミがそんなに心配してくれたからかな? なんだか痛みが消えたようだよ」

「お戯れを――……ぇっ?」


 出血の具合を見ようと、タオルを外してみた。

 すると――傷がなかった。

 きれいに治っていた。


「どういう……こと……?」

「……これはまさか――」


 その方はご自身の手の甲をしげしげと眺めました。

 軽く開いたり握ったり、傷口のあったあたりをさすったりしていました。

 傷口は完全に消えていました。初めからなかったかのように。

 まるで夢を見ているみたいだった。

 ……ああ、そうだわ。これは夢よ。

 だって、こんな素敵な王子様が私の前に現れて、あまつさえ、優しくしてくれるなんて夢に決まっているじゃない。


「――これが夢でないのなら、キミはこの国で希少とされている癒しの力が使える者――治癒能力者ということになるね」


 夢のような王子様は、夢見るようなまなざしでそう言った。



 王子様をお屋敷へご案内する。

 本日は大事なお客様がお見えなので、執事長のポーリー様や、メイド長のテルトさん、古参メイドのミルダさんといったベテラン陣は、そちらにかかりきり。

 だから、洗濯は私に一任されていた。

 旦那様のお客様は、お屋敷で一番豪勢な客間に通されているので、王子様は応接室にお通ししよう。

 それから、テルトさんかミルダさんを捕まえて、事情を説明して……と、頭の中で段取りを汲んでいると、


「ああ、キミ。案内はここまでで結構だよ」


 一番豪勢な客間の前で王子様が立ち止まった。


「――ぇ? あの、ですが……」


 そこまで言って、私はハタと気がついた。

 よく考えてみれば、この辺りで見かけない方とお屋敷の付近でお会いしたというだけで、すぐに合点がいかなければならなかった。

 この方は――


「黙っていてすまなかったね。僕はマシュエ・ルビアーノ。隣領、シシーラアボリ領の領主、クシエラ・ルビアーノの三男さ」


 シシーラアボリ領。

 メリケオ領の西隣に位置する領地。

 領土位は第六位。

 マシュエ・ルビアーノ様。

 この方は――


「今日は、麗しのレンカリオ嬢に婚約を申し込みに来たんだ」


 ――そう。レンカリオの未来の旦那様になるかもしれない御方。

 大変無礼なことだけれど、私はしばし言葉を失っていた。


「ところが、レンカリオ嬢の機嫌を損ねてしまってね。部屋に閉じこもってしまったんだ。いまもヘルブン様と奥様が、説得してくださっている……のかな? 僕は父上と客間で待っていたんだけれど、少し気分転換がしたくてね。外へ出たんだ。そうしたら――キミが走っていくのが見えて、あとを追ったんだ」


