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◇キサリティア編【7_12】十四歳の私は義妹によって貞操の危機を救われたらしい


 レンカリオが十二歳。私が十四歳の時。

 義妹いもうとはは一層美しく、可憐に成長していた。

 浅く黄みがかったピンク色の髪は豊かで艶やか。

 ミルク色の肌にはくすみ一つ見当たらない。

 花のように愛らしい顔立ちには、大人へと近づく娘の色香と、次期領主に相応しい威厳が備わっていた。

 立ち居振る舞いは優美でありながら凛然。

 レンカリオの美貌は、領内や近隣の領地だけには留まらず、王都にまで届いていたそうだった。

 旦那様が画家にレンカリオの肖像画を何枚も書かせると、すべて法外な値がつけられ、またたく間に世に出回った。

 評判が評判を呼び、肖像画は複製され、模写され、レンカリオの美貌は王国中に知れ渡った。

 それと同時に、縁談の申し込みが降って湧くようになる。

 しかし、レンカリオは、縁談を端から断ってしまった。


「わたしは嫁になど参りません。わたしは、偉大なるお父さまの跡を継ぎ、メリケオ領の領主となるのですから」


 その頃のレンカリオは、旦那様についてまわり、領主の仕事を補佐するようになっていた。時には、レンカリオが主体となって指揮することもあったらしい。

 この春に行われた討伐会も、レンカリオが指揮を執った。

 春は餌を求めた魔物達が活発化する。それを先んじて討伐してしまおうというのが討伐会で、娯楽の少ない領民達にとってはちょっとしたお祭りみたいなものでもある。

 レンカリオの指揮の下で行われた討伐会は大成功を収めた。先を見通したような迅速で的確な指示が冴えわたり、過去一番の討伐数を誇った。

 これには領民達も湧いた。会場に引き上げられてきた魔物の数を見て、大いに驚き、大いに喜んだ。

 魔物の被害は、畑を荒らす害獣とは異なり、直接人命に関わる。堅牢な家も武力も持たない農民にとっては死活問題であり、とてつもない脅威。

 その脅威が倒され、並べられている。それも、いままで見たことの数が。

 加えて、あんまり数が多いから、食用にできる魔物を領民達に無償で分けてくれるという。

 普段、虐げられるばかりの領民達が、領主の娘であるレンカリオへ向ける視線は決して好意的なものではなかった。

 けれどその時、レンカリオへ向けられる視線はとても熱く、眩しいものを見るようだった。

 レンカリオへの次期領主の呼び声は、高まる一方だった。

 当時、十三歳となれた長男のトゥマ様は、王都の叔父様のもとで伯爵様のご令嬢と相思相愛になられ、婿入りという形で婚姻を結ばれていました。

 旦那様と奥様に相談はなく、書状での事後報告のみ。

 奥様は怒りに怒りました。勝手に婚姻したこともそうですが、ヘルブンの姓を捨てたことがなによりも許せず、「息子など最初からいなかった」とおっしゃるほどでした。

 旦那様とレンカリオの反応も冷たく、お祝いの言葉の一つもありませんでした。

 そういうわけで、レンカリオのお嫁入りを望む縁談は見送られた。

 ならば、と婿入りを申し込む者もいた。

 メリケオ領の不穏は周知のこと。それを知ってもなおと言うのだから、レンカリオの美貌はもはや魔性と言ってもいい。

 しかし、これにもレンカリオはいい顔をしなかった。


「わたしに夫など不要。子が必要となれば、それ相応の相手を用立てますわ。子さえできれば、そのあとは用済み。我がヘルブン家には、お父さまとお母さま以外の血縁のない身内など必要ありませもの」


 などと、言葉で斬って捨てる始末でした。

 そんな義妹いもうとをそばで見ていた私は、レンカリオのことがわからなくなっていた。

 レンカリオはなにがしたいのかしら……。

 次期領主に執着していることはわかる。何度となく口にし、熱心に勉強もしている。

 でも、なぜ?

 レンカリオは領主となったあとのことを、まったくもって語らない。

 こうしたい、ああしたい、という展望はなく、ただ領主になることだけに邁進している。

 それから、おそらくだけれど……執着は、私にも向けられている。

 その執着の中身がよくわからない。

 レンカリオの私の扱いは、奥様と旦那様同様とまではいかないものの、容赦なく思える。

 加えて、どこか性質が異なる気がする。

 執着とは強い感情のはずだ。

 それをなぜ、血の繋がりのない使用人同然の義姉わたしに向けるのだろう。

 レンカリオは私のことをどう思っているのだろう。


「レンカ――リオ様は、私のことをどうお思いなのですか?」


 就寝の着替えを手伝う際、気がつけば訊ねていた。


「ど、どう……って……」


 てっきり怒られると思っていたのに、意外にもレンカリオは答えようとしてくれた。

 整った眉を寄せて、少し困った様子を見せたけれど、最後にはプンプンと不機嫌そうにしていた。


「キサ義姉さまは、義姉あねですわ……。たった一人の、ただの義姉あね


 たった一人のただの義姉あね

 それはレンカリオにとって、どういうもの?