 苦笑いをこぼしていたマシュエ様が、不意に少年のようなお顔をしました。

 面白いものを見かけたら、追いかけずにはいられない。

 そんな、好奇心にあふれた少年のような面持ち。

 ……可愛らしい……。

 本来であればルビアーノ様とお呼びしなければならない御方。

 けれど、せめて心の中だけではお名前で、マシュエ様と呼ばせていただきます……。

 私は今一度、マシュエ様に頭を下げた。


「申し訳ございません。御領主様の御子息様とは露知らず、お手を煩わせてしまい……また、大変な失礼をいたしました」

「いいんだ。よしてくれ。それよりも、キミの名前を教えてくれないかい?」

 思ってもみなかった頼み事をされ、私は戸惑った。

「わ、私の名前ですか……?」

「ああ。ぜひ頼むよ」

「……キサリティアと申します」


 私は伏し目がちになって答えた。

 ……マシュエ様はいまどんなお顔をされているかしら。

 隣領地の領主様の御子息ともなれば、私のことは耳に入っているかもしれない。

 名ばかりの、使用人同然の養女だと、わかったかもしれない。

 ああ、あの――と、憐れむような、厭わしむような表情をされるかもしれない。

 私はそれが怖い。できるなら避けたい。

 けれど、


「キサリティア、か……うん。いい名前だね!」


 そう明るく言われ、私は思わず目を上げた。

 マシュエ様は、太陽のように輝かしい笑顔で私を照らしてくれていた。


「……あり、ありがとうございますっ……!」

「キサリティア。今日のことは僕とキミだけの秘密だよ。いいね? 特に、キミが僕の傷を癒したことは誰にもしゃべっていけないよ?」


 ウインクをしながら、マシュエ様が口元で人差し指を立てた。

 私は胸の前で両手を組んだ。


「ルビアーノ様がそうおっしゃるのならば……」

「ありがとう。キミはいい子だね。そして純粋で美しい。そんなキミだから僕は、秘密を共有したいだなんてイケナイことを思ってしまったんだ」


 そんな罪作りな言葉を残して、マシュエ様は客間の中へ入っていかれました。

 私はドアを開けるお手伝いもせず、ただ立ち尽くしてしました。

 首から上、頬から耳に至るまでを真っ赤にして。



 その夜。

 私はいつものようにレンカリオの就寝の着替えを手伝っていた。

 結局、レンカリオはマシュエ様にはお会いにならなかった。

 嫁行きも婿取りもする気はないと放言しているレンカリオだから、マシュエ様も、お父様であるクシエラ・ルビアーノ様もお怒りにはならず、苦笑して引き上げていかれたという。