 ――答えを得られる機会は、さして日を置かず訪れた。


 レンカリオは度々、狩猟にも参加していた。

 狩猟は騎士の戦いの訓練にもなり、食料も手に入れられ、また貴族達との交流にもなる。まさに一石三鳥の野外娯楽とされていた。

 普段はドレスをまとったレンカリオも、この時ばかりはハンティング・コスチュームに身を包む。

 その美しくも凛々しい姿を見たいがために参加する貴族も多いという。

 食糧調達を兼ねていた狩猟には、男性だけでなく女性も積極的に参加していた。

 奥様は勇ましい騎士達の姿を見るべく参加されている。

 もちろん、レンカリオの専属メイドである私も毎回同行している。

 しかしその日は、旦那様から残るよう言われていた。


「私にはやらなくてはならない仕事がある。だから、お前に身の回りの世話を任せたい。クオキシャとレンカリオには、ポーリー、ミルダ、テルトの三人をつけるから問題ない」


 身の回りのお世話であれば、常日頃からそれを担っている執事長のポーリー様や、メイド長のテルトさん、古参メイドのミルダさんの方が適任のはずでは?

 私の疑問を察したのか、旦那様は少しバツが悪そうに微笑まれました。


「これまで手荒く扱ってきた義娘むすめとじっくり話がしたい。そう思ったのだが、いけないかね?」

「い、いえ! 滅相もありません……!」


 びっくり仰天した私は、飛び上がりながら頭を下げるという荒技を披露した。

 義娘むすめと言われて、とても嬉しかった。とても。

 どんな話しができるのだろうかと、胸を躍らせて旦那様のお部屋へ向かった。

 そこで待っていたものは、期待とは程遠いものとは知らずに。

 じっくり話がしたいとは、真っ赤な嘘だとも知らずに。


「――大人しくしろ、キサリティア」


 ベッドにある本を取ってきてほしい。

 そう申しつけられ、寝室に向かったはずだった。

 気がつけば、悲鳴を上げることすらできないまま、ベッドに組み敷かれていた。


「これは当然の奉仕だ。誰がここまで育ててやったと思っている。ん?」


 使用人のワンピースは質素にできている。男性が力任せに破ることなど、造作もないくらいに。


「ゲウドとドブルドを上手く躱したそうじゃないか。お前を手籠めにできなかったと残念がっていたぞ? ん? ――さぁて、奴らの分まで私が味わってやるとしよう」


 ぎょとぎょとした目が、荒い呼気が、目前まで迫っていた。

 いや

 たすけて

 たすけて

 たすけて――――レンカリオっ!


 ――コンコン。


 その場に相応しくない、丁寧なノックが響いた。


「レンカリオです。こちらでお休みでしょうか、お父さま」


 間延びした甘やかに響く声。聞く者の耳を快くくすぐり、魅了する、レンカリオの声。

 旦那様は驚愕の表情を浮かべ、逡巡ののち、答えた。

 右手で私の口を覆いながら。


「……ぁ……ああ。ああ、そうだとも。私はここだよ、レンカリオ。少し仮眠を取っていたところだ」

「まあ……、お休みの邪魔をしてごめんなさい。お父さま」

「それは構わないが……いったいどうしたんだ。狩りへ行ったはずだったろう?」

「それが、ブーツの紐が切れてしまって……。縁起が悪いから引き返してきましたの。そもそも今日は朝から体調が優れなくって……ごめんなさい、お父さま」

「なに体調が? それは心配だ。すぐ医者を呼ぼう」

「いえ。それには及びませんわ。おそらくは月のものかと……」

「……そうか。――よしわかった。ならば狩猟には私が出向くとしよう。レンカリオは休んでいなさい」

「でも、お父さま。お仕事は大丈夫なのですか?」

「あ、ああ……もう済んだよ。それより支度を整えたい。テルトかミルダは一緒かい? もしそうなら呼んできておくれ」

「ええ。二人とももいますわ。ミルダには他の仕事を申しつけたので、テルトを呼んできます。――ところでお父さま、キサ義姉さまはどこかしら? 姿が見当たらないのだけれど」


 ビクン、と旦那様の肩が跳ねる。


「さ、さぁ……どこだろうな。あれは粗相をしたので少しきつく叱りつけたから、どこかで泣いているのかもしれないな」

「そうですか。それはわたくしの専属メイドが失礼をいたしました。お父さま。私からもきつく叱っておきますわ」

「い、いや! あれは叱られたショックできっと気が動転している。しばらく放っておきなさい」

「……わかりました。では、テルトを呼んでまいります」


 ふぅ、と安堵のため息を旦那様がつきました。

 それから、キッと私を睨みつけると、こう釘を刺しました。


「いいか、このことは誰にも言うんじゃない。お前はすぐ使用人室に戻って服を着替えてこい。そしてレンカリオの元へ行って、私に叱られて泣いていましたと言い繕え。いいな⁉」


 私は何度も頷きました。

 そして言われた通り、すぐさま使用人室へ向かいました。

 しかし、旦那様の部屋を出たところで、誰かに腕を掴まれました。


「きゃっ!」

「――しっ。静かに」


 その誰かとは、


「レ、レンカ……?」


 義妹レンカリオだった。

 レンカリオは、持っていたストールを私の肩にかけた。無惨に破かれた使用人服から覗く肌や、肌着を隠してくれたようだった。


「わたしの部屋へ行きますわよ」


 言われるまま、手を引かれるまま、私はレンカリオの部屋へと連れていかれた。

 道中、私はその小さな背中からずっと目が離せなかった。

 部屋へつくと、ソファに座るよう促された。


「……ぁ、あのっ、レンカ――リオ様、わ、私っ……」


 旦那様から言いつけられたことを口にしようとした。

 その前に、


「わかっていますわ。お父さまに手籠めにされかけたのでしょう?」

「……ぇ? どうして……あっ、ち、ちがっ……」

「いいのよ。ごまかさなくて」


 普段とは異なる気安い物言いだけでなく、その言葉の意味することに驚き、私は目をしばたいた。


「わたしだって女だもの。お父さまの色狂いには嫌悪しかないわ」


 吐き捨てるように言って、レンカリオが私の隣に座った。


「怖い思いをさせてごめんなさい、キサ義姉さま。本当はわたし、こうなるってわかっていたの。お父さまがキサ義姉さまを家に残すと言い出した時から……。でも、逆らわなかった。キサ義姉さまが怖い思いを、辛い思いをするとわかっていてなお、見過ごしたの……」


 ……これは……、懺悔……?

 申し訳なさそうな表情をしているレンカリオを前に、私は混乱していた。


「で、でも、でも……、こうなるってわかっていたってことは、つまり、レンカは私を助けに戻ってきてくれたんでしょう? だったらいいじゃない。それは良い行いのはずよ」

「よくないわ! 一歩遅ければ、取り返しがつかないところだった! わかってた、わかっていたのにわたしは……っ! こんなの……全然キサ義姉さまを救えてない!」


 レンカリオは両手で顔を覆ってしまった。

 私には、レンカリオがなにを悔いているのかわからなかった。

 救えていない? いいえ、そんなことはない。

 私は救われた。手籠めにはなからかった。どこを悔いることがあるの?

 そもそも、なぜ悔いるの?

 だって私は使用人。養女とは名ばかりの、使用人だもの。

 使用人は主人には逆らえない。逆らえば罰せられる。

 領主と領民と同じ、歴然とした上下の差がある。

 主人が使用人に罰を与える。そういう名目ならば、仮に命を取られたとしても、筋道が通りさえすれば罪にはならない。

 そして筋道を判断するのは、領内で起こる事件を判じるのは、領主である旦那様のみ。

 もちろん、私だって手籠めになどされたくない。

 いやだった。だから抵抗をした。

 でも、どうしたって弱い立場の者は、強い立場の者には敵わない。

 それが身分の差。

 それがこの世の常。

 怖い思いも、辛い思いも、惨めな思いも、甘んじて受け入れなければならない。

 そういうもの。

 それなのに、なぜ、レンカリオは悔いるの?

 旦那様の行いが人倫にもとると、人として守るべき道を外れていると思ったから?

 旦那様の好色を嫌悪しているから?

 だから、私を助けに戻ってきてくれたの?

 わからない。わからないわ。


「……ごめんなさい、取り乱したりして。もうすぐミルダが温かいお茶を持ってきてくれますわ。わたしが頼んでおいたの。ミルダが来たら、彼女を残してわたしは席を外します。キサ義姉さまはどうぞ、落ち着くまでここでゆっくりとなさって?」


 レンカリオは笑みこそ浮かべたものの、どこか沈んだ様子だった。

 私は、そんな義妹いもうとの手を取った。


「レンカがそばにいて」


 そういえば、先ほどからずっと私はレンカリオを「レンカ」と呼んでしまっている。

 口調もそう。使用人のそれではなくなっていた。

 しかし、レンカリオが気にする素振りはない。

 いまだって、私の言葉にポカンとするばかり。


「……へ?」

「レンカにそばにいてほしいの。……ダメ?」

「だっ、だめではありません……けど……わたしでいいのですか? ミルダの方がいいのでは?」

「ううん。レンカがいいの」

「なっ――! ……ど、どうかしてしますわ。自分を凌辱しようとした男の娘のそばにいたいだなんて」


 憎まれ口を叩いてみせる義妹いもうと

 義妹いもうとが考えていることは、私にはよくわからない。

 けれど、ほんの少しわかったことがある。

 それは問いに対する答えの、その意味。


『レンカ――リオ様は、私のことをどうお思いなのですか?』

『キサ義姉さまは、義姉あねですわ……。たった一人の、ただの義姉あね


 たった一人のただの義姉あね

 私は長い間自分のことを、いても、いなくてもお邪魔虫な存在だと思ってきた。

 でも、レンカリオにとって義姉わたしは、なにかもっと別の、少なくともお邪魔虫よりは――いいものなのかもしれない。


「……ありがとう、レンカ」



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