 ただし、宿泊を勧める旦那様のお誘いはきっぱりと断って。

 私は不思議だった。

 あんなに素敵な王子様のいったいどこが嫌なのだろう。不満なのだろう。

 美しくて、逞しくて、私のような使用人にも分け隔てなく優しくて、気さくで……。

 それなのに、会いもしないで追い返すなんて……。

 シシーラアボリ領でも、きっと多くの子女達が心を寄せているに違いない。

 そして、婚約を申し込まれたいと憧れているに違いない。

 けれどそれは届かない、叶うことのない願い。

 欲しくても届かない、叶うことのない願いを、望みもしないレンカリオが手に入れられる。

 望みもしないレンカリオが、あっさりと無下にする。

 ああ。なんてひどい。

 ああ。なんて……

 なんて――面憎い。


「――いたっ!」


 小さな悲鳴がレンカリオから上がり、我に返った。

 私はレンカリオの髪をブラシで梳いていた。

 レンカリオの長い髪が、就寝の邪魔にならないようにまとめるために。

 レンカリオの髪は細く、ふわふわと柔らかいので、絡まりやすい。

 だから丁寧に、優しくブラシをかけなければならない。

 それなのに、いつの間にか手に力が入っていたらしい。


「――ごっ、ごめんなさい! レンカ! 私……」


 振り返ったレンカリオは、目に涙を浮かべていた。

 ドレッサー前の椅子にかけているため、私を見上げる形になっている。


「どうなさったの、キサ義姉さま? ひどいじゃない」


 気持ちよく頭を撫でられていた猫が、突然、尻尾を踏まれたかのように驚き、慄いている。

 私は胸がきゅっとした。

 レンカリオの反応が可愛くて、申し訳ない気持ちがある一方で、もっとそういう顔がみたいと思う気持ちもあった。

 そんな自分に戸惑った。

 どうかしている。

 使用人としても、義姉あねとしても。


「本当にごめんなさい……! 少しぼーっとてしまって……。まだ、痛む?」


 私はレンカリオの頭を撫でた。

 どうかしている。

 さっき一瞬、面憎いと思ったくせに……。


「もう痛くありませんわ。キサ義姉さまが、撫でていてくれるから」


 本当に私はどうかしていた。


「ああ……。癒しの力のお陰かしらね」


 マシュエ様との約束を違えてしまうなんて……。


「――癒しの力ですって?」


 目を剥いたレンカリオが、椅子を蹴飛ばして立ち上がった。

 私の両肩に掴みかかってくる。


「どこでそれを知ったの? 誰がその言葉を教えたの? わたしはキサ義姉さまに異能力関連の本は読ませなかった。それなのになぜっ⁉」

「……え? えっ?」

「答えてキサ義姉さま――!」


 鋭い詰問に、私は咄嗟に首を横に振った。


「だ、誰にも……。ただ、傷が癒えたからそう呼んだだけで……」


 嘘をついたのは、本当のことを言えばきっとレンカリオが怒ると思ったから。

 既に怒っているレンカリオが激怒すると思ったから。


「…………っ、……そう……。……確認するけど、キサ義姉さまは癒しの力が――異能力が使えるのね?」

「う、うん……。レンカの言う異能力かはわからないけれど……」

「傷が癒えたんでしょう? だったらそれは治癒能力よ……。この国で異能力を使えるものは少ない。まして治癒能力なんて……。治癒はとても稀で、とても貴重な能力。……まさかキサ義姉さまが……っ」


 レンカリオは頭を抱えてしまった。

 なんだか、とんでもないことを打ち明けてしまったみたい……。

 異能力について私が知ることはないに等しい。

 魔術についてもそう。

 それは一般の人々にも当てはまる。

 異能力と魔術は王侯貴族のみが独占している。

 それ以外の人々は、魔術と異能力が存在すると伝え聞くだけで、目にする機会などない。

 旦那様や奥様やレンカリオには魔術の才がある。と、聞いている。

 しかし、実際に使っているところを私は見たことはない。


「いつから?」

「……ぇ?」

「キサ義姉さまは、いつから治癒能力が使えるようになったの?」


 ……どうしよう。

 嘘を重ねるのは心苦しい。

 けれど、これ以上マシュエ様との約束を違えてしまうわけにもいかない。

 迷った挙句、私は――


「す、少し前……。ほんの、み、三日前」


 嘘を重ねることを選んでしまった。


「三日前? 本当に直近ね……。他に誰かこのことを知る人はいる?」


 アメシストの双眸が私を見つめる。

 私が言う言葉を少しも疑っていない。

 この真っ直ぐなまなざしに嘘をつかなければならないなんて……。

 でも、ごめんなさい。レンカ。


「いません……誰も」

「――そう。わかったわ」


 安堵の息を吐くレンカリオ。

 私も心の中で胸を撫で下ろした。

 しかしそれも、束の間のこと。

 再び両肩を掴まれた私は、強く壁に押しつけられた。


「きゃっ……!」

「いいかしらぁ、キサ義姉さま」


 目下にレンカリオの顔があった。

 あまりの近さに心臓がドキリとした。

 思わず後ずさりをしようとするけれど、壁を背にしているため逃げ場がない。

 なにより、レンカリオの柔らかな体が密着していて動けない。


「治癒能力が使えることは、わたし以外の誰にも知られてはだめよ。特に、お父さまとお母さまには絶対に」


 言い方はともかく、レンカリオもマシュエ様と同じようなことを言った。

 どうして?

 レンカリオも、私と秘密を共有したい、とか?

 異能力の重要性などなにも理解していない私は、そんなのん気なことを思っていた。


「……ぇっと、あの……」

「――もし、誰かにしゃべったりしたら……キサ義姉さま。わたしは、あなたを殺してしまいますからね」


 レンカリオは、見る者すべての心を奪うような微笑を浮かべながら、私を脅迫した。

 あまりの美しさと、恐ろしさに、全身の肌が粟立った。

 レンカリオは耳元で更にささやく。

 まるで睦言のように熱っぽく、吐息をたっぷりと含ませて。


「嘘じゃぁありませんことよ。ふふふふっ。なんでしたら、試してみます?」


 言い終えるのと同時に、私の首に細い指を滑らせた。

 アメシストの双眸に狂気の色を見つけた私は、全力でかぶりを振った。

 嫌な気配がした。

 その時のレンカリオは、レンカリオであってレンカリオではなかった。

 そのくらい鬼気迫るものがあった。

 生命の危機というものを、十五にして私は初めて知った。


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